2018年3月16日金曜日

千葉県北西部の鳥見神社(17) <印西市・浦部鳥見うら べ とり み 神社>

所在地は、印西市浦部 〔字 御手洗〕 2125番地です。

当神社は、けっこう分かりづらい場所にあります。
カーナビなどに頼って行くと、細い道をクネクネと たどることになってしまいます。

観音寺まで行ってから、徒歩で神社に向かうという方法が一番分かりやすいでしょう。

まず、観音寺仁王堂の左手にある道を進みます (仁王堂前広場から撮影)


参道の左右に 二つの大師堂が建っています そこを、左に曲がります

あとは、道なりに進みます。
浦部鳥見神社は、観音堂の裏手にある高台に位置しています。

道は階段へと続きます。
階段を登りきり、道を左に進むと、すぐに下の写真の三叉路に行き着きます。

三叉路には標示が出ています


「浦部の鳥見神社」と書かれています


浦部鳥見神社は すぐ近くにあります


鳥居は木造 全体の形は 両部鳥居です 


鳥居には 「鳥見大明神」と神額が懸かっています


拝殿へと続く参道 左端にわずかに見えるのは神楽殿


拝 殿 とてもスッキリとした感じです


拝殿内に「鳥見神社」と書かれた 大きな扁額がありました


拝殿に貼られていた 浦部十二座神楽かぐら のポスター

ポスターには、「駐車場 観音寺前広場」と書かれています。
仁王門の前にある広場(駐車場)のことです。

この広々とした駐車場も、「浦部十二座神楽」のときには、きっと満杯になってしまうのでしょう。
それで、離れたところにある宮内青年館の駐車場も併記されているのだと思います。


拝殿の右手には 6基の出羽三山碑が建ち並んでいます


鳥居をくぐって すぐ左手にある神楽殿 扁額が懸かっています


「浦部の神楽」は 千葉県指定の無形民俗文化財です


当神社について、大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』所収の「永治村誌」のうち、「神社誌」に 以下のように書かれています(P.541~542)。

(2) 村社鳥見神社

浦部村 字御手洗にあり、登美屋比賣命とみやびめのみこと饒速日命にぎはやひのみこと宇麻志摩遅命うましまじのみことを祭る。

鎮座年暦、慶安甲子きのえね(1648?  慶安元年は「戊子つちのえね」)
元禄16癸未みずのとひつじ(1703) 再建。
寳4壬子みずのえね寛政4年(1792)の誤りか  この年は「壬子」 3月建。

旧地頭・上杉家の祈願するところ。

社殿、間口 5間、奥行き 4間。
拝殿、間口 6間3尺、奥行き 3間。
境内、550坪。
氏子、149戸。

境内7社あり。 即ち、

1 八坂神社 素戔嗚尊すさのおのみことを祭る。 由緒不詳。
       建物、間口 1尺、奥行き 1尺
2 大杉神社 神直日命かむなおびのみこと大直日命おおなおびのみことを祭る。 由緒不詳。
       建物、間口 1尺、奥行き 1尺。
3 水神社  罔象女命みつはのめのみことを祭る。 由緒不詳。  
       建物、間口 1尺、奥行き 1尺
4 愛宕神社 軻遇突知命あぐつちのみことを祭る。 由緒不詳。
       建物、間口 1尺、奥行き 1尺。
5 稲荷神社 稲蒼魂命うかのみたまのみことを祭る。 由緒不詳。
       建物、間口 1尺、奥行き 1尺。
6 明正神社 神直日命かむなおびのみこと大直日命おおなおびのみことを祭る。 由緒不詳。
       建物、間口 1尺、奥行き 1尺。
7 子安神社 木花開邪姫命このはなさくやひめのみことを祭る。由緒不詳。
       建物、間口 1尺、奥行き 1尺
(神社明細帳)


拝殿と本殿は つながっていません

この配置を見て、当神社の近く(印西市・白幡)にある八幡神社を思い出しました。

本殿は 木で造られた 美しい瑞垣みずがきに囲まれています


本殿前にある引き戸は、左右に開いていました


本 殿


神額は懸かっていません


本殿に向かって右手 祠や小社が見えます


何の神社か分かりませんでした


本殿の後方から見た景色 いちばん右に見えるのは神楽殿


本殿に向かって左手の高みには、二つの小社がありました。

小社 1


中には子安観音が安置されていました


小社 2


中を見ると、台座には左三つ巴紋がありました


左手の奥には トイレがあります


境内から鳥居方向を見た景色


手水鉢には 三猿が彫られていました(珍しい 元禄13年(1700)

手水鉢の右の方には 「庚申待供養成就」と刻されています。



余 談

往路は、観音寺の仁王門前から どう進めばいいのか分からず、ぐるりと遠回りしてしまいました。
仁王門左横の道を進めば すぐに行けると分かったのは、帰路についてからのことです。

遠回りをした往路では、切り通しの道をのぼりました。
道の始点には「新道開鑿記念碑」が建っていました。

新道開鑿記念碑 大正12年(1923)

この記念碑は 大正12年のもの。
もう百年近くが経っています。

「新道」をのぼりきって進むと、三叉路に至り、そこには石塔が建っていました。

三叉路に 二つの石塔が見えます


どちらも道祖神でした 左 嘉永4年(1851) 右 宝暦13年(1763)


道祖神の下には、タチツボスミレが咲いていました

遠回りののち、ようやく神社に たどり着きました。