2013年11月4日月曜日

鎌ケ谷の野馬土手(14) 山屋食品の南に残る勢子土手跡

稲荷前三差路のすぐ西にある稲荷西交差点(名称がまぎらわしいですね)の近くには、ウスターソースやトマトケチャップを製造している山屋食品の工場があります。その南には勢子土手が残っています。

この土手は、稲荷前三差路の南に残存する勢子土手の延長上にあります。
稲荷西交差点近くの細い道を中央児童センターに向かって歩いていくと見えてきます。

樹木に隠れて、その右側にわずかに見えるのが山屋食品の工場


坂の下、正面に見えるのが中央児童センター


坂を下っていくと右側に土手が見えてきます


土手が残る土地は山屋食品の所有地です


写真の右手、土手の向こう側が山屋食品の工場


土手の盛り上がりが残っています


2013.11.19 追 記

船取線のバイパス側からは、道路に沿った山屋食品のすぐ南の位置で、土手がずっとよく見えることをお仲間のTさんから教えてもらいました。
土手自体を見るのなら、こちらから見た方がいいと思いました。

山屋食品工場の南隣に 道路側から土手の断面が見えます


こんもりとした土手がよく見えます


土手から道路側を振り返ってみたところ


土手の右側が 山屋食品の工場

この追記 終わり


中央児童センターの近辺は、かつては大津川支谷の谷頭でした。
勢子土手は、この谷頭に達して終わっています。
大津川の支川は、今ではここから400m近くは暗渠となっており、その両側には家が建ち並んでます。
コースをたどっていくと、暗渠の下流では大津川支川が顔を出します。
なお、この大津川支川は「長谷津水路」という名前が付いています。



以下は蛇足です。

この辺一帯の小字名ですが、谷頭部分が「谷津鼻方」(やづはなかた)、それから「長谷津」(ながやつ)と続き、その下流は痩せた水田の「三舛蒔」(さんじょうまき)そして「堀尻」(ほりじり)となっていました。

粟野村地引絵図 (1877ごろ)〔篠宮富男氏所蔵〕  活字は小生が追加
元図は、 鎌ケ谷市郷土資料館発行の平成23年度企画展図録『絵図と地図でみた鎌ケ谷の400年』(2012)より

先の小字について情報は、明治10年(1877)ごろに作成された「粟野村地引絵図」と『鎌ケ谷市史  別巻』(2003) P.20 の図から得ました。
市域全体の小字についての正しい情報を得たい方は『鎌ケ谷市史  別巻』を参照されるといいと思います。


『鎌ケ谷市史  資料編Ⅴ(民俗)』(1993) P.25 の図では、大字粟野の「長谷津」と「堀尻」の名称が欠落しています。
また、私が小字のリファレンスとして頼りにしている『鎌ケ谷市史資料集7 民俗』(1971)の P.18次頁挿図「大字粟野」では、どうしたことか 「谷津鼻方」から「長谷津」までの細長い地域部分の図自体を欠いています。

なお、「粟野村地引絵図」については、前に以下の記事でふれています。

 鎌ケ谷の古い地図(3) 粟野村地引絵図〈1877ごろ〉



前述の「長谷津」という小字名ですが、今でも貯留地や公園の名前として残っています。
今回のコースには含まれていませんが、川筋をさらにいくと以下のような景色が見られます。

kiさんに聞いてわかった細い長谷津貯留地 フェンスの左側が大津川支川


大津川支川(長谷津水路)沿いにある長谷津第二公園


さらに下流にある長谷津公園

このあと大津川支川(長谷津水路)は、市制記念公園の脇を抜け、粟野の森沿いに延びる市道2130号線の西側を北上していきます。

粟野の森の西を流れる大津川支川 (下流に向けて撮影) 小字では堀尻

北部小学校の近くでは 集まった支川が一本の川となり、手賀沼に向かってさらに北上を続けます。

大津川合流地点 左手が下流 (コンクリート三面張りではない川)

大津川については 以下でちょっとだけ詳しくふれました。

 ➜ 粟野の森の近くを流れる川の名前は?


 ➜ 鎌ケ谷の野馬土手(15) 道野辺八幡神社内の林に残る野馬除土手跡