2016年1月27日水曜日

印旛を歩く(24) 萩原地区構造改善センター (印西市・萩原)

萩原地区構造改善センターを訪ねました。

萩原地区構造改善センターとその周辺
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用


敷地内には意外なものが見られました。
直接訪ねてみないと、その実際は分からないものです。

広々とした場所の向こうに建物が見えます そして、右手には鳥居?


萩原地区構造改善センター 全景


センターを正面から撮ったもの


センターの玄関


印西市消防団第2分団 消防器具庫


右手には 鳥居があり、その背後には小社や石塔があります


鳥居には 「八坂神社」と彫られた神額が懸かっています


鳥居をくぐった正面には 「八坂神社」と「大杉神社」の小社


様々な石塔が並んでいます


4つの小社が並んでいます


印西大師 第2番札所の大師堂がありました


扁額は 文字がすっかり消えてしまっていました 残念です


この場所は「龍泉院」の廃寺跡です。
廃寺跡の例に違わず、広々と開けた場所でした。

この「龍泉」については、いくつかの印西大師関連のHPに「竜泉」として掲載されていますが、『千葉県印旛郡誌』や 印西市・押付にある薬師堂の石塔に刻されている文字から推して考えると「龍泉」が正しい名称であると思います 。


「龍泉院」は、大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』の「六合村誌」のうち、「寺院仏堂誌」に以下のように書かれています(後編 P.391)。

(2) 龍泉院

萩原村 字辺田谷 へ た やつにあり、天台宗比叡山派にして泉倉寺末なり。
阿弥陀如来を本尊とす。
由緒不詳。

間口 5間3尺、奥行き 5間。
境内 353坪あり。


また、印西市・押付(前 本埜村)にある薬師堂の石塔については、以下をご覧ください。

➜  本埜の仏刹(9) 押付の薬師堂 (印西市・押付)

萩原の龍泉院の名が見える「南無大師遍照金剛供養塔」は、 昭和4年(1929)の建立です。
少なくともこの頃には、まだ龍泉院は存在していたことが分かります。


➜  印旛を歩く(23) 吉高地区構造改善センター (印西市・吉高)

➜  印旛を歩く(25) 松虫地区構造改善センター (印西市・松虫)