2019年4月19日金曜日

私の好きな作曲家(26) シューベルト

 


私の母は、シューベルト(Franz Schubert:1797〜1828)の『未完成』交響曲が 大好きだった。
でも、どうして好きになったのか、その理由は ききそびれてしまった。

私がクラシック音楽を聞くようになったのは、そんな母がいたからだろう。


月に母みる 我がいる


日々 私を楽しませてくれている多くの作曲家たちについて、ここまで好きなことを書き連ねてきたが、一旦ここで終えることにする。


私の好きな作曲家(25) シューマン


ロベルト・シューマン(Robert Schumann:1810〜1856)の音楽は、他の誰の音楽とも違っている。

『子供の情景』(Kinderszenen:1838)や『幻想小曲集』(Fantasiestücke:1849)、『おとぎ話』(Märchenerzählungen:1853)等の作品に特徴的に聞かれる不思議な音の移ろい。

 

誰とも似ていない不思議な音の世界。

分からない。
何なのだろう?

音楽を聴きながら異界に誘(いざな)われていく。
どうも、音楽だけからなる世界ではなさそうなところへと…

分からない。
何なのだろう?

シューマンを聴きながら、しばし考え続けることにしよう。


2019年4月18日木曜日

私の好きな作曲家(24) ハイドン


〈パパ〉・ハイドン(Franz Joseph Haydn:1732〜1809)は、作曲家としても立派だったが、それ以上に 偉大な人格者であった。

ハイドンはモーツァルトの作品に深い感銘を受け、モーツァルトのもっとも得意とするジャンルであるオペラや協奏曲の作曲をほとんどやめてしまったという。

モーツァルトは、ハイドンの『ロシア四重奏曲』(全6曲)に大きな刺激を受け、『ハイドン・セット』(全6曲)といわれる一連の弦楽四重奏曲の名曲を作曲し、愛するハイドンに献呈した。

ハイドンのことを悪く言う人などいない。
そんなことを言う人がいたら、私は その人の近くには いたくない。

その作品は大らかで、構えが大きい。

心を晴れやかにする弦楽四重奏曲の数々。
多様で美しいピアノ・ソナタ
また、交響曲もご存知のとおり。

その音楽は、それぞれ異なった響きをもつ。
演奏される場を明確に意識したうえでの作曲であったことがよく分かる。


心が平安であるときにこそ、聞きたい音楽もある。
それにぴったりなのがハイドンの音楽ではないのか?

心が いつも平安でありますようにと願う。

私の好きな作曲家(23) メシアン


メシアン(Olivier Messiaen:1908〜1992)は第2次大戦後のフランスを代表する大作曲家であった。
鳥の鳴き声の採譜でも世界的によく知られている。

メシアンの作品を特徴づけるものは、色彩的な響きに満ちた圧倒的な生命力である。
『トゥーランガリラ交響曲』(1948)のオンド・マルトノの音色は、一度聞くと忘れられない。
全曲の中ほどに位置する第5曲「星の血の喜び」では、それが顕著に聞かれる。

このオンド・マルトノが、多くの作曲家により その作品で扱われているのはご存知のとおり。
オネゲルは『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(1935 作曲)の冒頭で 夜に吠えるイヌの声として効果的に用い、さらには重要な最期の場面でも劇的効果を上げている。

楽器自体としては、メシアンの作品の方が印象に残るように思う。
メシアンの後妻となったイヴォンヌ・ロリオ=メシアンは ピアニスト。
その妹 ジャンヌ・ロリオは オンド・マルトノ奏者だった。
ともに、メシアンの作品に名演を残している。

メシアンは、その晩年に大作『彼方の閃光』(1992)を書き上げた。
その第6曲「7人の天使、7本のトランペット」において 金管楽器と打楽器とが反復されるが、その中で聞かれる ムチとティンパニの対比は、単純であるがゆえに 非常に効果的であり、深く耳に残る。


私は、この曲も NHK の FM放送を聞いて知った。
サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルによる演奏だった。

近年は、元の CD を探し当てて すぐに入手できる。
調べて入手してみると、EMI の録音であった。
なんと、EMI らしからぬ優秀な録音である。
EMI の「優秀録音」というのは珍しい。
私の愛聴盤になった。



最近になって「フランス EMI」のロゴが、昔懐かしき〈エラート〉のものに変えられた。
EMI に吸収される前の〈エラート〉独自の〈名録音〉も多いので、実に紛らわしくて迷惑な話だ。
こんなことにまで  ディスコグラフィーの知識が必要になったかと思うと情けない。

