2013年4月13日土曜日

鎌ケ谷の野馬土手(4) 初富稲荷神社の勢子土手 ほか

初富稲荷神社には、わずかに勢子土手が残存しています。

本殿の左、茂みの奥に かろうじて見ることができます


この太い木は、勢子土手上に植えられたものが 大きく育ったのでしょう

この勢子土手は、すでに土の盛り上がりぐらいにしか見えません。
きっと時の流れの中で、さらに風化していってしまうでしょう。

初富稲荷神社の勢子土手につながっていた土手があり、初富交差点から464号線を松戸方向に少し進んだところに顔を出しています。

説明されないと気づかない勢子土手 (2012年 5月に撮影)

この野馬土手は、昨年5月に行われた「とっこめ塾」後半の現地学習で、講座を担当された方(市の文化・スポーツ課 学芸員)に教えていただきました。

「とっこめ塾」というのは、「国史跡下総小金中野牧跡周知普及実行委員会」という 何とも長ったらしい名前のところが主催している事業です。
「とっこめ塾」は毎年開かれており、現地学習では ふだん入れない捕込の上にも特別に案内してもらえます。

2012年 9月に撮った写真では 土手の部分の土が見えます

野馬土手は、市内のさまざまな場所に きれぎれに残存しています。
50年前には、市内各所でもっと大きな野馬土手が見られたといいます。
街の景色は、日々変わりつつあり、今見ている風景は 明日は消えているかもしれません。


 ➜ 鎌ケ谷の野馬土手(5) 市民体育館横の野馬除土手

 

2013年4月12日金曜日

鎌ケ谷の大師堂(4) 第41番札所 宝泉院 (佐津間)

佐津間が生んだ幕末の志士 渋谷総司の顕彰碑があることで知られる宝泉院。
その顕彰碑と渋谷家のお墓を見るために、以前 訪れています。
この渋谷総司については、いずれ取り上げてみたいと思います。

宝泉院は、その開創は中世に溯るとされる真言宗豊山派の古い寺院です。
いつ行ってもきれいな、気持ちのいいお寺です。

宝泉院 本  堂


本堂の手前にそれらしきものが


やはり大師堂でした


大師堂の扁額 四国八十八カ所 第41番札所 稲荷山龍光寺の御詠歌


大師堂の前には佐津間大師組合が2年前に建てた石碑があります。
それには、ちゃんと「東葛印旛組合大師霊場」「第四十一番札所」と書かれています。

「准四国八十八ヶ所」のモニュメント


 ➜  鎌ケ谷の大師堂(3) 第16番札所 軽井沢自治会館横 お堂

 ➜  鎌ケ谷の大師堂(5) くぬぎ山にある掛所


鎌ケ谷の大師堂(3) 第16番札所 軽井沢自治会館横 お堂

去年の夏に軽井沢の八幡神社を撮影にいった帰りに、このお堂を見ました。
「なんだか珍しいなぁ」と思ってカメラに収めました。

軽井沢自治会館の横にあります


大師堂です


結願の記念碑

それにしても、自治会館のすぐ脇に建っている お堂のようなちょっと大きめの建物は何なのでしょう。
説明書きのようなものがついていないのでわかりません。
詳しい人にきいてみます。


 ➜  鎌ケ谷の大師堂(2) 第12番札所 初富稲荷神社

 ➜  鎌ケ谷の大師堂(4) 第41番札所 宝泉院 (佐津間)


鎌ケ谷の大師堂(2) 第12番札所 初富稲荷神社

しょっちょう ここを訪れているのに、しっかりと見てはいないということが今回わかりました。
大師堂を撮った写真がフォルダーの中に見つからないのです。

大師講に関わる石碑の写真

初富稲荷神社の勢子土手の写真を選んでいたら、大師堂の写真が見つかりました。
人の後ろとなってしまい よく写っていませんが、確かに大師堂です。

中のようすがちょっとだけ見えます
いずれにせよ、再訪して よい写真を撮ってきます。



2013.04.15 追 記

初富稲荷神社に 大師堂の写真を撮り直すために出かけていきました。

鳥居の前から撮影

この写真をよく見ると、左隅の方、電柱の後ろに大師堂が写っています。
また、その右隣にも小堂が見えます。ここにも大師座像が安置されています。

初富稲荷神社 拝殿

明治の時代になり、江戸時代には馬の放牧場(中野牧)の一部だったところが初富と命名され、この地は東京からの入植者を迎えました。
それに伴って設けられたのが この神社です。

由緒書き

入植直後の明治2年の創建とあります。
明治の初めの開墾は苦労を窮めたもののようです。
それについては、またいずれ。

さて、大師堂は拝殿の左手前方向に置かれています。

すっきりとした大師堂です

大師堂の扉の上には、下の額が かかっています。
東葛・印旛大師講の札所は、四国八十八ヶ所霊場を模して設けられています。
第十二番の札所は、本家である四国霊場においては 阿波の国焼山寺です。

