清田松琴について これまでに書いた記事を、縦書きにしてまとめてみました。
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➜ PDFファイル「松琴氏 俳人ながら牛飼である」
➜ 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その1) 句 碑
2014年1月23日木曜日
2014年1月21日火曜日
「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その3) 憶えたい21句
松琴の句には、憶えておきたい名句があります。
そこで、21句を選んで以下に掲載します。
なお、句の冒頭には句集『牛飼』のベージ番号を付しました。
P.14 苗床の息に濡れたる温度計
P.17 ぜんまいの二つのこぶし相そむき
P.28 鳥の巣があると手眞似をして招く
P.33 全くの蛙の闇となりにけり
P.68 乾きたる音して麦の刈られたる
P.93 秋の雨やまねば休む野良着脱ぐ
P.105 一水のかがやき走る花野かな
P.107 木犀の眞っ暗がりに匂ひけり
P.125 雀影こぼるる縁や蒲団干す
P.132 誰も来ぬ所えらびて日向ぼこ
P.137 笹鳴のふと聞こえたる足を止め
P.152 庭枯れて歩るく処の決まりをり
P.154 年の瀬の用事いろいろみな愉し
P.22 酪 農 に 転 業
春暁の靄流れ入る牧舎かな
P.25 春泥に牛乳垂らし集乳車
P.32 病む牛の泪拭きやる余寒かな
P.57 汗の香の牛乳の香のシャツを脱ぐ
P.101 病む牛に厚く敷きたる今年藁
P.117 搾乳の果てて銀漢濃かりけり
P.5 復員の兄よ弟よ野良始め
P.13 をりをりに余花(よか)の散り来る峡田(はけた)かな
(貝柄山公園南口の左隅にある句碑に刻まれています)
➜ 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その4) 清田松琴のこと
そこで、21句を選んで以下に掲載します。
なお、句の冒頭には句集『牛飼』のベージ番号を付しました。
季節を詠んだ句
春
P.14 苗床の息に濡れたる温度計
P.17 ぜんまいの二つのこぶし相そむき
P.28 鳥の巣があると手眞似をして招く
P.33 全くの蛙の闇となりにけり
夏
P.68 乾きたる音して麦の刈られたる
秋
P.93 秋の雨やまねば休む野良着脱ぐ
P.105 一水のかがやき走る花野かな
P.107 木犀の眞っ暗がりに匂ひけり
冬
P.125 雀影こぼるる縁や蒲団干す
P.132 誰も来ぬ所えらびて日向ぼこ
P.137 笹鳴のふと聞こえたる足を止め
P.152 庭枯れて歩るく処の決まりをり
P.154 年の瀬の用事いろいろみな愉し
酪農を詠んだ句
春
P.22 酪 農 に 転 業
春暁の靄流れ入る牧舎かな
P.25 春泥に牛乳垂らし集乳車
P.32 病む牛の泪拭きやる余寒かな
夏
P.57 汗の香の牛乳の香のシャツを脱ぐ
秋
P.101 病む牛に厚く敷きたる今年藁
P.117 搾乳の果てて銀漢濃かりけり
その他の句
新 年
P.5 復員の兄よ弟よ野良始め
句碑にある句 (春の部)
P.13 をりをりに余花(よか)の散り来る峡田(はけた)かな
(貝柄山公園南口の左隅にある句碑に刻まれています)
➜ 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その4) 清田松琴のこと
2014年1月17日金曜日
「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その2) 句集『牛飼』から
この投稿のタイトル「松琴氏 俳人ながら牛飼である」という言葉は、清田松琴の句集『牛飼』に寄せた高浜年尾の序文から採ったものです。
この句集の題も年尾によって名付けられたのでしょうか。