EMI の録音スタッフも以前とは変わったのだろうか。


2019年4月17日水曜日

私の好きな作曲家(22) バーンスタイン


レナード・バーンスタイン(Leonard  Bernstein:1918〜1990)は、私にとっては、好きな〈作曲家〉の一人というよりも、もっとも愛する〈指揮者〉であるといった方がよい。

彼は、〈作曲家〉たらんとして努力したが、〈『ウエスト・サイド物語』(1957)の作曲者〉以上には なれなかった。
〈現代のマーラー〉となる前に、〈指揮者〉として他人の作品を手がけすぎたのだ。

『チチェスター詩篇』のような美しい作品もあるが、多くの作品はつまらない。

しかし、もう十分である。
すでに、オーケストラのための演奏会用組曲「『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス」(Symphonic Dance from "West Side Story":1961)は、演奏会の定番となっている。
私の「お気に入り」の一曲でもある。
100年後になっても、世界中のあちこちで演奏されているに違いない。

もう十分に立派なことではないか。



私の好きな作曲家(21) ブリテン


ブリテン(Benjamin Britten:1913〜1976)は  イギリスを代表する作曲家であった。
亡くなって すでに40年近く経つ。

私がクラシック音楽を聴き始めた〈青少年時代〉には、ブリテンの『青少年のための管弦楽入門』(1946 作曲)を毎日のように聞いた。
作曲者自身がロンドン交響楽団を指揮した この一曲を 17cm LP 盤の両面に跨ってカッティングしたレコードで聴いた。


〈ロンドン〉レーベルで出ていたものの一つであり、そのプレス用メタル原盤は 17cm LP 盤用とはいえ、イギリスで製作されたものを使っていたはずだ。

この曲が出来てまだ20年ほどしか経っていない頃には、この録音がすでに出回っていたことになる。
それから50年以上が経っている。
時の経つのは速いものだ。

私は、この曲によりオーケストラで使われる楽器の音色を学んだ。
この作品は学習用として優れているだけではなく、変奏曲やフーガとしても立派な構えをもっている。
副題は『ヘンリー・パーセルの主題による変奏曲とフーガ』である。
優れた作品であり、何度 繰り返し聞いても飽きることがない。

かなり後になってから、ヘンリー・パーセル(Henry Purcell:1659〜1695)の原曲・「劇付随音楽『アブデラザール』(英語の綴りは、"Abdelazer" または "Abdelazar")からのロンドー」(1695)を聞いた。
地味で端正な演奏が持ち味といわれたレイモンド・レッパード指揮のイギリス室内管弦楽団によるものだった。
当然のことながら、原曲のメロディーは、『管弦楽入門』の主題のメロディーと同じだった。
古い落し物に偶然巡り会ったような気がした。


ブリテンの作品では、オペラ『ピーター・グライムズ』(Peter Grimes:1945 作品33)から4曲の間奏曲を集めた組曲『4つの海の間奏曲』(Four Sea Interludes:1945 作品33a)が好きだ。
これらは爽やかな4曲であり、聞くだけで胸の痞(つか)えが下りる。

4曲には それぞれ標題が付いている。
・第1曲 「夜明け」     (Dawn)
・第2曲 「日曜の朝」 (Sunday Morning)
・第3曲 「月光」        (Moonlight)
・第4曲 「嵐」            (Storm)

バーンスタインがボストン交響楽団を振った「最後の演奏会」(1990年8月19日)のときの演奏が素晴らしい。

この演奏会の2カ月後には肺癌で亡くなった。

この最後の演奏会の記録は、私たちが等しく共有する宝である。


2019年4月16日火曜日

私の好きな作曲家(20) ドリーブ


ドリーブ(Léo Delibes:1836〜1891)は優雅で繊細な曲を書いた。
そうした点、ブラームスの心友 ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899)と とてもよく似ている。

ドリーブの作品で もっとも有名なのは、機械人形を中心に据えたバレエ音楽『コッペリア』(1870)である。


第1幕冒頭の生き生きとした「前奏曲とマズルカ」がよく知られるが、それに続く「スワニルダのワルツ」の優美なこと、この上ない美しさだ。
コッペリアは自動人形の名前、スワニルダは生身の女性の名前である。
これまで書かれてきた音楽の中で、いちばん上質なものが ここにある。

最近は YouTube でも『コッペリア』のバレエ全曲が見ることができるようになった。
映像で見ると、音楽と振付の関係が分かって面白い。
上の YouTube の映像は、ボリショイ劇場における公演である。
なかでも、1時間10分35秒過ぎからの「時のワルツ」が、とても優美で見応えがある。

