2014年11月28日金曜日

印旛を歩く(3) 東祥寺 (印西市・鎌苅かまがり

東祥寺は 印西市(大字)鎌苅543番地1 にあります。
この周辺は明治時代の中頃まで 鎌苅(かまがり)村という地区でした。

大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「宗像村誌」には、東祥寺について以下のように書かれています(後編 P.415~416)。

 (8) 東 祥 寺
鎌苅村にあり、曹洞宗にして長国寺末なり。釈迦牟尼如来を本尊とす。
宗祖、道元禅師の13世法孫 開山・文和暁尚、大永元年(1521)9月創立。
明治7年(1874)10月焼失。明治8年(1875)2月仮本堂再建す。
堂宇、間口 7間 奥行き5間3尺。境内794坪あり。檀徒60戸を有す。


入口には「不許葷酒入山門」とあります

道路に面して「不許葷酒入山門」と刻まれた 戒壇石かいだんせきとよばれる石塔が建っています。
これは 「葷酒(くんしゅ) 山門にるを許さず」と読み、戒壇石は 寺院という聖域を定める結界石けっかいせきの意味をもっています。

「葷」とは、ニラ、ニンニク、ネギなどの臭気ある蔬菜類(葷(くん))や、カラシ、トウガラシなどの辛みのある刺激物(辛(しん))に、肉を含めたものであり、精力が出るといわれる食物をさしているといいます(雄山閣『日本石仏事典』)。
それらの食物や酒を、その先の修行の場に持ち込むことを禁止するという文言です。

山門に至る道


山門前の右側には 女人講の碑や如意輪観音像が並んでいます


「曹洞宗 東祥禅寺」とあります 山号は「大雄山」


山門の左側にあった板には 意味ありげな言葉が

この板は「木版」(もっぱん)というそうです。
曹洞宗の修行僧は、振鈴しんれいという大きな鈴の音で目覚めた後、この木版の音を聞いて顔を洗うとのこと。

木版には、以下のように書かれています。

  白 大 衆
  生死事大 (しょうじ じだい)
  無常迅速 (むじょう じんそく)
  各宜醒覚 (かくぎ せいかく)
  慎勿放逸 (しんもつ ほういつ)

書き下すと以下のようになります。

  大衆だいしゅ(修行僧)もう

  生死のことは事大にして
  無常迅速なれば
  おのおの宜しく醒覚し
  慎んで放逸なることなかれ

「事大」は「大事」、「醒覚」は「覚醒」と文字の順を変えれば意味が分かりやすくなります。


山門の右側にあった「夢大師」のお堂


山門は鐘楼を兼ねていて 2階部分に梵鐘があります


2階の鐘楼部 中央には鐘を突く棒(橦木しゅもく)が、左側には梯子が見えます


印西大師 第四十番札所の大師堂


印西大師 四十番札所の扁額

本家 四国八十八カ所霊場の第40番、平城山へいじょうざん 薬師院やくしいん 観自在寺かんじざいじの御詠歌が写されています。

  心願や 自在の春に 花咲きて
  浮世のがれて 住むや けだもの


印西大師 第九番札所の大師堂


印西大師 九番札所の扁額

本家 四国八十八カ所霊場の第9番、正覚山しょうかくざん 菩提院ぼだいいん 法輪寺ほうりんじの御詠歌が写されています。

  大乗の 誹謗ひぼうとがも ひるがえし
  転法輪てんぼうりんの 縁とこそきけ


境内にある建物の案内掲示板がありました


本 堂 「大雄山」と扁額が懸かっています


東祥寺の南側は崖になっています

以下の地図を見ていただくとわかるように、東祥寺は 舌状台地の根元の細い部分に建っています。

東祥寺と その周辺の地図
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用

東祥寺の隣には 鷲宮わしのみや神社があります。
この神社については、次回取り上げる予定です。


➜  印旛を歩く(2) 真珠院 (印西市・造谷つくりや

➜  印旛を歩く(4) 鷲宮わしのみや神社 (印西市・鎌苅かまがり