句集『牛飼』は、全部で160ページほどあり、各ページに三句ずつ載っています。
俳句を解さぬ身を顧みず、気に入った句を以下に抜き書いていきます。
部立ては、一般的な季語に応じて、「新年」「春」「夏」「秋」「冬」となっています。
なお括弧内に読みを加えた句がありますが、正しいかどうかまったく自信がありません。
P.5 新年の辞もそこそこに炉によばれ
復員の兄よ弟よ野良始め
P.6 初市に出すと仔牛にブラシ当て
P.7 三十頭牛健やかに牧の春
元旦の夜も休まずに牛乳(ちち)搾る
牛の乳いたはり搾る初仕事
P.8 灯ともして明るき牧舎初仕事
牛の世話仔牛の世話や去年(こぞ)今年
P.11 疎開の荷下ろし重ねぬ梅の庭
P.13 売りに来しメロンの種を少し買う
をりをりに余花(よか)の散り来る峡田(はけた)かな
(貝柄山公園南口の左隅にある句碑に刻まれています)
P.14 苗床の息に濡れたる温度計
P.17 ぜんまいの二つのこぶし相そむき
P.19 昭和二十四年四月船橋三田浜、玉川に年尾先生を御招き申して
憩ひ合い勵しあひて耕せる
ほいほいとすねる耕馬にさからはず
P.20 畦焼いて休耕する気さらになく
P.22 酪 農 に 転 業
春暁の靄流れ入る牧舎かな
P.23 休耕と決まる寄り合ひ遠蛙
P.24 大師めぐり近づく寺の垣修理
P.25 芽ぶきたるものに跼(せくぐ)みてゐたりけり
自転車に乗りてお使ひ春の風
春泥に牛乳垂らし集乳車
P.26 凍て解くる休田売る気なしとせず
栃木より萱取り寄せて屋根を替ふ
山鳩のよく来る畠種を蒔く
P.27 講中の夕餉賑やか花の坊
牛の値もきまり花見の下話
P.28 屋根替の梯子足らぬと取りに来し
鳥の巣があると手眞似をして招く
落ちて来し凧に起ちたる牧の牛
P.29 牛小屋に棲みつくらしき孕み猫
消えたりと思う芝火の燃え上り
牛飼に春眠と云ふ刻(とき)の無く
P.30 梨の花咲き交媒のアルバイト
P.31 三小子さんと左千夫生家を訪ふ
ほの暗き左千夫の旧居春の昼
馬醉木咲く歌人左千夫の旧居かな
P.32 病む牛の泪拭きやる余寒かな
P.33 全くの蛙の闇となりにけり
P.34 山水の湧き出る深田打ちにけり
P.35 念願の虚子忌に参じ独りなる
牛飼の吾も末座に虚子忌かな
P.36 牛の虻動けぬ程に血膨れて
P.37 病む牛の看とりに疲れ春寒し
P.38 牛飼の花に遊べるいとまかな
P.39 山の藤たれて旧道廃れたる
P.40 夜桜に風吹き立ちて冷え来たり
P.46 アドバルン地に降ろされて陽炎へる
牛の産衣(うぶぎ)籬(まがき)に干してあたたかし
P.47 すぐ乾く仔牛の産毛あたたかし
誘はれず誘はず参る虚子忌かな
P.48 年尾先生病床に在(おわ)す虚子忌かな
P.52 今開く月見草あり話しおり
P.53 労はりて病後の妻と麦を打つ
P.56 一家みな牛臭くなる夏の来し
P.57 汗の香の牛乳の香のシャツを脱ぐ
P.58 山羊曳いて幼稚園長夏休み
蝮捕袋をあけて見せ呉れし
P.61 小屋の牛白雨に頸を差し伸べぬ
老鶯の終日鳴ける過疎部落
P.64 田植焼したる手にさす日傘かな
P.65 亡き父に似て来し吾が手草を引く
P.67 足らぬ水分け合ひ田植済せたる
鎌 ヶ 谷 入 道 池
廃れ田の芦疎らなり行々子(ぎょうぎょうし)
P.68 乾きたる音して麦の刈られたる
P.69 今刈りし麦に坐りて鎌研げる
P.70 梅もぎし梯子其のまゝ掛けてあり
P.75 蝮酒見せて蝮を捕る話
P.80 降り暗む雨恐ろしき茂りかな
P.84 牛の世話終へて牡丹に佇ちにけり
紫は雨に適へり桐の花
P.87 六實新井医院
長き夜の影作るなり万年青(おもと)鉢
露深し灯せば流る暁の霧
初秋や草の中なる萩の丈
P.90 この天氣また変わるぞと稲架(はさ)外す
P.91 西瓜番昼は鴉を威す役
P.92 作り咳一つ大きく西瓜番
P.93 秋の雨やまねば休む野良着脱ぐ
P.94 稲妻や更けて見廻る牧の牛