初富稲荷神社は、東葛・印旛大師講の第十二番札所
大師堂の背面には結願(けちがん)を記念して、平成7年4月に再建された旨が書かれています。

はじめにもふれましたが、大師堂のすぐ右隣には、大師の座像が安置された小堂があります。

御大師様の顔が見えます

なぜ大師堂のすぐ横にも大師座像を安置した小堂を置いたのかは、わかりません。
資料によると、この大師座像は明治20年3月に造立されています。
大師堂の方の大師座像は「年紀不明」です。


 ➜  鎌ケ谷の大師堂(1) 第10番札所 粟野青年館

 ➜  鎌ケ谷の大師堂(3) 第16番札所 軽井沢自治会館横 お堂

 

2013年4月11日木曜日

鎌ケ谷の大師堂(1) 第10番札所 粟野青年館

「東葛・印旛大師講」という講が 現在も行われています。
この講は、四国霊場を模した八十八カ所の札所を巡る行事として実施されるもので、江戸時代末期になって成立。200年をこえる歴史をもつそうです。

霊場(札所)は 四国霊場と同じような地形を選んで八十八カ所 設けられており、柏市に69カ所、白井市に10カ所、鎌ヶ谷市に5カ所、松戸市に4カ所あるそうです。

鎌ケ谷市にも札所が5カ所あるとのこと。
今井堤に出かけた際に見た大師堂、前にどこかで似たようなものを見た記憶が。
パソコンに収められた写真を調べると...
ありました。

まずその第1弾は、ほぼ船取線沿いにある粟野青年館。
昨年の9月に訪れていました。

粟野青年館の右に大師堂があります

この写真を撮った頃は、いったい何なのか全くわかりませんでした。
いまは、ほんの少しだけわかります。
この場所は「千寿坊」と呼ばれるようです。
下の写真は、大師堂の外観です。

大師堂


2013.04.19 追 記

大師堂には2つの扁額が掛かっています。
下の写真はその一枚です。

大師堂の屋根の裏に見える和歌

「阿わ能じや しばらまつばら わ希ゆけば 奈可能まきにて 駒ぞい左むる」

(粟野路や 芝原 松原 分けゆけば 中野牧にて 駒ぞ諌むる )

といったことが書かれているのでしょうか。

ネットで調べていたら、西国三十三所の第四番札所である「槇尾山」・施福寺(大阪府和泉市)の山号の元となったという歌をみつけました。
西国三十三所の開祖ともいえる花山天皇(花山院・花山法皇)の詠んだ
「みやまぢや ひばらまつばら わけゆけば まきのおてらに こまぞいさめる」
 (深山路や 檜原 松原 分けゆけば まきのお寺に 駒ぞいさめる)
という歌です。
「槇尾山」という山号は、この歌から取ったのだそうです。

粟野の大師堂の扁額の歌は、この御詠歌を本歌取りしたものではないかと思われます。
浅学にて、これ以上のことはわかりません。

この追記 おわり



2013.05.13 追 記
もう一枚の扁額がなんとか読み取れました。
字が薄れてしまっていて すぐにはわからなかったのです。

四国霊場第十番札所は切幡寺

読み取れない部分もあるのですが、こう書いてあるのではないでしょうか。

「第十番 阿波切幡じ寫
よ久しんを多ゝ ひとすじに きりは多じ のち能よま亭の 左わり登そなる」

(第十番 阿波切幡寺写
欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる)

本家 切幡寺の御詠歌であるようです。

この追記 おわり



大師講に関係している2つの記念碑があります。
どういう意味をもつものなのかは、調べてみないとわかりません。

粟野で結願が行われたときの記念碑 (1960)


高野山と四国八十八ヶ所の巡拝記念碑 (1976)

通いなれている粟野の森。
その目と鼻の先に未知のものが存在しています。
俄然おもしろくなってきました。

『鎌ケ谷市史 別巻』で調べてみたら、市域にある「東葛・印旛大師講」の札所は4カ所だそうです(他資料では5カ所となっているのはなぜか)。

それらは以下のとおり。

 ・粟 野 (第10番札所 : 粟野青年館)
 ・佐津間 (第41番札所 : 宝泉院)
 ・軽井沢 (第16番札所 : お堂 <軽井沢自治会館横> )
 ・初 富 (第12番札所 : 初富稲荷神社)

すべて行ったことのある場所でした。

しかし、そのときには どんな意味をもつ場所であるのかを知らなかったのです


なお、くぬぎ山一文字には掛所となっている大師堂があります。
以下をご覧ください。

 ➜  鎌ケ谷の大師堂(5) くぬぎ山にある掛所



追 記 2015.09.20

季刊のタウン情報誌「City かまがや」の2015 秋号では、「東葛・印旛大師講」の特集を組んでおり、実に見事な内容となっています。
ぜひ入手して ご覧いただきたいと思います。
(冊子をくださった軽井沢のN氏に感謝します。)

