2018年5月12日土曜日

増尾城址じょうし総合公園 (柏市・増尾)

柏市の名戸ケ谷と増尾の境にある 増尾城址総合公園を訪れました。

増尾城址総合公園 と その周辺
南駐車場  増尾城跡  中心広場  東口
南北区域連絡路  北駐車場  管理事務所
バーベキューサイト  アスレチック遊具広場
ビオトープ(水辺の区域)
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用

増尾城址総合公園は、大きく分けて、南側の増尾城跡がある区域と、北側のレクリエーション施設がある区域からなっています。
また、北側区域の東側には ビオトープがある水辺の区域があります。
南北の区域は、連絡路でつながれています。

の場所にあった案内板には、実際に現地を歩くうえで役立つ 正確な地図が描かれていました。

南側区域の東口にある案内板
水色に塗られている部分は池ではありません
「ビオトープ(水辺の区域)」
は 書き加えたものです

駐車場は、増尾城跡を見るのが目的なら南駐車場が便利です。
また、レクリエーション施設を利用するなら北駐車場が便利でしょう。


(1) 増尾城跡がある南側区域


今回は、南駐車場に駐車して、まず増尾城跡を訪ね、そのあと北側区域へ歩を進めました。

道路に面したところにある南駐車場

写真右手の看板を見ると、この道路は「ニッカ通り」とよばれているようです。
南東に800m進むと 道路沿いにニッカウヰスキーの柏工場があるからでしょう。

「駐車場利用案内」

この公園南側にある駐車場は、「ニッカ通り駐車場」という名称なのかもしれません。
ただし、柏市の増尾城址総合公園HPには、「城跡側駐車場」として載っています。

駐車場から 鮮やかな円錐花序の花が見えました
ベニバナトチノキ(紅花栃の木)でしょうか


駐車場の隣にある入口には「増尾城址公園」とありました

「増尾城址総合公園」という名称になる以前には、「増尾城址公園」とよばれていたようです。

道を上っていくと、[城址 ➔]と行先表示が出ていました


土塁等で起伏に富んでおり、いかにも平山城ひらやまじろらしい地形です


ここは 増尾城跡の副郭(Ⅱ)であるようです


「増尾城跡」の説明板がありました

この場所の概要を知るうえで、ちょうどよい解説だと思いますので、以下に書き写します。

   増 尾 城 跡ます お じょうあと 


 増尾城址公園の一角には、約500年前の戦国時代後半代の築造形態を残す中世城郭が所在します。

 城跡の由来については、当時の資料が残されていない今、城主や築城の目的など詳しいことはわかりませんが、大正11年刊行の「土村誌」には、土地ではこの山を「城山」と呼んでいたこと、同12年に編纂された「東葛飾郡誌」には、戦国時代、当地は、小金領にあり小金城(松戸市)を本拠とする高城氏の家臣平川若狭守が城主であったと推測されています。

 城跡は、西側から東側へつきだし小規模な舌状の台地に立地し、南側眼下には手賀沼に注ぐ大津川の分流が流れ、北側から東側にかけてはゆるやかに下る谷とけわしい崖となり自然地形を取り込んでいます。台地郭面の標高は約20m、河川低地面は約9mで、高低差は約11mあります。

 郭の構造は、東西約130m、南北45~100mで東西に長い三角形状の縄張構成となり、台地東端の先端部に三角状の主郭(I)と台地西側の方形の副郭(Ⅱ)が連続して並びます。それぞれの郭は、土塁、横堀(空堀)、切岸(崖)などの防御施設で取り囲まれ、虎ロ(出入りロ)が2ヵ所設けられでいます。郭内の土塁の高さは2.5~3mあります。主郭と副郭の北西辺の槌塁がとぎれないこと、南西隅に大規模な張り出し櫓があるところが特徴とされます。