P.95 獣医待つ夜寒の牧舎灯しあり
P.96 魂棚(たまだな)の鼠のつきし茄子の馬
黍の穂に柵よりのびし牛の口
P.97 露に濡れ霧にも濡れて牧の牛
P.98 ホトトギス牛久沼吟行
河童碑に降りて冷たき沼の雨
木の実降る道来て芋銭(うせん)旧居あり
P.101 病む牛に厚く敷きたる今年藁
夜食とり牛のお産を待っており
P.102 牛の産済ませ夜食の牛乳(ちち)を飲む
P.103 秋出水引かぬ牧舎に牛立てり
蜩(ひぐらし)に起きて搾乳勵みけり
P.104 薮からし花をもちつつはびこりぬ
捕って来しがちゃがちゃ牧に放しやる
P.105 土 氣 善 勝 寺
山柿と見上げてをれば鵯来たる
一水のかがやき走る花野かな
P.106 朝 蜩 夕 蜩 に 搾 乳 す
P.107 木犀の眞っ暗がりに匂ひけり
P.114 牛飼も牛も疲れている残暑
P.115 牛の肌温き夜寒となりにけり
P.117 搾乳の果てて銀漢濃かりけり
P.118 秋晴や牛を囲みて写生の子
P.119 朝寒の言葉短くすれちがう
P.120 牛飼の左千夫を偲び獺祭忌
P.121 年 尾 先 生 病 臥
病める師の一消息やホ句の秋
P.122 牛小屋の牛怯え啼く夜の野分
P.125 雀影こぼるる縁や蒲団干す
P.126 慕いよる子らに優しく風邪の妻
しみじみと「ホトトギス」読む炬燵かな
P.128 ホトトギス初入選
替えし馬又気に入らず炉辺の父
P.129 大根を洗ってをりて振り向かず
P.130 涙ためて吾を見てゐる風邪の牛
P.131 小屋の牛に馴れて下り来る寒雀
P.132 誰も来ぬ所えらびて日向ぼこ
P.133 炬燵では済まぬ用談持ち込まれ
P.137 笹鳴のふと聞こえたる足を止め
P.142 一束の軍手買ひたる年の市
P.146 なりふりもなく着膨れて牛買ひに
P.149 牛買ひに出掛る軍手真新し
P.152 庭枯れて歩るく処の決まりをり
P.154 年の瀬の用事いろいろみな愉し
➜ 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その3) 憶えたい20句
この句集の題も年尾によって名付けられたのでしょうか。
句集『牛飼』への年尾題字 |
句集『牛飼』は、全部で160ページほどあり、各ページに三句ずつ載っています。
俳句を解さぬ身を顧みず、気に入った句を以下に抜き書いていきます。
部立ては、一般的な季語に応じて、「新年」「春」「夏」「秋」「冬」となっています。
なお括弧内に読みを加えた句がありますが、正しいかどうかまったく自信がありません。
新 年
P.5 新年の辞もそこそこに炉によばれ
復員の兄よ弟よ野良始め
P.6 初市に出すと仔牛にブラシ当て
P.7 三十頭牛健やかに牧の春
元旦の夜も休まずに牛乳(ちち)搾る
牛の乳いたはり搾る初仕事
P.8 灯ともして明るき牧舎初仕事
牛の世話仔牛の世話や去年(こぞ)今年
春
P.11 疎開の荷下ろし重ねぬ梅の庭
P.13 売りに来しメロンの種を少し買う
をりをりに余花(よか)の散り来る峡田(はけた)かな
(貝柄山公園南口の左隅にある句碑に刻まれています)
P.14 苗床の息に濡れたる温度計
P.17 ぜんまいの二つのこぶし相そむき
P.19 昭和二十四年四月船橋三田浜、玉川に年尾先生を御招き申して
憩ひ合い勵しあひて耕せる
ほいほいとすねる耕馬にさからはず
P.20 畦焼いて休耕する気さらになく
P.22 酪 農 に 転 業
春暁の靄流れ入る牧舎かな
P.23 休耕と決まる寄り合ひ遠蛙
P.24 大師めぐり近づく寺の垣修理
P.25 芽ぶきたるものに跼(せくぐ)みてゐたりけり
自転車に乗りてお使ひ春の風
春泥に牛乳垂らし集乳車
P.26 凍て解くる休田売る気なしとせず
栃木より萱取り寄せて屋根を替ふ
山鳩のよく来る畠種を蒔く
キジバト(雉鳩、別名:山鳩) |
P.27 講中の夕餉賑やか花の坊
牛の値もきまり花見の下話