P.11には、鎌ケ谷市内の札所と掛所の全てが載っていて大変参考になります。
掛所として「中村善並大師」が今年度から追加されたようです。
市民体育館近く、鎌ケ谷自動車学校の隣にレストラン「ぜんなみ」があり、その前を通る道路の反対側に中村家の墓所があります。敷地内に「南無大師遍照金剛」の石碑が建っています。

タウン情報誌 「City かまがや」 2015 秋号 P.11



 ➜  鎌ケ谷の大師堂(2) 第12番札所 初富稲荷神社


2013.04.09 八重の桜 白井市・今井堤

4月9日、白井の神々廻から今井に向けて散策しました。
バス停の神々廻で下りて、まず近くの厳島神社に寄りました。

厳島神社 弁天池の桜
(撮影当時、弁天池には四阿あずまやがありました)

気持ちのいい神社を抜けてさらに今井に向けて歩くと、右手にはずっと梨畑が続いていました。

梨の花が満開です

この周辺は白井市平塚地区といいますが、なんとこの地区には 四国八十八ヶ所の霊場を写した「平塚新四国八十八ヶ所」というものが存在します。
「平塚 村大師」とも呼ばれているようです。

そこかしこに御大師様が祀られた小堂があります

白井町(現・白井市)教育委員会発行の『白井町石造物調査報告書―第三集―』(1988)には、成立について こう記されています。

「明治28年5月 寺田治兵衛氏は、弘法大師の御聖徳を慕い、四国霊場巡拝の大願を成就、これを記念して、明治33年5月、四国八十八ヶ所の霊場を写し平塚新四国八十八ヶ所とした。」

いつの世にもアイデアマンはいるものですね。

四国七十九番札所とあります

はじめは、「東葛・印旛大師講」の札所だとばかり思っていました。
家に帰って調べて「平塚新四国八十八ヶ所」の札所だとわかった次第です。

あちらこちらにある御大師様(弘法大師・空海)の祀られた大師堂や石造物を見ながら さらに進んでいくと、手賀沼の東南部にあたる下手賀沼に到着。

下手賀沼は 広い川のように見えます
鎌ケ谷市の軽井沢に始まる「金山落」(かなやまおとし) という川が この下手賀沼に注いでいます。

下総航空基地の北は藤ケ谷であり、そのさらに北は金山という小字の地です。金山落という名前は、この小字名からつけられたのでしょう。
下手賀沼に近い部分は、小字でいうと今井にあります。そのため、金山落のことを今井川という人もいます。 (この段落は 2013.04.19 追記)

金山落の河口付近 釣りをしている人がいました

有名な今井堤の桜は、この金山落沿いに植えられています。

気持ちのよい金山落沿いの今井堤

今年は桜の開花が早くて、今井堤の桜は ほとんど散っていました。

わずかに残っている桜がありました

でも、しばらく歩くうちに、おおぶりの花をいっぱいつけた 八重咲きの桜に会うことができました。

葉桜の 今井の堤 八重が待つ

桜以外にも、いろいろと収穫のあった散策でした。
実際に歩いてみないと 見えてこないものがあるのですね。

 

2013年4月9日火曜日

鎌ケ谷の野馬土手(3) 貝柄山公園の「野馬の親子像」

今回は、野馬土手ではないのですが、とても大事な場所である貝柄山公園をご紹介します。

いま貝柄山公園がある場所は かつては野馬の水呑み場でした

捕込から歩いて3分の場所にある貝柄山公園。
昭和57年(1982)3月27日に開園したとのことです。
この場所は、かつて 中沢の谷津を流れる根郷川の谷頭こくとうとなっていました。
水の湧く谷頭の多くは、かつて野馬の水呑み場となっていましたが、この谷頭もそうでした。

桜がきれいな貝柄山公園

ここには「野馬の親子像」というすばらしいブロンズ像が置かれています。
子どもたちに親しまれ、馬の背に乗っている姿もよく見かけます。
この野馬像のモデルは、サラブレッドなどではありません。
江戸時代に牧を闊歩していた 日本本来の小型の馬です。
近くに置かれた説明プレートには、背から爪先まで139cmと書かれています。

野馬のブロンズ像 と 桜の花びら

説明のプレートには、「野馬の親子像」の作者の名が記されていません。
こんなにいい彫刻なのに、本当に残念です。

最後におまけ。
明治13年(1880年)に参謀本部陸軍部測量局によって作られたフランス式の「迅速測図」です。
江戸時代から明治時代にかけての野馬土手のようすがわかる貴重な資料です。
茶色の線で描かれているのが野馬土手です。

迅速測図 (1880)から クリックで拡大できます

 ➊ 鎌ケ谷市役所  鎌ケ谷総合病院の勢子土手  畑の奥の勢子土手
  捕 込 貝柄山公園
 
 
前にお見せした 現在の地図 と比べて見てください。
 
右下に「驛谷ヶ鎌」と書かれているのは、今の東武野田線「鎌ケ谷駅」ではありません。
木下街道の中間地点として賑わった 昔の宿場町 鎌ヶ谷のことです。
鎌ケ谷大仏の周辺だと思えばいいでしょう。