なお、冒頭の「スワニルダのワルツ」は、「Grand Prix Kiev 国際バレエ フェスティバル」のものが とても優美である。

こうした音楽がどこでも見聞きできるようになったことを、この時代を生きる我々は喜ぶべきであろう。


私の好きな作曲家(19) マーラー


マーラー(Gustav Mahler:1860〜1911)の交響曲は、その演奏においては、マーラー → ワルター → バーンスタインと、ユダヤ人の間でバトンが渡されてきたものが もっとも正統なものといえるであろう。

マーラーの長大な交響曲は、近来のテクノロジーの進展があって、われわれ庶民に身近なものとなった。
そういう点では、ブルックナーも同じだ。


学生時代には、バーンスタインがウィーン・フィルを振った『大地の歌』(1908 作曲)の LP を何度も繰り返して聞いたものだ。
最近では すっかり この演奏を聞かなくなってしまった。
しかし、この演奏が これまで、自分の興味・関心に及ぼした影響の深さは計り知れない。

LP のレコードジャケットには、歌詞の元となったと思われる唐詩が載っていた。
これを何度ながめたことか。
私が 中国の詩全般に興味をもつきっかけになった。

最近では、小さな室内合奏用に編曲したものを聞くことが多い。
シェーンベルクが1920年に着手し、リーンが1983年に補筆・完成したものである。
YouTubeでは PSAPPHA ENSEMBLE 等の演奏を聴くことができる。
このイギリスの演奏団体の名前は、クセナキスの作品名から取られているようだ。



驚かされるのは、あの大編成オーケストラのための原曲に引けを取らない豊饒な響きである。
このことは、編曲者が この曲の微細に至る点まで熟知していたことを示している。
見事としか言いようがない。
弦のセクションだけを見ても、弦楽四重奏にコントラバスが加わった 各楽器1本ずつの弦楽五重奏という小さな編成である。
楽器は、これに木管五重奏とピアノ1名、ハーモニウウム1名、打楽器2名が加わっただけの編成である。
指揮者を除いて、独唱者2名を加えた演奏者の総数は 16名。
大したものだ。


2019年4月15日月曜日

私の好きな作曲家(18) ベルク


ベルク(Alban Berg:1885〜1935)の音楽は、とりわけ美しい。
その響きは、武満 徹 ら 後世の作曲家に直接的な影響を与えている。

私が初めてベルクの作品を聞いたのは、NHKのFM放送を通じてだった。
カール・ベーム指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団による『ヴォツェック』(1921 作曲)がそれである。
オーストリア放送協会(ORF)提供の録音テープによるものだった。

『ヴォツェック』の最終盤には 子どもたちだけが登場する。

    ――  " Ringel, Ringel, Rosenkranz, Ringelreih'n "

親の死を知らずに遊ぶ子どもの姿が、頭の中にこびりついて残った。

これも、かれこれ50年も前の話となってしまった。


この作品は、実話をもとにした 3幕からなるオペラであるが、その第2幕は 5楽章の交響曲の形式をとっている等、内容と形式は不可分である。

話の内容は、下世話なイタリア・オペラであるマスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』(1890 作曲)などのヴェリズモ・オペラ(verismo opera)と同様なものであり、人間はどこでも似たものであると思わせられる。

ベルクの死によって未完となったオペラ『ルル』(1935 未完)においては、ロンドンの娼婦となるルルが主人公であり、切り裂きジャックまで登場する。
こうしたものへの嗜好と、その美しい音楽は表裏をなしているのだ。


私の好きな作曲家(17) 古関 裕而


現代日本を代表する作曲家といえば、武満 徹 あたりを挙げておくのが無難なのかもしれない。
しかし、ここでは敢えて 古関 裕而(こせき ゆうじ:1909〜1989)の名を挙げておきたい。

NHKラジオで放送されている「ひるのいこい」という番組をご存知のことと思う。
開始が1950年というから、始まってから70年にもなる長寿番組である。
あの懐かしさを覚えるテーマ音楽は、古関裕而の手になるものである。

このテーマ音楽が作曲されたのが1970年。
同年には、同じ NHK の「日曜名作座」のテーマ音楽が作曲されている。
あのしみじみとした曲も現役で使われている。
どちらのテーマ音楽も名曲とよぶに相応しい。


これらの曲を演奏したのは、「コロンビア・オーケストラ」または「シャンブル・シンフォニエッタ」(室内小交響楽団)となっているが、実際に演奏したのは、吉田雅夫ら 元々はN響にいたメンバーたちだったのはないだろうか。
これらの演奏は、完成度が高いうえに、一万回を超える放送の繰り返しにも耐えてきているのである。