P.28 屋根替の梯子足らぬと取りに来し
鳥の巣があると手眞似をして招く
落ちて来し凧に起ちたる牧の牛
P.29 牛小屋に棲みつくらしき孕み猫
消えたりと思う芝火の燃え上り
牛飼に春眠と云ふ刻(とき)の無く
P.30 梨の花咲き交媒のアルバイト
P.31 三小子さんと左千夫生家を訪ふ
ほの暗き左千夫の旧居春の昼
馬醉木咲く歌人左千夫の旧居かな
P.32 病む牛の泪拭きやる余寒かな
P.33 全くの蛙の闇となりにけり
P.34 山水の湧き出る深田打ちにけり
P.35 念願の虚子忌に参じ独りなる
牛飼の吾も末座に虚子忌かな
P.36 牛の虻動けぬ程に血膨れて
P.37 病む牛の看とりに疲れ春寒し
P.38 牛飼の花に遊べるいとまかな
P.39 山の藤たれて旧道廃れたる
フジ(藤)の花 |
P.40 夜桜に風吹き立ちて冷え来たり
P.46 アドバルン地に降ろされて陽炎へる
牛の産衣(うぶぎ)籬(まがき)に干してあたたかし
P.47 すぐ乾く仔牛の産毛あたたかし
誘はれず誘はず参る虚子忌かな
P.48 年尾先生病床に在(おわ)す虚子忌かな
夏
P.52 今開く月見草あり話しおり
P.53 労はりて病後の妻と麦を打つ
P.56 一家みな牛臭くなる夏の来し
P.57 汗の香の牛乳の香のシャツを脱ぐ
P.58 山羊曳いて幼稚園長夏休み
蝮捕袋をあけて見せ呉れし
P.61 小屋の牛白雨に頸を差し伸べぬ
老鶯の終日鳴ける過疎部落
P.64 田植焼したる手にさす日傘かな
P.65 亡き父に似て来し吾が手草を引く
P.67 足らぬ水分け合ひ田植済せたる
鎌 ヶ 谷 入 道 池
廃れ田の芦疎らなり行々子(ぎょうぎょうし)
オオヨシキリ(大葦切、別名: 行々子) |
P.68 乾きたる音して麦の刈られたる
P.69 今刈りし麦に坐りて鎌研げる
P.70 梅もぎし梯子其のまゝ掛けてあり
P.75 蝮酒見せて蝮を捕る話
P.80 降り暗む雨恐ろしき茂りかな
P.84 牛の世話終へて牡丹に佇ちにけり
紫は雨に適へり桐の花
キリ(桐)の花 |
秋
P.87 六實新井医院
長き夜の影作るなり万年青(おもと)鉢
露深し灯せば流る暁の霧
初秋や草の中なる萩の丈
P.90 この天氣また変わるぞと稲架(はさ)外す
P.91 西瓜番昼は鴉を威す役
P.92 作り咳一つ大きく西瓜番
P.93 秋の雨やまねば休む野良着脱ぐ
P.94 稲妻や更けて見廻る牧の牛
P.95 獣医待つ夜寒の牧舎灯しあり
P.96 魂棚(たまだな)の鼠のつきし茄子の馬
黍の穂に柵よりのびし牛の口
P.97 露に濡れ霧にも濡れて牧の牛
P.98 ホトトギス牛久沼吟行
河童碑に降りて冷たき沼の雨
木の実降る道来て芋銭(うせん)旧居あり
P.101 病む牛に厚く敷きたる今年藁
夜食とり牛のお産を待っており
P.102 牛の産済ませ夜食の牛乳(ちち)を飲む
P.103 秋出水引かぬ牧舎に牛立てり
蜩(ひぐらし)に起きて搾乳勵みけり
P.104 薮からし花をもちつつはびこりぬ
捕って来しがちゃがちゃ牧に放しやる
P.105 土 氣 善 勝 寺
山柿と見上げてをれば鵯来たる
一水のかがやき走る花野かな
P.106 朝 蜩 夕 蜩 に 搾 乳 す
P.107 木犀の眞っ暗がりに匂ひけり
P.114 牛飼も牛も疲れている残暑
P.115 牛の肌温き夜寒となりにけり
P.117 搾乳の果てて銀漢濃かりけり
銀河 ・ 天の川 ・ 銀漢 〔写真: SokuUp より〕 |
P.118 秋晴や牛を囲みて写生の子
P.119 朝寒の言葉短くすれちがう
P.120 牛飼の左千夫を偲び獺祭忌
P.121 年 尾 先 生 病 臥
病める師の一消息やホ句の秋
P.122 牛小屋の牛怯え啼く夜の野分
冬
P.125 雀影こぼるる縁や蒲団干す
P.126 慕いよる子らに優しく風邪の妻
しみじみと「ホトトギス」読む炬燵かな
P.128 ホトトギス初入選
替えし馬又気に入らず炉辺の父
