2016年5月7日土曜日

鎌ケ谷の大師堂(15) 2016年 東葛印旛大師巡拝(送り大師)
  結願区 金ヶ作かねがさく 祖光院(松戸市・金ヶ作)

2016年の「准四国八十八ヶ所 東葛印旛大師巡拝(送り大師)」の結願は、5日間の巡拝の最終日である 5月5日(木・祝)に、松戸市金ヶ作にある祖光院で行われました。

祖光院は、新京成線 常盤平駅から歩いて10分ほどの距離です。
駅と祖光院の間には、この結願に関わった金ヶ作自治会館や熊野神社があります。

祖光院の位置 赤い線は 練り込み行列のコース
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用


結願に先立って行われる練り込み行列は、金ヶ作自治会館が出発地でした。

金ヶ作自治会館 練り込み行列の出発地です


熊野神社の鳥居 金ヶ作自治会館のすぐ隣にあります


熊野神社境内に用意された 各地区大師組合の休憩場所


先達の方たちの控え室 逆井は昨年の結願区、鎌ケ谷は来年の結願区


東葛印旛大師 第56番札所の大師堂(熊野神社)

大師堂に寄ったあと、金ヶ作自治会館の方へと戻りました。


10時半過ぎ、練り込み行列が開始されました。

露払い そのすぐ後ろには法螺貝を吹く吹螺師 そして稚児たち


万灯1号 ・ 2号


旗持ち 僧侶


先達 大師像厨子 大傘持ち


万灯と旗


背負われた大師像厨子


祖光院に向かう一行 電線等に触れぬよう万灯を下げての移動


各地区の巡拝者のみなさんが連なります


祖光院 山門 「金成山」「祖光院」とあります (曹洞宗の寺院です)


灯明料の奉納掲示近辺


受付のテント


 11時45分(定時)、祖光院の本殿前で 結願式が開式されました。

結願式の次第


回向柱の代わりに垂れ幕が除幕されました

この間に、多くのご挨拶等がありましたが、省略します。

来年は 鎌ケ谷市・佐津間の宝泉院(真言宗豊山派)で結願が行われます


結願式の終了後、境内の小堂にお寄りしました。

不動堂 (祖光院境内)


東葛印旛大師 第44番札所の大師堂 (祖光院)


祖光院の山門前、道路を挟んだ向かい側には、「金ヶ作自然公園」がありました。

金ヶ作自然公園 入口付近


公園の景観


2016年5月5日木曜日

木下街道をゆく(6) 阿夫利神社 (印西市・高西新田)

その4 神社前の谷津 (太陽光発電施設)

阿夫利神社の前には谷津が広がっています。

道の先にあるのが阿夫利神社 右に見える谷津には太陽光発電施設が


太陽光発電施設は大きく、ソーラーパネルが谷津を覆っています


太陽光発電パネル


太陽光発電パネルの隣には 機器を収めたキャビネットがあります


これらの機器は どんな役割を果たしているのでしょう


太陽光発電施設の先に広がる谷津


近辺の様子 1 太陽光発電施設建設前 ( 同じ場所の写真 ➊ )


近辺の様子 2 太陽光発電施設建設前 ( 同じ場所の写真 ➋ )


近辺の様子 3 太陽光発電施設建設中 ( 同じ場所の写真 ➌ )


近辺の様子 4 太陽光発電施設建設後 ( 同じ場所の写真 ➍ )


太陽光発電施設建設中の様子 1


太陽光発電施設建設中の様子 2


2016年5月4日水曜日

木下街道をゆく(5) 阿夫利神社 (印西市・高西新田)

その3 位置図と奥の院

阿夫利神社の位置を地図上で見ておきましょう。

阿夫利神社の位置 木下街道からは大きな鳥居の横の道を行きます
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用

地図をよく見ると、阿夫利神社は 幅の狭い舌状台地の上に建てられていることが分かります。

境内には、さらに小高くなった場所があります。

拝殿の左手には さらに奥へと導くものが・・・

三の鳥居と呼べるものがあり、石段が続いています。

神額には「阿夫利神社」とあります

石段をのぼっていくと、その途中に狛犬がいます。

石段の一つ目の踊り場前にいる狛犬


石段の三つ目の踊り場前にいる狛犬


石段をのぼりきったところにも、さらに石段が続いています


「石坂 寄進」とあります 石段を寄進したときの石碑でしょうか

石段を上りきったところには、奥の院とでもいえるような社殿が祀られていました。

頂上にある小さな社殿


2016年5月3日火曜日

木下街道をゆく(4) 阿夫利神社 (印西市・高西新田)

その2 社殿と神社境内

阿夫利神社は小高い場所にあります。

この石段をのぼったところに神社があります


石段下の右手には井戸があり、その後ろには小祠があります


石段をのぼりきると 鳥居が建っています 二の鳥居になるのでしょうか


拝 殿 左手は御輿庫、右手は社務所


拝殿の正面 神額(扁額)が懸かっています


拝殿とつながっている本殿


本殿の後ろは 切り立った崖になっています


説明書き 「阿夫利神社の由来」

上の説明書きのうち 鎮座地から由緒までの部分は、大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』中の「永治村誌」にある「神社誌  (4) 村社 阿夫利神社」に拠っています(後編 P.542~543)(ほとんど、そのままです)。
後ろの方の記述は省かれていますが、重要な部分ではありません。