古関の作曲した名曲は多くあるが、ここでは その代表作として「長崎の鐘」(1949)と東京オリンピックの「オリンピック・マーチ」(1964)の名を挙げておこう。

また、早稲田大学慶應義塾大学双方の応援歌を作曲していることがよく知られているが、古関の葬儀に当たっては 両校の応援団が互いの応援歌を歌って出棺を見送ったという。


2019年4月14日日曜日

私の好きな作曲家(16) ライヒ


スティーヴ・ライヒ(Steve Reich:1936 生)は、アメリカの作曲家である。
ドイツ系ユダヤ人なので、「Reich」は「ライヒ」と発音されることが多い。
ここでも「ライヒ」と読むことにしたい。

シュニトケ、リゲティ、ライヒ―― これらの20世紀後半の音楽の革新者たちは、みな〈ユダヤ人〉である。
彼らが〈ユダヤ人〉であること、優れた作品を残したこと ―― これらには深い関係があるに違いない。

ライヒの代表作『ディファレント・トレインズ』(Different Trains 複数形であることに注意:1988)には、高いメッセージ性が込められている。

この曲は三部構成となっている

1. アメリカ ―― 第二次大戦

ライヒ自身の家庭教師の女性の音声が、サンプリングにより切り出されて用いられている。
第二次大戦時、生き別れた母親に会いにいくために、ライヒは この家庭教師の婦人と汽車に乗ったのだそうだ。

これがヨーロッパを走る汽車であったら、〈Different Train〉はどこに向かったのだろうか?
きっとアウシュヴィッツの強制収容所〔ホロコースト〕へと直行したはずだ。

2. ヨーロッパ ―― 第二次大戦中

ホロコーストの生き残りの音声が使われている。
戦時の様子が目の前に浮かんでくるようだ。
息苦しい緊迫感に満ちている。

3. 第二次大戦後

戦時中、人類の歴史には大きな汚点が記録された。
この『Different Trains』も、戦後のいまへとつながる そうした記録の一部なのだ。


本作は、1989年にクロノス・カルテットとともにグラミー賞のクラシック現代作品部門を受賞している。

現代の作曲家たちに委嘱という形で貢献を続けている Kronos Quartet のメンバーに 惜しみない賛辞を贈りたい。


私の好きな作曲家(15) リゲティ


リゲティ・ジェルジュ・シャーンドル(Ligeti György Sándor:1923〜2006)は、20世紀後半を代表する作曲家である。
「リゲティ」という姓は、ハンガリー語では〔日本語同様に〕姓名の先頭に記される。

スタンリー・クーブリック(DVD などでは、出演した発言者の多くが「キューブリック」ではなく、「クーブリック」と発音している)の名作『2001年 宇宙の旅』(1968)に その作品が使われたことにより、リゲティの名は世界中に広まった。

トーン・クラスター技法が有名であり、一時期は この技法を用いた曲が多く作られた。
『ロンターノ』(Lontano:1967)、チェロ協奏曲(1969)などが その代表的な作品である。

トーン・クラスター技法では分厚い音の集積が特徴だが、同時期にチェンバロのための 『コンティヌウム』(Continuum 持続:1968)を作曲している。
チェンバロは撥弦楽器なので、その音は発せられた瞬間から減衰していく。
それを、あたかも音が「持続」しているように聞かせている。
とても皮肉な曲名で、リゲティらしい。

リゲティの作品は、始めから終わりまで高い緊張が維持されるのが特徴である。
それ故に、聞いたあとには 大きな充足感が感じられる。

晩年には、ピアノやヴァイオリンやホルンの協奏曲を書いている。
ヴァイオリン協奏曲(1992)では、珍しいことにオカリナが使用されており、重要な役割が与えられている。
初めて聞いたときには、「この楽器は何なのだろう」と不思議に思った。


ショスタコーヴィチ同様、リゲティには お気に入りのフレーズがある。
リゲティのフレーズは滑稽味を感じさせるエネルギッシュな音型である。

手持ちの CD では、以下の曲で同様なフレーズが確認できた。
  ・6 Bagatelles for wind quintet : I. Allegro con spirito(1953)
  ・Musica ricercata : III. Allegro con spirito(1953)
  ・Eight Pieces from "Musica Ricercata" for Accordion : II. Allegro con spirito(1953)

これらのフレーズには、どんな意味が込められていたのだろう。
ショスタコーヴィチやリゲティに訊いてみたかったことである。


2019年4月13日土曜日

私の好きな作曲家(14) オネゲル


昔、レコードを買う金銭的な余裕のなかった自分は、もっぱらNHKのFM放送により音楽を聴くことで、その渇きを癒やしていた。

私は 当時の自分の姿 ―― 愛用していた STAX のヘッドホンを頭にかけて、じっと放送に耳を傾けている自らの姿を、容易に思い起こすことができる。


あるとき、オネゲル(Arthur Honegger:1892〜1955)の交響曲第3番『典礼風』(Liturgique:1946)が、何度か放送されることがあった。
アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団によるものであった。
全てを浄化するような第3楽章終結部のフルートとヴァイオリンによる独奏を聞いて、いっぺんでオネゲルが好きになってしまった。


