2016年1月30日土曜日

印旛を歩く(26) 松虫寺 (印西市・松虫)

久しぶりに松虫寺を訪れました。

2011年10月下旬に初めて訪れたときの写真も合わせて掲載します。
写真の説明の後ろに「」印が付いているものは、このときの写真です。

松虫寺 仁王門の前 


仁王門を右手から見たところ 


松虫寺 仁王門 左右に仁王像が立っています


「摩尼珠山」と山号が書かれた額が懸けられています 


松虫寺 本堂 左奥は松虫姫神社


回向柱が本堂の前に建っています


本堂の右奥に小さなお堂があります


瑠璃光殿 1967年建立 七仏薬師如来像は 1970年に薬師堂から移す


七仏薬師如来像 御開帳時に撮影


七仏薬師如来像の説明書き 


鐘 楼


松虫寺の由緒等が書かれた石碑 


石碑よりも分かりやすく書かれている「松虫寺の概要」

上の石碑の内容を以下に書き写してみます。


松虫寺の概要

 松虫寺は奈良時代、聖武天皇の天平17年(745)、僧行基の開創と伝えられ、始め三輪宗、のち天台宗、そして真言宗に所属し今日に至っている。
 寺伝によれば、聖武天皇の皇女松虫姫(不破内親王)が重い病に患られた時、不思議な夢のお告げにより、下総に下向され、萩原郷に祀られていた薬師仏を祈り、重患が平癒したので、天皇は、行基に命じて七仏薬師を刻み一寺を建立し、姫の御名をとって松虫寺と名付けられたという。
 現在の本尊、七仏薬師如来は榧材の一本造りで、平安後期の特色を伝える優作として、昭和34年(1959)、国の重要文化財に指定された。
 南面する仁王門、薬師堂は江戸時代、享保3年(1718)に改築されたもの、山号額は儒者 佐々木文山、薬師堂の扁額は、釈雲照の染筆である。

 西面する本堂は、寛政11年(1799)の建立で、阿弥陀如来、不動明王、松虫姫尊像をまつる。
 薬師堂の裏手の松虫姫御廟は、御遺言により分骨埋葬されたものと伝えている。


 平成8年7月 摩尼珠山 医王院 松虫寺



大師像と石塔


印西大師 第75番札所の大師堂


扁 額 薄れてはいますが、何とか読めます

四国霊場 第75番札所の「五岳山 善通寺」の御詠歌が書かれています。

  我住まば よも消え果てじ 善通寺
  深き誓(い)の 法のとも(し)


仁王門の近くに 犬卒塔婆が立てられていました


松虫寺境内の左手にある松虫姫神社 その鳥居


手前は松虫寺本殿 奥は松虫姫神社の社殿


松虫姫神社の社殿


松虫姫神社の社殿を右手から見たところ 



松虫寺鐘楼の右手にある六所神社 その鳥居 


六所神社の小社


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