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| 愛宕・鳥見神社と その周辺 | 
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用
愛宕・鳥見神社は、印西市役所の本埜支所(旧・本埜村役場)のすぐ近くにあります。
所在地は、印西市
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| 印西市役所 本埜支所 | 
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| 本埜支所とは道路を挟んで反対側の小高い場所に 当神社はあります | 
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| 参道への入口 道路に面しています | 
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| 燈籠と その奥に続く参道 | 
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| 参道 ・ 鳥居 ・ 石段 | 
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| 木造の両部鳥居です | 
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| 神額には「愛宕・鳥見 両社」とあります | 
この神社は、「愛宕神社」と「鳥見神社」の
合祀されるに至った経緯と時期は不明です。
文政10年(1827)に再建されたとのことですから、このときには すでに合祀されていたのかもしれません。
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| 江戸時代に造られたという石段 96段あるとか | 
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| 石段途中の左右にあった庚申塔 | 
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| 傷んできている石段 | 
大正5年(1916)発行の『千葉縣本埜村誌』(千葉縣印旛郡本埜村役場 編集・発行)の Pp.250~251 には、以下のように書かれています。
(四) 村社 愛宕、鳥見神社合社 (印波十八鳥見の一なり)
大字笠神字郷402番地にあり、
由緒不詳。
社殿用材
竣工は文政10年(1827)10月にして、石工は姉崎石工・久兵術。
棟梁は千葉郡武石の忠蔵。
彫刻は後藤某の作なりとも。
拝殿、間口4間・奥行2間。
玉垣、高さ7尺5寸・延長6間2尺。
鳥居用材惣槻、四ツ足明神造(両部鳥居)にして 高さ2間1尺5寸。
水屋は石盥にして、これまた文政年間の設備にかかれり。
境内292坪なりしが、明治38年(1905)3月15日、隣番401番の土地台帳面積5反(1反=300坪)8畝(1畝=30坪)6歩(1歩=1坪)の内、実測面積3反4畝11歩(計 1.031坪)は内務省指令千甲第41号を以て境内に編入許可せられたり。
神官は石弁重徳にして、氏子120戸を有す。
管轄庁まで8里なり。
本社は、往古、小林・平岡・中根と同じく印波十八鳥見の一にして、荘厳なるものなりしか。
中古、村里大火のため 共に類焼し、棟札及び由緒書等烏有に帰し、その事実を詳かにせざるは遺憾の至りなりき。
その後、永く建立することあたわざりしか。
ようやく文政10年(1827)に至り 期熟し、協議成り再建せりという。
境内は、村の中央、田園中に屹立せる 7丈有余の丘上(文政年間 築設にかかる96の石段あり)にあり、老樹欝々として、また遠く八生村・公津村及び利根川を隔てて、常陸の平野及び筑波の峯を望み、近くは印旛沼・中根・笠神・埜原の耕地中、人家の点在するを眺め、景色勝れ、風清く、夏時なお涼を納むるに適せり。
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| 石段を登り切った境内にある庚申塔など | 
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| 水屋(手水舎) と 石盥(水盤) | 
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| 拝 殿 | 
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| 本 殿 | 
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| 本殿の後ろ 見事な四手先の腰組 | 
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| 拝殿側から境内を振り返って見たところ | 
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| 石段最上部から見下ろしたところ ブルーシートの先にも 急な石段 | 
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| 参道に 小さなトキワハゼが咲いていました | 
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愛宕・鳥見神社の参道入口の南隣には、表前観音堂があります。
「表前」とは、この場所の小字名です。
この観音堂について調べたのですが、詳しいことは分かりませんでした。
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| 表前観音堂 | 
観音堂の隣には 大師堂のようなものが建っていました。
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| 大師堂? | 
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| 弘法大師像が見えました | 
お大師様が鎮座していますので、これは大師堂でしょう。
印西大師71番札所が、印西市笠神413番地辺りにあるようです。
この大師堂とは違うようですので、確認にいきたいと思います。
その折に、近所の方からお話をうかがってきます。
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| 近くでヤマボウシの花が 白く咲いていました |