オネゲルの交響曲は全部で5曲あり、それぞれに特徴がある。
第2番(1941)と第5番(1950)の交響曲は、シャルル・ミュンシュ指揮による演奏が図抜けている。
こんなにも激しく緊張感のある指揮ができる人は、もう出てこないだろう

交響曲第4番『バーゼルのよろこび』 (Delicae Basilienses:1946) は、作曲者と同じスイスを出自とするシャルル・デュトワが、バイエルン放送交響楽団を振ったものが出色の出来である。
爽やかなスイスの風が吹き渡ってくるかのようだ。
私は、この交響曲がオネゲルの管弦楽作品の中で もっとも優れたものだと思っている。


さて、オネゲルといえば、なんといっても『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(1935)である。
上の YouTube の動画は、2006年における ラングドック=ルシヨン地域圏モンペリエ国立オペラ劇場での公演を ラジオ・フランスが記録したもののようである。
ジャンヌ・ダルク をフランスの名女優 シルヴィー・テステューが演じている。


この作品の演奏会形式の初演は1938年であり、舞台初演は1942年である (ともにスイスにて)。

全曲の終わりに近い部分で、ジャンヌが寂しげにトリマゾを歌い、「Une petite larme pour Jeanne…」 (このジャンヌに 涙のひと雫をお与えください) と言うところでは、聴いていて つい涙がこぼれてしまう。

かつて 学生時代には、東京文化会館の3階辺りにレコードが聞ける小さなブースがあり、同館所蔵の LP をヘッドフォンで聴くことができた (いまでも あるのだろうか?)。
そこで、この曲の英語版を小澤征爾指揮による LP で聞いたことがある。
Vera Zorina がジャンヌ役だった。

英語版の Wikipedia によると、シャルル・ミュンシュ指揮 ニューヨーク・フィルによるアメリカでの公演時には、このノルウェー人がジャンヌを演じたようだ。

映画では、スウェーデン人のイングリット・バーグマンがジャンヌを演じている DVD が入手できる (この映画にオネゲルは関与していない)。

いまでも、小澤征爾がタクトを振った英語版は CD で入手可能だ。
さらに、いまはフランス語によるものが DVD を含めて簡単に手に入る時代になっている。
この曲をよく知るには、フランス語による歌詞の対訳が載った小冊子が付いた日本メーカーによる CD を手に入れるのが 手っ取り早い近道だと思う。

この曲の本質に迫りたいなら、セルジュ・ボドがチェコ・フィルを振ったものに止めを刺す。
なんといっても ジャンヌ役の女優が素晴らしい。
フランス語が分からなくても聴き入ってしまう。
台本も 文豪 Paul Claudel によるものであり、大変な迫力を感じる。

ボド指揮の CD は、本家スプラフォン以外にも 日本コロムビアから出ている。
対訳の冊子は付いていないが、CD-EXTRA仕様となっており、PDF ファイルで歌詞の対訳が付いている。
しかし、冊子になった対訳が ほしいところである。


100年間は、この曲を超えるような音楽劇は現れないことだろう。


私の好きな作曲家(13) ラヴェル


古今の作曲家多しといえども、管弦楽法の見事さではラヴェル(Maurice Ravel:1875〜1937)の右に出るものはいないだろう。

『ダフニスとクロエ』(Daphnis et Chroé:1912)などの管弦楽曲(この場合、全曲版は合唱付)を聞くと その見事さがよく分かる。

また、『子どもと魔法』(L'enfant et les sortilèges:1925)とよばれる音楽劇では、その管弦楽法が手に取るように鮮やかに見えてくる。
なお、上の サンパウロ市立劇場における YouTube の動画は出色。
特に白い中国の陶器を演じている Luciana Bueno という方は大迫力。

この曲はラヴェル自身により "Fantasie lyrique"(抒情的幻想)とよばれている。
タイトルの訳名は、長くなってしまうが、『子どもと魔法にかけられたものたち』といった意味合いだ。
この幻想劇に登場する〈人物〉は、これらと、大きな靴とエプロンで象徴的に表現される母親である。
いたずらし放題だった子どもが、最後には反省し 「ママン!」と呼びかけ、幕を閉じる。


コレット女史による台本には、おかしな外国語のような歌詞がいっぱい出てくる。
しかし、中国人を揶揄するように歌うことなどは期待していなかったはずだ。
聞いていると不快な気分が募ってくる。