P.129 大根を洗ってをりて振り向かず
P.130 涙ためて吾を見てゐる風邪の牛
P.131 小屋の牛に馴れて下り来る寒雀
P.132 誰も来ぬ所えらびて日向ぼこ
P.133 炬燵では済まぬ用談持ち込まれ
P.137 笹鳴のふと聞こえたる足を止め
P.142 一束の軍手買ひたる年の市
P.146 なりふりもなく着膨れて牛買ひに
P.149 牛買ひに出掛る軍手真新し
P.152 庭枯れて歩るく処の決まりをり
P.154 年の瀬の用事いろいろみな愉し
➜ 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その3) 憶えたい20句
2014年1月16日木曜日
「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その1) 句 碑
貝柄山公園は、南北にyの字を逆さにしたような形をしており、三方向それぞれの端に出入口があります。
パークサイド鎌ケ谷の東側にある東中沢ふれあい緑道を貝柄山公園に向かって歩いていくと、南出入口の前へ出ます。
左の片隅の近くにいって見ると、下の写真のような小さな句碑が建っています。
「をりをりに 余花(よか)の散りくる 峡田(はけた)かな」と読むのでしょうか。
「余花」は、夏の季語で、初夏に入ってなお咲き残っている桜の花のことだといいます(もっとも、作者ご本人は句集『牛飼』において、この句を「春」の部に入れています)。
今は貝柄山公園は桜の名所ですので、それを先取りしたような句です。
ただし、この句にある「余花」の桜はヤマザクラではないかと推察します。
昔は谷津の斜面林にヤマザクラが多く見られました。
「峡田」は谷津田のことです。
今の貝柄山公園から中沢の谷津にかけては、かつて谷津田がずっと続いていました。
この句の作者が住んでいた北初富を流れる大津川源流部も同様でした。
以前から、これがどういう人の句碑であるのかずっと気になっていました。
句碑の台座部分には、句の作者は清田松琴(本名は 誠とのこと)、ホトトギスの同人と彫られています。
また、明治44年(1911年)4月生まれとあります。
ご存命なら百歳をとうに超えています。
この句碑が建てられた平成5年(1993年)の10月の頃には ご健勝だったのだと思います。
さきほどふれましたが、松琴には『牛飼』という句集があり、その題字と序文は、父のあとを引き継いでホトトギスの主宰者であった高濱年尾によるものです。
松琴は年尾の弟子でありました。
句碑の台座に「ホトトギス同人」とあるのはそれを端的に物語っています。
年尾については、「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」のサイトに、以下の解説があります。
高浜年尾 たかはま-としお
1900-1979 大正-昭和時代の俳人。
明治33年12月16日生まれ。高浜虚子(きょし)の長男。中学時代から父の手ほどきをうけ、一時会社につとめたのち俳句に専念。昭和13年から「俳諧(はいかい)」を主宰。26年父より「ホトトギス」をひきついだ。昭和54年10月26日死去。78歳。東京出身。小樽高商(現小樽商大)卒。著作に「俳諧手引」、句集に「年尾句集」。
【格言など】暮れる前からのかゞやき寒の月(「句日記三」)
句集『牛飼』が自費出版されたのは昭和54年5月のことですから、そのしばらく後に年尾は他界しています。
松琴は自著の「あとがき」において、このときすでに病床にあった年尾への感謝の気持ちを述べ、その快癒を心から願っています。
句集『牛飼』は年尾に捧げられており、二人の深いつながりを思わずにはいられません。
句集の書名にあるように、松琴は酪農業を経営しており、牛を飼っていました。
句集の口絵写真を見ると、松琴が牛とともに写っています。よい写真です。
牛に関する生活感溢れる句が句集には数多く見られます。