 城跡眼下の河川は分水嶺(郡境)とされ、この南側一帯には、鎌倉・南北朝時代に「相馬御厨」という伊勢神宮の荘園が置かれ、『相馬文書』によると千葉氏庶流の相馬氏が代々土地を伝領したことが知られ、増尾字本郷には相馬氏の守護神とされる妙見堂跡や相馬氏の居館とされる幸谷城館跡などが点在します。

説明板の地形図部分


副郭(Ⅱ) 土塁の右端は 主郭(Ⅰ)への虎口 こ ぐち(出入口)


主郭(Ⅰ) 切り立った舌状台地上にあります


主郭(Ⅰ)の近くからは、眼下に大津川支川流域(元は谷津田)が見えます


ニッカ通り側には、正面入口もあります。

正面入口 写真右に見える階段を上ります


正面入口にも「増尾城址公園」とあります


中心広場


中心広場にあった案内図


かつては谷津だった場所に 散策路が延びています

冒頭の地図を見ていただくと、この辺りの地形がよく分かります。


南側区域の東口


(2) レクリエーション施設がある北側区域


南側区域の東口を出て北に進むと、北側区域に至る連絡路があります。

南北の区域をつなぐ連絡路

連絡路をしばらく進むと北側区域に到達します。

北駐車場 65台駐車できるそうです


芝生広場 と 管理事務所(右端)


バーベキューサイトの案内図 掲示位置の都合上、右が北の方角です
アスレチック遊具広場も 案内図の下方に描かれています


木製遊具 「リスの山越え」


木製遊具 「クモの巣ネット」


アジサイの花が咲いていました


(3) ビオトープがある水辺の区域


北側区域の近くを下ると、増尾城址総合公園の一部としてビオトープが設けられています。
また、増尾湧水が見られます。

ビオトープの近くにも駐車場があります


「ビオトープ前駐車場」というのでしょうか


ビオトープの景色


「増尾湧水」の説明書き


斜面林の下から水が湧いていました


水の流れが目に見えました


増尾湧水の傍に建っていた庚申塔
文化元年(1804) 造立


庚申塔の隣には小さな馬頭観音塔がありました
その前には 大きなガラガラが置かれていました


ビオトープの近くには水田が広がっていました


ビオトープ近くの三叉路にあった庚申塔
文政10年(1827) 造立



増尾城址総合公園の東側には、芝浦工大 柏中学高等学校があります。
とても きれいな校舎です。

芝浦工業大学 柏中学高等学校 ここには かつて谷津田がありました



付  記

入口の公園名表示や各所に置かれた案内図を見ると、「増尾城址《総合》公園」は、段階的に拡張されていった様子がうかがえます。
以下の経過をたどったのではないでしょうか。

1 最初に増尾城跡を中心として「増尾城址公園」が設けられた
   根拠 1 城跡区域の入口表示には、「増尾城址公園」とある
   根拠 2 中心広場の地図は、南側区域のみを表示

2 次に北側区域の開園し、アスレチック遊具広場が設けられた
   根拠   南側区域 東口の地図には、連絡路と北の区域の表示がある

3 そのあと、北側区域にバーベキューサイトが設けられた

4 最後に水辺の区域(ビオトープ)が設けられた
   根拠   南側区域 東口の地図には、ビオトープの表示がない


詳しいことを知りたくなり、柏市役所の公園管理課に電話をかけました。
分かったことは、以下のようなことです。

・ 「増尾城址公園」の供用開始は、昭和56年(1981)5月1日。
・ 「増尾城址総合公園」と改称されたのは平成6年(1994)。
・ 平成13~14年度(2001~2002)に北側区域を整備
・ 北側区域の整備開始は、平成13年8月
・ 平成15年(2003)の終わりに管理事務所(北側区域)が設けられた
・ ビオトープの詳細については不明

こうした公園の歴史はきちんと残されていないものだと実感しました。
わずかに残っている資料をもとに、これらの情報を提供してくださった担当の方に心から感謝いたします。


追 記 2018.05.24

正面入口、木製遊具、ビオトープ区域の写真を追加しました。