大家と言われる指揮者のなかにも、多様な文化への理解を欠く者がいることが分かる。
こうした録音は商品としてマーケットに出す価値がない。
CD の発売元にも責任があるのではないだろうか。

私は、いつもアンセルメによるものを聞いている。
「雪舟・早川」と歌うべきところも正しく誠実に歌われている。
また、なによりも 子ども役を演じた メゾ・ソプラノの Flore Wend(オランダ語読みだと「フローレ・ウェント(ヴェント)」、フランス語読みだと「フロール・ワン」 ※ スイス生まれだが、国籍は オランダ領ギアナだった スリナム が素晴らしい。

この録音は、なんと1954年のものであり、しかもステレオ録音だ。
いまなお鮮明な録音。
当時の Decca の録音技術が いかに優秀であったのかがよく分かる。


2019年4月12日金曜日

私の好きな作曲家(12) シュニトケ


シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke:1934〜1998)は、ショスタコーヴィチ以降のロシアを代表する作曲家である。

その作風は、とてつもなく暗い。
しかし、その音楽のもつ暗さに引き込まれてしまう。

しかし、初めて「多様式」による作品を聞いたときには、思わず仰け反ってしまった。
〈これは冗談なのか?〉

「多様式」による部分を聞いて呆気にとられなかった人などいるのだろうか?
この一種の様式崩壊感覚とでもよびたくなるものの面白さは、いちど聞いてみないと分からない。


良い曲がいっぱいあるが、なかでもピアノ五重奏曲(1976)がとりわけ素晴らしい。
亡き母への祈りを込めた曲だ。

第2楽章は「In tempo di Valse」となっている。
鎮魂にワルツは不似合いのようだが、誰にとっても たった一人しかいない産みの母は、永遠に若く美しい。
最後の第5楽章では深々とした鎮魂の歌が紡がれる。

このピアノ五重奏曲には『イン・メモリアム』(1978)という名の作曲者自身による管弦楽編曲版がある。
しかし、ピアノを用いたオリジナルの方が何倍もよい。
ピアノでしか表現できなかったものが、管弦楽版では すっかり失われてしまっているのだ。


私の好きな作曲家(11) モーツァルト


モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart : 1756〜1791)の音楽は明るい。
誰よりも 明るい。
そして 上品である。

世の中に作曲家の〈天才〉とよばれる人は数多くあれど、本当の天才は モーツァルトとシューベルトだけではないのか?

私は暗い気持ちから抜け出せなくなったときにはモーツァルトを聞く。
弦楽四重奏曲の『狩』(1784)のような明るい曲もいいが、重症のときには、最後の特効薬のように 未完の大作『レクイエム』(K.626:1791)を聞く。


多くの素晴らしい演奏があるが、私には、カール・リヒターがミュンヘン・バッハ管弦楽団と同合唱団を指揮したものが向いている。
「キリエ」の二重フーガの箇所など、その緊迫感には息を飲む。

テレフンケンから出ていた LP で聞いていたときには、A面を聞き終わったところで針を上げていた。
B面は弟子のジュスマイアーにより補筆されたものであったからだ。
しかし、もしかすると 全曲聴きとおす緊張に耐えられなかったから、そうしていたのかも知れない。

CD で聴くようになってからは、なぜか最後まで聞きとおすようになった。
ただ、ものぐさになっただけなのだと思う。


2019年4月11日木曜日

私の好きな作曲家(10) ショスタコーヴィチ


ショスタコーヴィチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich:1906〜1975)は、第二次大戦とその前後の世界情勢が生んだ作曲家だといえる。
この作曲家は、ソビエトという体制下で綱渡りのような生活をしながら生き延びた。

ショスタコーヴィチの作品ジャンルは幅広いが、なかでも弦楽四重奏曲は特筆すべきものだ。
20世紀の弦楽四重奏曲のなかでは、バルトークによる全6曲のそれが傑出して素晴らしいが、それ以降に登場した多くの作品のなかに屹立するのがショスタコーヴィチによるものである。
後半生を中心に15曲の弦楽四重奏曲が作曲された。

私は、弦楽四重奏曲の第3番(1946)の第3楽章を聴いて、音楽で暴力が表現できるということを知った。
とても衝撃的なことだった。

ショスタコーヴィチの音楽は暗い。
〈もう これ以上はない〉というくらい暗い。


しかし、その一方で底抜けに明るく楽しい曲も多い。
後年、ドリス・デイが映画の主題歌として歌い大ヒットした「二人でお茶を」(1950)の原曲( ヴィンセント・ユーマンス作曲:1925)を編曲した「タヒチ・トロット」 (Tahiti Trot:1927)などは、その典型である。
あまりに楽しいので、ちょっと聞くだけのつもりでいても、最後まで聞きとおしてしまうということが多い。

