2014年10月13日月曜日

2014.10.11 「復興支援チャリティフェスタ 2014」

「鎌ケ谷市民まつり」と同時に開催された「復興支援チャリティフェスタ 2014」のようすの一部をお伝えします。

 「忘れない   そのやさしさを被災地へ」
    復興支援チャリティフェスタ  2014

  ・期 日 2014年10月11日(土)
  ・会 場 鎌ケ谷市役所 南駐車場

  ・主 催 鎌ケ谷市青少年育成推進協議会
        鎌ケ谷市青少年相談員連絡協議会
  ・主 管 復興支援チャリティフェスタ実行委員会
  ・協 力 鎌ケ谷市小中学校PTA連絡協議会
  ・後 援 鎌ケ谷市教育委員会
  ・協 賛 北海道日本ハムファイターズ


回覧で回ってきたチラシ


消防自動車に張られていた横断幕


千葉PCO(自衛隊千葉地方協力本部)の災害時派遣車両
PCO は、Provincial Cooperation Office (地方協力本部)の略称


被災地産品の販売


東日本大震災による被害の写真展示 (準備風景)


多くの人がご覧になっていました (右側の展示)


千葉県における被害


岩手県における被害と現状


宮城県における被害と現状


福島県における諸被害


PTA連絡協議会の出店 (準備風景)


消防本部展示ブース


ブース内に展示されていた 被災地における消防隊員の活動記録


「エコ紙トンボ作り」のコーナー (準備中の様子)



アクロスモール鎌ケ谷の2階では、昨年同様「ふくしまフェスタ」が開催されました。

アクロスモール鎌ケ谷で開かれた 「ふくしまフェスタ」


福島県産品の販売


ステージの様子 左の ゆるキャラは「八重たん」です


今年も「鎌ケ谷市民まつり」には 南相馬市から12騎の騎馬武者がみえましたが、市役所内には 本場で撮られた「相馬野馬追」の写真が展示されていました。
南相馬市は、ご存じのとおり 東日本大震災で甚大な被害をこうむった地域です。

市役所の環境課前に展示されていた 南相馬市の「相馬野馬追」の写真


2014年10月12日日曜日

鎌ケ谷で見られる草本(7) カラスウリ

秋に美しい赤い実をつけるカラスウリ(烏瓜、学名  Trichosanthes cucumeroides)。
スミレ目 ウリ科 カラスウリ属の多年草です。
これまでに 散策会の折に撮ってきた写真をご覧ください。

秋を色どるカラスウリの実 (印西市・角田にて  2013.10.07 撮影)

雌雄異株で、ひとつの株には雄花か雌花のいずれかがつきます。
カラスウリの花は 日暮れてから咲きます。
何度見ても 不思議で繊細な花です。

日暮れて咲くカラスウリの雄花 (印西市・龍腹寺にて 2014.07.29 撮影)

カラスウリの花は 一日花であり、明け方にしぼみます。
花びらの糸状の部分を収納しつつ しぼんでいきます。

しぼんだ一日花 (印西市・竹袋にて  2014.08.20 撮影)

雌株につくカラスウリの実は、熟す前の青いうちは いかにもウリらしい白い縞が見られます。

まだ青い実 (鎌ケ谷市・佐津間山ノ下にて  2014.08.29 撮影)


お馴染みの 赤く熟した実 (印西市・松虫にて  2012.10.31 撮影)

翌年の4月~6月にかけて 塊根から発芽するか、または実生により発芽するかします。


2014年10月8日水曜日

「しろい社寺めぐり」 (その2)

前回からの続きです・・・

車通りから離れると、田園風景が広がっていました。

刈り入れの終わった水田の横をゆきます


ポツンと馬頭観音が建っていました 頭には馬を戴いています


途中、七次第二公園で小休止


さらに北へと向かい、折立おりたて地区に入りました。

折立熊野神社に到着


現・折立熊野神社本殿は、宝暦3年(1753)の建立 白井市で最古の本殿


折立熊野神社 本殿 覆屋おおいやで保護されています


本殿の周りには 実に見事な彫刻が施されています


国道16号線を渡って 来迎らいこう寺に到着。

山 門 左 「天台宗 延暦寺派」、右 「無量山 最勝院  来迎寺」とあります


この日は 白井市指定文化財 特別公開の日


白井市指定文化財の説明書き


白井市指定文化財(天然記念物)のイチョウの木


メダカが 甕で飼われていました


本 堂 階段をのぼった高い場所に建っていました


本堂の内陣 その右側に白井市指定文化財の仏像が展示されていました


地獄絵図の展示 その左の方へと ずっといくと、閻魔様が座っています


閻魔王坐像 と 奪衣婆だつえば坐像


左から 不動明王  阿弥陀如来  毘沙門天 の3立像

これらの仏像は、もともと市川市八幡やわたの葛飾八幡宮境内にあった法漸ほうぜん寺(すでに廃寺)の所蔵だったといいます。
明治政府は慶応4年(1868)に神仏分離の太政官布告を発しました。
そのため、これらの仏像は廃仏毀釈により廃棄されそうになりました。
そこで、法漸寺住職の弟子であった 来迎寺第14代住職 内田恂達じゅんたつ師が引き取って 来迎寺に安置したとのことです。
これは、ちょっとしたドラマです。


印西大師 番外の大師堂 薄れてしまった扁額

中木戸集会所の隣にある来迎寺別院には、印西大師 第十三番札所の大師堂があるようです。


来迎寺の手前には菖蒲園があります 6月中旬は見頃でしょう


地区の鷲神社へと歩を進めました。

路傍のお地蔵さん 大事にされていますね


鷲神社の由緒書きと 本殿および鳥居の説明


鷲神社の石造鳥居


鷲神社 本殿 ここも覆屋で保護されています


この本殿も見事な彫刻で壁面が飾られています


この彫刻を施した作者名が刻まれています その名、中村久左エ門


鷲神社を後にして、「やおぱぁく」へと向かいます


「やおぱぁく」で一休み 梨や野菜などが売られていました


最後に寄ったのは とても大きな供養塔群が建ち並ぶ場所。
なんと、いつも車で通っている木下街道の際です。
驚いてしまいました。
ゴール地点の白井市文化センターは、すぐ近くです。

「南無阿弥陀仏」と刻まれた徳本名号塔や 馬頭観音などが建っています


記事を終えるにあたって、こうした素晴らしい機会を設けてくださった白井市郷土資料館の皆様、お忙しい中お話しくださった佛法寺と来迎寺のご住職、解説に当たられた白井市教育部文化課の皆様、そして 周到な準備を重ね 丁寧なガイドをしてくださった「しろいふるさとガイドの会」の皆様に 心からお礼申し上げます。



➜  「しろい社寺めぐり」 (その1)