2018年4月7日土曜日

千葉県北西部の神社(19) <印西市・平岡鳥見とみ神社>

当神社の所在地は、印西市平岡 〔字 西谷津〕 1476番地です。

平岡鳥見神社は 道路に面しています


鳥居が 二つ重なっています   右手前の標石には「鳥見神社」とあります
手前の鳥居は 石造の明神鳥居、 奥の鳥居は木造の両部鳥居


当神社の獅子舞に関する説明板

参考のため、以下に転記します。

県指定無形民俗文化財

鳥見神社の獅子舞

       昭和30年(1955)3月12日指定 

 15世紀の中葉、文明(1468~86)のころから、悪魔を払い、豊作を祈願するために、氏子一同が水稲の種まきが終わってから鳥見神社で舞ったと伝えられています。この日を「オコト」と称し、氏子の青年男子から舞人が選ばれます。以前は4月28日に行われていましたが、昭和56年からは5月3日に行われるようになりました。
 獅子はジジ・セナ・力力の三匹で初の舞、二の舞、寝起きの舞、勇んで三角の舞、蚯蚓(みみず)拾いの舞、喧嘩の舞、仲直り三角の舞、大廻りの舞、抽籤(くじ)びきの舞などが演じられます。
 獅子頭は室町時代初期の作と伝えられ、昭和30年(1955)5月に開催されたアジア十ヶ国仮面展覧会には、県からただ一つ選ばれて出品し「その形は、偏平で・眼が上を向き・鼻が腔大な(鼻の穴が大きい)古式を伝えるもの」と講評されました。
 平成4年(1992)3月
印西市教育委員会 


「獅子舞沿革碑」

この石碑は、獅子舞奉納の日が5月3日に定められたときに建てられたようです。
これも参考になりますので、以下に転記します。

獅子舞沿革碑


 鳥見神社のおことに行われる獅子舞は、約五百年前の文明の頃から、氏子一同の深い信仰のもとに、民俗芸能として、稲の種蒔きが終わり次第、協議のうえ奉納日を定めて連綿として伝承されてきた。
 大正3年(1914)になり村も安定したため、以後4月28日をおことと定め、獅子舞を奉納してきたが、伝承者の自覚と氏子一同の努力が認められて、昭和30年(1955)12月 県の無形民俗文化財に指定された。
 獅子舞は、その時代の人々を対象としたものであるから、生活が変わり、時代が移るとともに、おことの行事も時代に即応してこそ、村の無形民俗文化財としての意義がある。そのため氏子一同話し合いを重ね、昭和56年(1981)5月3日、県文化課の承認を得て、時流に合わせ、国の祝日 憲法記念日を以て、おことと決定し 獅子舞を奉納し、永くこれを伝承することとなった。

昭和56年(1981)5月3日


拝殿へと続く参道


手水舎ちょうずや 「ちょうずしゃ」・「てみずや」・「てみずしゃ」とも いわれます


「御宝前」とある手水石(水盤) 造立年不明 台座は後年のもの


拝 殿


拝殿正面


向かって左手から見た 拝殿と本殿


本殿と その周囲を囲む木造の瑞垣


背後から見た本殿


当神社について、大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』所収の「木下町誌」のうち、「神社誌」に 以下のように書かれています (P.588)。

(3) 村社 鳥見神社

平岡村字西谷津にあり、登美屋姫命、饒速日命、宇摩志間知命を祭る。

社殿 間ロ 4尺、奥行 4尺
拝殿 間ロ 4間、奥行 2間
境内 1,465坪
氏子 90戸

神官(石井助治郎)は、中根鳥見神社外一社(九頭龍神社)を合掌。
〔平岡鳥見神社の末社である 地区の水神社と道祖神社も所管〕

境内2社を祭る。即ち、
1 香取神社 経津主命を祭る。 由緒不詳。 建物 方3尺。
2 天 神 社 菅原道真魂を祭る。 由緒不詳。 建物 方3尺。
(神社明細帳)


本殿後ろの庚申塔 明和元年(1764)造立


天満宮


「降魔霊神」 蔵王権現のことでしょうか?


「獅子舞記念碑」 等


「本殿建立三百年記念碑」 等


「祓戸大神」 小林鳥見神社にも鎮座していました


「神札納所」 古札納め所です


拝殿側から境内を振り返って見たところ


境内の外、鳥居の右手にも 石祠が祀られていました
神主霊祠(墓塔)かもしれません (4つの石祠の左には 墓石あり)