2015年2月1日日曜日

2015.01.29 「白鳥の郷」 (印西市・本埜)

印西市の本埜にある「白鳥の郷」へ 白鳥を見にいきました。

「白鳥の郷」と その周辺の地図は以下のとおりです。

余談ですが、「地理院地図」(電子国土Web)が いつの間にかリニューアルされていました。
前のインターフェイスになれていたので、はじめは戸惑いました。

「白鳥の郷」 と その周辺
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用

「白鳥の郷」の近くには、千葉県指定 有形民俗文化財の「押付おしつけ水塚みづか」や、「歌人 吉植庄亮よしうえ しょうりょうの生家」があります。

「押付の水塚」の説明板 左の掲示板の連絡先は 印西市役所 本埜支所


「歌人 吉植庄亮生誕の地」の碑

これらは どちらも個人宅内にありますので、見学や写真の撮影等に当たっては 事前に諒承を得る必要があります。

許可を得て「押付の水塚」自体や「吉植庄亮の生家」自体の写真を撮らせていただきましたが、掲載はしません。


では、「白鳥の郷」へと向かいましょう。


千葉県道12号線を進むと 三差路に「白鳥の郷」への案内板があります


広めの農道には、見学者の車が列をなして駐車


すぐに 白鳥の群が見えてきました


白鳥等からのウイルスが鶏舎に移されたりしないよう 毎朝、石灰で消毒


観察拠点の建物


現在の白鳥の飛来数は 1200羽 と表示されていました


様々な掲示物がありました


「白鳥の郷」の由来書き


白鳥の餌を入れるバケツ


空を舞う鳥を眺める見学者


白鳥の群と車列


多くの白鳥が集っていました


左に見える灰色の羽の個体は 幼鳥です


群から離れて 体格のよい個体が周囲を見張っていました


白鳥の飛翔


手前は鴨、奥は白鳥


後日、天気のよい日に見にいきました 青空と雲がきれい


割 込 2015.03.07

本埜の「白鳥の郷」に飛来する白鳥はコハクチョウだそうです。
本日、「印西市里山調査」の会合があった際に、わが野鳥観察の先生 M氏から教わりました。

この割込 おわり



追 記

冒頭の地図の左下にある「吉次沼」という名前の沼が気になりました。
『印旛村史 通史Ⅱ』には、以下のような記述があります。

本埜村に吉次オッポリと呼ぶ沼がある。ここはもと吉次たちの墓が建っていた場所であったが、江戸時代に印旛沼の洪水で堤が切れ、沼となった所と伝えられる。

この「吉次オッポリ」と呼ぶ沼が 「吉次沼」でしょう。
『平家物語』にも登場するという 金売吉次に関するお話は、以下をご参照ください。

 龍 鱗 金売り吉次

後に吉次沼となった場所に墓が造られましたが、洪水で流されてしまったため、村人達は 新しい墓を 本埜の中根にある戸崎観音堂に造ったと伝えられています。
観音堂には 金売吉次の守り本尊である十一面観音が安置され、堂裏には 吉次の墓石(中世の板碑)があります。
戸崎の観音堂については、以下の記事をご覧ください。

 ➜ 本埜の仏刹(7) 戸崎観音堂(印西市・中根)

これらのことの多くは、赤松宗旦による『利根川図志』(安政2年)に書かれています。

赤松宗旦『利根川図志』(1855) 原本より
埼玉玉県立図書館 デジタルライブラリー )

『利根川図志』は、柳田国男が校訂したものが岩波文庫で出ていて、全巻が1冊に収まっています。
版権が切れているため、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。
上記の原本に対応する部分を、以下に転記します。

吉次沼きちじぬま  埜原やわら新田の内、行徳新田という所の堤の内にあり。云伝いいつたう、むかし金売吉次・信高兄弟、陸奥国むつのくにに往来して此所このところを過ぐ。隣村萩原村に荒神あらがみ左近さこんといふ強盗あり。吉次兄弟を殺してたからを奪ふ。土人墓を作り樹を植ゑて跡をしるす。これを吉次の墓といふ。宝永元年(1704)の洪水に、此所の堤切れ墓れくづれて押流さる。其跡方そのあとかた二百〔1歩=1坪〕ばかりの沼となる。今是を吉次沼といふ。(この沼の深さ知るものなしとぞ)。又隣村中根村戸崎といへる所に観音堂あり。十一面観世音なり。此金売吉次のまもり本尊なりといふ。霊験れいげんあらたなり。

 

追 記 2015.02.06

吉次沼を見たくなり、寄ってみました。
沼を管理している人にきいたら、いまはヘラブナの釣り堀だそうです。

堤防の上は千葉県道12号線になっています


ヘラブナ釣りのために長く板が渡してあります