以下に、年尾がこの句集に寄せた「序文」を載せます。
松琴の俳句の存在意義を見事に言い尽くしています。
表題の通りその牛飼である。朝夕牛と共に寝、その毎日は牛と共にある。その日常を背景として作者は毎日を送ってゐる。牛飼の仕事の中に自分を没してその中に俳句を生み出してゐる自分を憚りなく打出してゐる尊い存在である。
牛を離れて俳句は生れない。牛にたかる蝿一匹も見逃されない。それでもそこに俳句はいくつも生れる。尊い生活俳句である。同時に身辺の俳句を盛り上げてゐる。
作者が牛と共に寝起きし共に句を語り立派な作品を諸君に訴へるのが天命であるとして一日一日が広く楽しく轉回して行くところに私はこの作品に尊敬を払ふ。諸君も同じく敬畏を払はざるを得ないだらふ。
俳句の世界は松琴氏にとりて狭い様であるが甚だ広い。私はそこに作者の美しさと楽しさを見出す訳である。
歌人故伊藤左千夫翁は牛飼である。牛飼の中に歌の境地をうたひ出してゐる。
松琴氏俳人ながら牛飼である。
然もホトトギス千号の記念として同人の一人に加はる事になってゐる。
本序文は昭和五十四年四月十四日に賜ったものであります。
師の厚意に報いるように、松琴による「あとがき」は 年尾のことを思い遣る言葉に満ちています。
私は明治生れの百姓として生き抜いて来ました。戦前は農耕業を、戦後は酪農業に転向し今日まで随分苦労もしました。
この句集は私の五十年に亙る百姓生活の記録のようなものであります。
私は只管一筋にホトトギスに拠りまして、高濱年尾先生に一牛飼の身の失礼も顧ず御懇切なる御指導を賜りました。
きみ子奥様にも随分と御高配を賜りました。
全く身に余る仕合せでございましてこの御恩は生涯忘れ得ない感激で御座居ます。
また本句集刊行に当りましては御病臥中の御不自由な御体で御懇篤なる序文及び題字を賜りまして誠に有難く何と御礼を申し上げてよいやら・・・・・御礼の言葉も御座居ません。謹んで御礼を申上げる次第で御座居ます。
高濱年尾先生の一日も早く御快癒なされますことを御祈り申上げます。
昭和五十四年五月 清 田 松 琴
➜ 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その2) 句集『牛飼』から
貝柄山公園と句碑の位置 |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しました
パークサイド鎌ケ谷の東側にある東中沢ふれあい緑道を貝柄山公園に向かって歩いていくと、南出入口の前へ出ます。
貝柄山公園の南出入口 その左の片隅には・・・・ |
左の片隅の近くにいって見ると、下の写真のような小さな句碑が建っています。
小さな句碑の正面 |
「をりをりに 余花(よか)の散りくる 峡田(はけた)かな」と読むのでしょうか。
「余花」は、夏の季語で、初夏に入ってなお咲き残っている桜の花のことだといいます(もっとも、作者ご本人は句集『牛飼』において、この句を「春」の部に入れています)。
今は貝柄山公園は桜の名所ですので、それを先取りしたような句です。
ただし、この句にある「余花」の桜はヤマザクラではないかと推察します。
昔は谷津の斜面林にヤマザクラが多く見られました。
「峡田」は谷津田のことです。
今の貝柄山公園から中沢の谷津にかけては、かつて谷津田がずっと続いていました。
この句の作者が住んでいた北初富を流れる大津川源流部も同様でした。
句碑の裏側 平成5年(1993年)10月設置とある |
以前から、これがどういう人の句碑であるのかずっと気になっていました。
台座部分に刻まれた作者の簡単なプロフィール |
句碑の台座部分には、句の作者は清田松琴(本名は 誠とのこと)、ホトトギスの同人と彫られています。
また、明治44年(1911年)4月生まれとあります。
ご存命なら百歳をとうに超えています。
この句碑が建てられた平成5年(1993年)の10月の頃には ご健勝だったのだと思います。