「阿夫利神社の由来」の内容を以下に書き写します。


   阿夫利神社の由来


鎮座地
 千葉県印旛郡印西町高西新田字石尊に鎮座、境内面積は1150坪、神域内は老木鬱蒼として、森厳の気 自ら襟を正さしめる。

御祭神
 石凝留命いしこりどめのみこと、石裂命いわさくのみこと、日本武尊やまとたけるのみこと、根裂命ねさくのみこと。

由 緒
 明和元年(1764)、海上郡銚子海底より青石2個取上しに、その石、往々奇怪のことあり。その土地において、住民これを崇敬する者多し。
 以後、祈願もその願いに応じ利益少なからず。のち住民どもこれを名づけて世直し石尊と尊称す。すなわち悪風を直し正(せい)に帰せしむるが故なり。
 住民、或は その里に移し鎮守となさんとするものあり、或は 相模の国石尊社へ奉納なさんとするものあり。論議の末、ついに奉納するの議に決せり。よって俄に神輿を作りその内に蔵し、発程(はってい・ほってい)(出発するに当たっては) 方角を占して、各駅村を巡行し、まさに奉納なさんとす。
 同年12月中旬、近隣 誉田村及び清戸村へ着せり。それより浦部村・島見社に着し、ここに暫時安置し、程なく近隣同国相馬郡布佐駅へ奉送せんとせしに、あに図らんや時すでに月迫(げっぱく)(月末)の故か、同駅においては更に受けず引き返し、なおまた帰村の上 安置す。
 その夜、村吏の者 夢みらく、青衣の老人2名、来りて日く「我等を高西新田 鎮守両社の内ヘ合祭せよ」と言いすて消失せり。
 村吏驚きて、その夜明くるを待ち、同新田兼帯(高西新田管理の職務を兼ねる) 浦部・白幡両村一同 集議して、神意に任せ、同2年(1765)6月27日、右両社境内の凸地の頂に奉納す。
 よって年々歳々同日を以て祭る。

御神徳
 荒神なるをもって
  破魔勝運、家内安全、商売繁昌、交通安全、学業成就
に霊験あらたかなり。

御祭日
 初 囃 1月最終土曜日(宮内) 1月最終日曜日(本郷、白幡両区)
 渡御の道程における部落、各当屋にて御神輿の梯子立てをし囃す。
 例大祭 7月最終土曜日
 浦部区鎮守・鳥見社より発輿し、宮内、本郷を渡御し、白幡区鎮守・八幡宮に奉じ、阿夫利神社に至る。提灯をかざし、境内に至る。石段を登り来る雄姿と、境内における梯子立てはまさに当大祭の圧巻である。
  同  7月最終日曜日
 遠方各地より講中講員多数參拝す。なお当日神楽殿においては、千葉県指定無形文化財「浦部の神楽」が奉納される。

  平成4年7月吉日
                      阿夫利神社社務所


神楽殿 ここで「浦部の神楽」が奉納されます


神楽殿の横にも建物があります


御輿庫でした お神輿が置かれていました


境内には稲荷神社がありました


様々な石碑が境内にあります


2016年5月2日月曜日

木下街道をゆく(3) 阿夫利神社 (印西市・高西新田)

その1 神社への鳥居と境内手前まで

阿夫利あふり神社は、印西市高西こうさい新田227番地にあります。

「高西新田」という地名は、現在は印西市の大字名となっていますが、元々は 江戸時代に浦部村(「浦辺村」とも書く)と白幡村が 共同で「持添新田」として開発した新田の名前でした。
「持添もちぞえ新田」とは、「新開地で反高はあるが、村居の農民が不在の土地」のことだそうです。

両村は高西新田に先立って、印西牧の一部に共同で「浦幡新田」を開発しています。
この「浦幡新田」も、印西市の大字名として現在用いられています。

「浦幡新田」の名前は、「浦部村」 と 「白幡村」から一字ずつとって付けられていますが、「高西新田」の名前の由来は不明です。
両村の西側にある小高い土地を拓いて新田としたからでしょうか?


さて、本題に戻ります。
阿夫利神社はかなり広く、その周辺を含めると 記事はけっこうな分量になるため、4回に分けて掲載することにします。

阿夫利神社への入口は、木下街道沿いに建っている大きな鳥居が目印になります。

木下街道沿いに 大きな鳥居が建っています
かつて、鳥居は 旧道(鳥居右の道)を跨いで建っていたのだそうです


阿夫利神社は、この鳥居のすぐそばにあるのでしょうか


いえいえ、鳥居横の道を1km近く進んで ようやく阿夫利神社に着きます


阿夫利神社境内のすぐ手前には、ガランとした建物があります


建物の向かって左には、小堂があります


小堂の中には 何も入っていませんでした


そばには「南無大師遍照金剛供養塔」が建っています


建物の右手には、手水鉢と 半ば以上埋もれた石塔があります


建物の中を見ると、不動明王像が安置されています

このガランとした建物は 不動堂なのでしょう。



阿夫利神社の石段脇にある不動明王像(線刻)

印西町教育委員会『印西町石造物 第六集 永治地区調査報告書』(1989)によると、調査当時、この不動明王像は 不動堂と同じ「石尊下」にあったようです。
かつての不動堂や小堂が、どんな様子だったのか知りたいものです。