宗寿寺(左端) と その近辺の地図 赤線は 練り込み行列のコース |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用
上の地図の中ほどを 南から北に向かって流れる大津川は、かつての柏市と沼南町を隔てる境となっていました。
両者が合併する前は、大津川の西側が柏市、東側が沼南町でした。
藤心は大津川のすぐ西側にあり、沼南町が合併する前から柏市に属していました (古くは土村の一地区)。
大津川 芦川橋から 上流(南)に向かって見たところ |
なお、地図の右手、「
また、地図の右下には「馬洗戸」と書かれている場所がありますが、「まあらいど」と読むようです。
「馬洗戸」という名が付いたバス停が船取線沿いにあるので、東武バスの沼南営業所に電話して聞いてみたところ、同じ読み方とのことでした。
きっとこの近くに 軍馬を洗うところがあったのでしょう。
(1) 慈 本 寺
慈本寺から宗寿寺に向けて練り込みが行われると聞いていたので、出発の時刻だという11:00に行ってみました。
たどり着いてみると、もう出発した後でした |
近くにいた方におききしたら、暑いので出発を早めたのではないかとのことでした。
駐車場のフェンス沿いに並んでから出発したようです |
フェンスに張られた紙を見て、練り込み行列の順番がよく分かりました。
以下の順でした。
⑥ 稚 児 → ⑦ 万灯二号 → ⑧ 旗持ち → ⑨ 僧 侶 → ⑩ 先 達 →
⑪ 吹螺師 → 【 ⑫ 大師厨子 】 → ⑬ 本部役員 → ⑭ 各地区役員 →
⑮ 次期結願区 → ⑯ 各地区組合員
以下のサイトには、練り込み行列の写真が掲載されています。
慈本寺山門 右に「曹洞宗 藤心山」、左に「延命院 慈本寺」とあります 右前は「不許葷酒入山門」(葷酒、山門に入るを許さず)の戒壇石 |
慈本寺の境内に立ち寄りました。
慈本寺 本堂 |
東葛印旛大師 第9番札所の大師堂 |
本家 正覚山・法輪寺の御詠歌が書かれた扁額 |
(2) 宗 寿 寺
宗寿寺に着いたときには、すでに結願式が始まっていました。
境内は、講員(大師組合員)の方々でいっぱい |
多くの方の挨拶がありました |
結願式の次第 |
大塔婆も除幕されていました |
五色の縷で 大塔婆から厨子の大師像につながっています |
講員の被っている笠に目がいきました |
笠に書かれている言葉を調べてみました。
「悟故十方空」(悟るが故に十方は空なり)
「本来無東西」(本来東も西もなし)
「何処有南北」(いずこにか南北あらん)
この文字は 梵字であり、弥勒菩薩を示します。
出現は釈尊の入滅から56億7千年後とのこと。
11時20分頃に 結願式は終わりました |
結願式のあと、境内の大師堂に立ち寄りました。
東葛印旛大師 第78番札所の大師堂 |
御詠歌の扁額を 撮影し忘れてしまいました |
大師堂を撮った写真をよく見てみると、上の方に懸かっている扁額の文字が なんとか読み取れました。
左右どちらの扁額も 御詠歌は同じようです。
中身は、本家 第78番札所 仏光山・郷照寺の御詠歌です。
第七十八番 藤心 宗壽寺
讃州 道塲寺冩
ねんぶつ 念仏
となう 唱う
登゛うじやうじ 道場寺
ひやうしを 拍子を
そろへ そろえ
かねを 鉦を
うつなり 打つなり
「道場寺」は、17世紀半ばに郷照寺へと改称する以前の寺号。
郷照寺は、真言宗と時宗の二宗派が共存しているそうです。
時宗を広めた一遍上人が帰郷し、踊り念仏の修行道場として中興したとのこと。
御詠歌は、踊り念仏の特徴を列挙した形で構成されています。
珍しい字体の石塔 活字体です 最上部には 弘法大師をあらわす 種字 यु (ユ) |
文化4年(1807)の建立 |
上の石碑には、「皇和 文化四年 歳次丁卯六月良烏」と刻まれています。
これらの言葉の意味がよく分からないので調べてみました。
「皇和」は「皇和通暦」と関係あるのでしょうか。
調べても、よく分かりませんでした。
「烏」には「太陽」(「日」と同じ)という意味があるようです。
すると、「良烏」は 「吉日」と同じ意味でしょうか。
(3) 道 祖 神
慈本寺の参道入口前、道路の反対側に 二つの石祠が祀られていました。
小さな鳥居が建っています |
どちらも道祖神だそうです |
左側の道祖神には、履物が奉納されています 石祠には、うっすらと「道祖神」と刻まれています |
* * *
法林寺は、PAZ新柏(ヨークマート)のすぐ近くです。
南東には、500mほど行ったところに 増尾城址総合公園があります。