さきほどふれましたが、松琴には『牛飼』という句集があり、その題字と序文は、父のあとを引き継いでホトトギスの主宰者であった高濱年尾によるものです。
松琴は年尾の弟子でありました。
句碑の台座に「ホトトギス同人」とあるのはそれを端的に物語っています。
年尾については、「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」のサイトに、以下の解説があります。
高浜年尾 たかはま-としお
明治33年12月16日生まれ。高浜虚子(きょし)の長男。中学時代から父の手ほどきをうけ、一時会社につとめたのち俳句に専念。昭和13年から「俳諧(はいかい)」を主宰。26年父より「ホトトギス」をひきついだ。昭和54年10月26日死去。78歳。東京出身。小樽高商(現小樽商大)卒。著作に「俳諧手引」、句集に「年尾句集」。
【格言など】暮れる前からのかゞやき寒の月(「句日記三」)
自費出版された句集『牛飼』の表紙 |
句集『牛飼』が自費出版されたのは昭和54年5月のことですから、そのしばらく後に年尾は他界しています。
松琴は自著の「あとがき」において、このときすでに病床にあった年尾への感謝の気持ちを述べ、その快癒を心から願っています。
句集『牛飼』は年尾に捧げられており、二人の深いつながりを思わずにはいられません。
句集の書名にあるように、松琴は酪農業を経営しており、牛を飼っていました。
句集の口絵写真を見ると、松琴が牛とともに写っています。よい写真です。
牛に関する生活感溢れる句が句集には数多く見られます。
句集『牛飼』の口絵写真 |
以下に、年尾がこの句集に寄せた「序文」を載せます。
松琴の俳句の存在意義を見事に言い尽くしています。
序 文 登 戸 病 院 高 濱 年 尾
表題の通りその牛飼である。朝夕牛と共に寝、その毎日は牛と共にある。その日常を背景として作者は毎日を送ってゐる。牛飼の仕事の中に自分を没してその中に俳句を生み出してゐる自分を憚りなく打出してゐる尊い存在である。
牛を離れて俳句は生れない。牛にたかる蝿一匹も見逃されない。それでもそこに俳句はいくつも生れる。尊い生活俳句である。同時に身辺の俳句を盛り上げてゐる。
作者が牛と共に寝起きし共に句を語り立派な作品を諸君に訴へるのが天命であるとして一日一日が広く楽しく轉回して行くところに私はこの作品に尊敬を払ふ。諸君も同じく敬畏を払はざるを得ないだらふ。
俳句の世界は松琴氏にとりて狭い様であるが甚だ広い。私はそこに作者の美しさと楽しさを見出す訳である。
歌人故伊藤左千夫翁は牛飼である。牛飼の中に歌の境地をうたひ出してゐる。
松琴氏俳人ながら牛飼である。
然もホトトギス千号の記念として同人の一人に加はる事になってゐる。
本序文は昭和五十四年四月十四日に賜ったものであります。
師の厚意に報いるように、松琴による「あとがき」は 年尾のことを思い遣る言葉に満ちています。
あ と が き
私は明治生れの百姓として生き抜いて来ました。戦前は農耕業を、戦後は酪農業に転向し今日まで随分苦労もしました。
この句集は私の五十年に亙る百姓生活の記録のようなものであります。
私は只管一筋にホトトギスに拠りまして、高濱年尾先生に一牛飼の身の失礼も顧ず御懇切なる御指導を賜りました。
きみ子奥様にも随分と御高配を賜りました。
全く身に余る仕合せでございましてこの御恩は生涯忘れ得ない感激で御座居ます。
また本句集刊行に当りましては御病臥中の御不自由な御体で御懇篤なる序文及び題字を賜りまして誠に有難く何と御礼を申し上げてよいやら・・・・・御礼の言葉も御座居ません。謹んで御礼を申上げる次第で御座居ます。
高濱年尾先生の一日も早く御快癒なされますことを御祈り申上げます。
昭和五十四年五月 清 田 松 琴
清田松琴氏 近影 (句集『牛飼』奥付より) |
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