2013年4月11日木曜日

鎌ケ谷の大師堂(1) 第10番札所 粟野青年館

「東葛・印旛大師講」という講が 現在も行われています。
この講は、四国霊場を模した八十八カ所の札所を巡る行事として実施されるもので、江戸時代末期になって成立。200年をこえる歴史をもつそうです。

霊場(札所)は 四国霊場と同じような地形を選んで八十八カ所 設けられており、柏市に69カ所、白井市に10カ所、鎌ヶ谷市に5カ所、松戸市に4カ所あるそうです。

鎌ケ谷市にも札所が5カ所あるとのこと。
今井堤に出かけた際に見た大師堂、前にどこかで似たようなものを見た記憶が。
パソコンに収められた写真を調べると...
ありました。

まずその第1弾は、ほぼ船取線沿いにある粟野青年館。
昨年の9月に訪れていました。

粟野青年館の右に大師堂があります

この写真を撮った頃は、いったい何なのか全くわかりませんでした。
いまは、ほんの少しだけわかります。
この場所は「千寿坊」と呼ばれるようです。
下の写真は、大師堂の外観です。

大師堂


2013.04.19 追 記

大師堂には2つの扁額が掛かっています。
下の写真はその一枚です。

大師堂の屋根の裏に見える和歌

「阿わ能じや しばらまつばら わ希ゆけば 奈可能まきにて 駒ぞい左むる」

(粟野路や 芝原 松原 分けゆけば 中野牧にて 駒ぞ諌むる )

といったことが書かれているのでしょうか。

ネットで調べていたら、西国三十三所の第四番札所である「槇尾山」・施福寺(大阪府和泉市)の山号の元となったという歌をみつけました。
西国三十三所の開祖ともいえる花山天皇(花山院・花山法皇)の詠んだ
「みやまぢや ひばらまつばら わけゆけば まきのおてらに こまぞいさめる」
 (深山路や 檜原 松原 分けゆけば まきのお寺に 駒ぞいさめる)
という歌です。
「槇尾山」という山号は、この歌から取ったのだそうです。

粟野の大師堂の扁額の歌は、この御詠歌を本歌取りしたものではないかと思われます。
浅学にて、これ以上のことはわかりません。

この追記 おわり



2013.05.13 追 記
もう一枚の扁額がなんとか読み取れました。
字が薄れてしまっていて すぐにはわからなかったのです。

四国霊場第十番札所は切幡寺

読み取れない部分もあるのですが、こう書いてあるのではないでしょうか。

「第十番 阿波切幡じ寫
よ久しんを多ゝ ひとすじに きりは多じ のち能よま亭の 左わり登そなる」

(第十番 阿波切幡寺写
欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる)

本家 切幡寺の御詠歌であるようです。

この追記 おわり



大師講に関係している2つの記念碑があります。
どういう意味をもつものなのかは、調べてみないとわかりません。

粟野で結願が行われたときの記念碑 (1960)


高野山と四国八十八ヶ所の巡拝記念碑 (1976)

通いなれている粟野の森。
その目と鼻の先に未知のものが存在しています。
俄然おもしろくなってきました。

『鎌ケ谷市史 別巻』で調べてみたら、市域にある「東葛・印旛大師講」の札所は4カ所だそうです(他資料では5カ所となっているのはなぜか)。

それらは以下のとおり。

 ・粟 野 (第10番札所 : 粟野青年館)
 ・佐津間 (第41番札所 : 宝泉院)
 ・軽井沢 (第16番札所 : お堂 <軽井沢自治会館横> )
 ・初 富 (第12番札所 : 初富稲荷神社)

すべて行ったことのある場所でした。

しかし、そのときには どんな意味をもつ場所であるのかを知らなかったのです


なお、くぬぎ山一文字には掛所となっている大師堂があります。
以下をご覧ください。

 ➜  鎌ケ谷の大師堂(5) くぬぎ山にある掛所



追 記 2015.09.20

季刊のタウン情報誌「City かまがや」の2015 秋号では、「東葛・印旛大師講」の特集を組んでおり、実に見事な内容となっています。
ぜひ入手して ご覧いただきたいと思います。
(冊子をくださった軽井沢のN氏に感謝します。)

P.11には、鎌ケ谷市内の札所と掛所の全てが載っていて大変参考になります。
掛所として「中村善並大師」が今年度から追加されたようです。
市民体育館近く、鎌ケ谷自動車学校の隣にレストラン「ぜんなみ」があり、その前を通る道路の反対側に中村家の墓所があります。敷地内に「南無大師遍照金剛」の石碑が建っています。

タウン情報誌 「City かまがや」 2015 秋号 P.11



 ➜  鎌ケ谷の大師堂(2) 第12番札所 初富稲荷神社