2018年1月5日金曜日

沼南散策(5) 柳戸塙 子供の遊び場 (柏市・柳戸やな ど

(Ⅰ)


柏市立手賀中学校の東隣に「柳戸やな ど はなわ子供の遊び場」という公園があります。
所在地は、柏市柳戸〔字塙〕675番地の1です。

「柳戸塙子供の遊び場」は、千葉県道282号・柏印西線沿いにあります


公園の前には 表示板が立っています


「柳戸塙子供の遊び場」と書かれた表示板

公園の名前に「塙」とついていますが、『角川日本地名大辞典 12 千葉県』で調べてみると、これは大字柳戸の小字名だと分かりました。


(Ⅱ)


いまは公園となっている この場所には、かつて村役場が建っていました。

かつての手賀村役場
『沼南風土記』(沼南町役場 1981) P.60より

手賀村と風早村が合併して 沼南村となったのは、昭和30年(1955)のこと。
昭和39年(1964)には、町政が施行され沼南町になります。
大島田おおしま た に新庁舎(第1庁舎)が完成するまでは、旧手賀村役場が沼南村(町)役場の役割を果たしました。

旧沼南町役場 昭和49年(1974)撮影
『沼南町史(一)』(沼南町役場 1979)より

上の写真と一緒に撮られたと思われる写真が 柏市のホームページに掲載されています。
「(昭和49年(1974))」と説明が付けられていますので、その頃の写真なのでしょう。

旧沼南町役場は、新庁舎完成とともに沼南町東公民館となり、その後に解体されました。

大島田の新庁舎(第1庁舎)が完成するのは昭和41年(1966)。

沼南町役場 新庁舎(第1庁舎)
『沼南町史(一)』(沼南町役場 1979)より

第1庁舎は、昭和59年(1984)と平成19年(2007)に 改修工事が行われているようです。

大島田の町役場は、平成58年(1983)に第2庁舎(地上6階・地下1階)が増築されています。

沼南町役場 新庁舎 左 第2庁舎、右 第1庁舎
沼南町合併記念誌『沼南町のあゆみ』(沼南町役場 2005)より

沼南町は 平成17年(2005)に柏市へ編入され、現在に至っています。
かつての沼南町役場の新庁舎は、いまでは柏市の沼南庁舎となっています。


(Ⅲ)


さて、現在の景色に戻りましょう。
さきほどの手賀村役場の写真には、「柳戸」バス停が写っていました。
いまでは役場の建物はなくなってしまいましたが、バス停は その位置をほとんど変えずに立っています。

「柳戸」バス停 (布瀬ふぜ方面行き)

公園の隣にある商店で、ご主人からいろいろと お話をうかがいました。
役場の庁舎は、この公園の狭い敷地内に建っていたそうです。

役場あと 現在いまは遊び場 冬木立

ご主人のお話では、庁舎の右隣には 警察署が置かれていたそうです。
千葉県警察の「警察署マップ」 を見ると、いまは柏市・手賀の西端に「柏警察署手賀駐在所」があります。
柳戸には、「柏市沼南消防署手賀分署」が置かれています。

公園の片隅に 手賀村の道路元標が残されていました。

「手賀村道路元標」

道路元標」とは、道路の起点・終点や経過地を標示するための標識だそうです。
旧道路法(1919)により、各市町村に1個設置されていたとのこと。
村役場があり、道路元標が置かれていたことから、柳戸が手賀村の中心であったことがよく分かります。

公園の西側、手賀中学校との間には 空き地があります。
商店のご主人からうかがったとろでは、かつては低い場所だったとのこと。
(明治時代の「迅速測図」をよく見ると、落ち窪んでいたことが分かります。)
ここには手賀農協があったそうです(現在は東に400m行った場所にあります)
その後、盛り土がされて 公園と同じ高さになったということでした。


(Ⅳ)


道路の反対側には、柏駅行きのバス停があります。

「柳戸」バス停 (柏駅方面)


バス停の横には 自動販売機が置かれてました

自動販売機は、飲み物以外にもお菓子が買えるようになっていました。
珍しいですね。

自動販売機器の背後は、切り立った崖になっていて、古くは香取海かとりのうみにつながる手下水海てがのみずうみ手下浦てかのうら)に面していたと容易に想像できます。

約千年前の「香取の海」
吉田東伍『利根治水論考』(日本歴史地理学会 1910)の付図を参照

現在は、崖下に広がる水田の真ん中を 金山落かなやまおとしが下手賀沼へと流れています。
川の対岸は、白井市の名内や今井です。
白井市・名内側がほぼ平坦なのと比べると、柏市・柳戸側が急峻なのは、大昔に海食により浸食されたためでしょうか。

柏の地名の由来を述べたサイトがあり、そこには「柳戸」について以下のように書かれていました。

●柳戸 やなど

元沼南町。
鎌倉期は柳渡村。
江戸期は上柳戸村・下柳戸村。
明治7年(1874)に上下柳戸村が一村となる。

地名は手賀沼の柳渡の渡しが転訛したものという。
「やな(斜面)・と(処)」で傾斜地という意味。

地名が地形から名付けられたと説明されています。

干拓が進む前、旧手賀村の地域は 手賀沼に向かって半島状に突き出していました。
かつては、この地域が「てがのしま」『利根川図志』には「手賀島」とあります)とよばれていたことを思い出しました。

かつての手賀沼とその周辺
明治時代はじめの「迅速測図」より