また、繰り返し使われた音型がある。
『ジャズ組曲第1番』(1934)の1曲目の Waltz を聞くとすぐに分かるフレーズだ。
『ジャズ組曲第2番』(1938)の3曲目の Waltz も同様なフレーズだ。
また、バレエ組曲『明るい小川』(1934)にも使われている。
なんだか場末のサーカスの一場面を見せられたようなチープなフレーズである。
しかし、このフレーズは、ショスタコーヴィチの原点に位置する大切なものであるように思う。


私の好きな作曲家(9) ストラヴィンスキー


音楽には、人を明るい気持ちへといざなっていくものと、暗く沈んだ気持ちに寄り添い ひたすらやさしく慰藉し続けるものとがあるように思う。

ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky:1882〜1971)の音楽は大方の場合、明るくて精力的である。
聞いているだけで元気になる。

ストラヴィンスキーは長い生涯に亘り、〈カメレオン〉と揶揄されるように、その作風を変えながら作曲を続けた。
いま思うと、そのこと自体が とても立派なことだったのではないか。

ストラヴィンスキーには、『ペトルーシュカ』(1911)、『春の祭典』(1913)、『兵士の物語』(1918)『詩篇交響曲』(1930) 等々、 名だたる名曲がずらりとある。
そして、これらは私の気に入っている作品群でもある。

ストラヴィンスキーには、器楽曲だけではなく、声楽曲にも愉しい作品がいっぱいある。
『4つのロシアの農民の歌』(1917)や『4つの歌』(1954)などだ。
ロシア語など分からなくともよい。
ただただ、聞いて面白い。
だまされたと思って 一度聞いてみていただけると嬉しい。


器楽曲で特に好きな作品は『ペトルーシュカ』である。
とても楽しい曲だ。
1911年に作曲されたが、版権を維持するため 1947 年に改訂版を出版している 。

この曲を特徴づけているのは、4つある各部の間に演奏される小太鼓だが、その打ち方が指揮者によって随分と違う。
ブーレーズがクリーブランド管弦楽団を振ったもの(1911年版)では、一定したリズムで乾いた打音が続き、ペトルーシュカが人形であることを想い起こさせる。
作曲者の自作自演によるもの(1947年版)は、ブーレーズの演奏とは異なった打ち方がなされている。
ただし、この小太鼓の打ち方の違いが、版によるものかどうなのかは確認できていない。



2019年4月10日水曜日

私の好きな作曲家(8) シベリウス


ジャン・シベリウス(Jean Sibelius:1865〜1957)は、91歳という長寿を全うしたが、その生涯の後半40年間は作品を発表しなかった。
ストラヴィンスキーやシェーンベルクの作品が世に受け入れられるようになった頃には、もう筆を折っていた。

第一次大戦後、調性に基づく いわゆる「クラシック音楽」は、その終焉を迎えようとしていた。
耳に快い 調性を基礎とした音楽は、行き着くところまで行ってしまっていたのだ。

作品のうえからは、その最晩年といえる1920年代に、 緊密な構成により高い精神性を備えた作品群を公にしている。
交響曲第6番(1923)、交響曲第7番(1924)、交響詩『タピオラ』(1925)が それらである。
これらの YouTube の動画だが、交響曲の6番と7番は エサ=ペッカ・サロネンがスウェーデン放送交響楽団を指揮したものであり、また、交響詩『タピオラ』 は パーヴォ・ベルグルンドがフィンランド放送交響楽団を指揮したものである。

シベリウスの作品は、交響詩『フィンランディア』(1899)、交響曲第2番(1902)、3曲目に愛らしいマーチを含む『カレリア』組曲(1893)等が有名だが、本領は 〈作品の最晩年〉に生み出された作品群にある。

シベリウスはヴァイオリニストでもあったので、弦楽器を知り抜いていた。
交響曲第6番、第7番等においては、各弦楽器のセクションを さらに細分化し、精妙な響きを形づくっている。

これらの作品の素晴らしさに気づかせてくれたのは、クルト・ザンデルリングがベルリン交響楽団を振った CD である。
交響曲第7番は、いまでも この CD がベストだと思っている。

交響曲第6番は、1982年に オッコ・カムがヘルシンキ・フィルを率いて来日したときの演奏会のライブ録音が好きだ。
あたたかく闊達で自由な感じがする。

交響曲第6番と第7番は続けて演奏されるべきだという人がいる。
両者は響きが同質であり、その精神性でも深くつながっているので、続けて聞いても全く違和感がない。


カムがラハティ交響楽団を振った最近のSACD(ハイブリッド)3枚組による交響曲全集では、この2曲が一枚に収まっている。

交響曲第6番の演奏スタイルは、遙かな昔となってしまった来日時のものと そんなに変わっていないように感じられる。

同じラハティ交響楽団を振ったオスモ・ヴァンスカの演奏が 精妙ながら やや冷たい肌ざわりであるのと好対照である。


私の好きな作曲家(7) ドヴォルザーク


アントニーン・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák:1841〜1904 )の音楽は優しいメロディーに満ち溢れている。
交響曲第9番『新世界から』(1893)、チェロ協奏曲(1895)、弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』(1893)。
これらは我々人類の宝である。

『新世界から』の作曲に当たっては、それまでに書いた交響曲を検討し直し、ブラームスの交響曲をあらためて研究したという。
ちょっと聞いたところでは似たところは感じられないが、その精神においてブラームスの交響曲の延長線上にあるものと見做してよいのだろう。

出版に当たっては、ジムロックよりブラームスにこの曲の校訂が依頼されている。

『新世界』交響曲は、ヴァーツラフ・ターリヒがチェコ・フィルを振ったものが最上質のものだと思う。


一方で、バーンスタインがニューヨーク・フィルを振った巨大な演奏も感動的で忘れ難い。
バーンスタインにとっては、アメリカ自体が実に巨大だったのだ。彼の『新世界』が巨大でなければならなかった理由がそこにある。


2019年4月9日火曜日

私の好きな作曲家(6) ヴェーベルン


新ウィーン楽派三羽烏の一人、ヴェーベルン(Anton Webern:1883〜1945)。

『アウトサイダー』により一躍有名人となったコリン・ウィルソンは、かつて、『コリン・ウィルソン音楽を語る』において、ヴェーベルンの音楽を〈広げた本のページの上をひそやかに歩く蝿〉に例えている。
実に絶妙な比喩で、多くの楽曲は このイメージに合っているように思える。

しかし、無調や十二音技法に入る前の作品には、後期ロマン派の香り馥郁たる楽曲がある。
そのひとつが『弦楽四重奏のための緩徐楽章』(Langsamer Satz : 1905)。

聞いてすぐに、「これは、ほとんどブラームスではないか」と思った。

シェーンベルクがドヴォルザークそっくりの弦楽四重奏曲(未出版・無番号:1897)を作曲したり、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番の管弦楽編曲(1937)をしたのと同様に、ブラームスらとの精神的なつながりを深く感じさせられる。


『ラングザマー・ザッツ』を初めて聴いたのは、オランダ Philips からの直輸入 LP 盤によってだった。
当時の価格は 2,400円。 消費税もなかった。
いっさい傷のない、実に美しい盤面だった。
日本でプレスされたフィリップスの LP とは大違いだった。

演奏はイタリア四重奏団
たぶん、この曲の最初の録音。
A面の最初に収録されていた。
この四重奏団のもつ豊麗な音色が生かされた 在りし日の Philips らしい見事な録音だった(いまでは Decca レーベルに吸収されてしまい、CD のリマスタリングまで Decca 風に甲高い痩せた音に変わってしまった)。

最近になって、この曲は多くの弦楽四重奏団によって演奏されるようになり、耳にする機会も増えた。

ここには、ウィーンに生まれ、フランスでは ついに生まれることのなかった豊饒な響きが聞きとれる。

私の好きな作曲家(5) デュティユー


デュティユー(Henri Dutilleux:1916〜2013)は、1943~1963の間、ラジオ放送のための作曲をしていたことがある。

英語版の Wikipedia には、
Dutilleux worked as Head of Music Production for French Radio from 1945 to 1963.
とある。

『波のまにまに』(Au gré des ondes:1946) は、その間に作曲された6曲の小曲からなるピアノ曲である。
聞いていて、とても快い音楽である。

それぞれの曲は、番組と番組の間に 随時、流されたものと思われる。
電波(番組)と電波(番組)の合い間に流されたことから、こう命名されたのだろう。

なお、メシアンの『トゥーランガリラ交響曲』で用いられている 古典的な電子楽器であるオンド・マルトノ (Ondes Martenot)の ondes にも「波」や「電波」の意味がある。


『波のまにまに』とほぼ同時期に作曲されたのが「ピアノ・ソナタ」(1948)である。
『波のまにまに』よりも格調が高く、現代的な響きがする。
ブ-レーズ(Pierre Boulez)の作品を紹介する DVD を見たときに、語りのバックにこの「ピアノ・ソナタ」が使われていた。
「あれ、なんでデュティユーなの?」と意外に思った。

100年後には、ブーレーズのような難しい作品は どのような形で残っているのだろう。