2013年9月27日金曜日

「鎌ケ谷市民まつり」 新聞等に 以前、掲載されたもの3点

これまでにも「鎌ケ谷市民まつり」は、新聞等で紹介されてきています。
私にわかっているもの3点を、ここに掲載しておきます。


鎌ケ谷市自治会連合協議会の広報紙
『自連協ニュース』 第107号 3面 (2013年9月発行)


読売新聞 千葉版 34面 (2013年8月29日発行)


船橋よみうり 1面 (2013年7月13日発行)


「鎌ケ谷市民まつり」 『ちいき新聞』に掲載

本日(2013年9月27日)発行の 『ちいき新聞』(鎌ケ谷版)の一面に、「鎌ケ谷市民まつり」の記事が載っています。

〈萌幹〉さんの筆によるもので、いつもながらに切れのある文章です。
鎌ケ谷と「相馬野馬追」の関連が わかりやすく簡潔に書かれています。
ぜひ、お目とおしください。


『ちいき新聞』(鎌ケ谷版) 1面より
画像をクイックすると 拡大されます

 

2013年9月26日木曜日

「鎌ケ谷市民まつり」 案内チラシ完成!

「鎌ケ谷市民まつり」の案内チラシが完成し、市内では 自治会に加入している全世帯に配布されました。

アート & デザインは、ポスターと同じく TAG のデザイナー 田上さんによるものだそうです。

昨年度までの案内チラシと比べて飛躍的によくなっています。
私が気づいたのは以下のような点です。

 ・フルカラーになった
 ・市民まつりの内容が はっきりとわかるようになった
 ・協賛広告が大変読みやすくなった

すでに「鎌ケ谷市民まつり実行委員会のブログ 2013」には 案内チラシが掲載されています。

同ブログにある以下のリンク先の画像は、A4判大に四折りにして配布された案内チラシを A2判大に見開いた状態で見られます。
マウスのホイールを使うと、画像の拡大や縮小がスムーズにできて便利です。




屋上屋を重ねるのを承知で、ここにも案内チラシを掲載したいと思います。


市民まつり 案内面 1
ポスターと比べてスッキリとした感じになりました


市民まつり 案内面 2
騎馬武者行列のコースや時間が載っています


協賛広告面 1


協賛広告面 2


協賛広告面 3


2013年9月24日火曜日

2013.09.23 初秋の浦辺川沿いの谷津 (印西市)

かつて 鎌ケ谷の谷津には、水田が川を挟んで遠くの方まで美しく続いていました。
鎌ケ谷から ほとんどの谷津田が消滅してから、もう どれくらい経ったのでしょうか。

目を東の方角に転じてみると、印西市や さらに東に行った香取市には、いまも谷津田が残っています。
そして、谷津田とともに 懐かしい里山の風景が見られます。

スタッフの一員になっている「印西ウエットランドガイド」の里山散策会に参加し、印西市の浦部川沿いの谷津を歩きました。
この浦部川は、北総線 千葉ニュータウン中央駅の北に位置します。

浦部川沿いの谷津の景観


農家の方が野焼きをしています 懐かしいにおい


塚のそばに行くと、木の根元には 馬頭観音がありました

初秋の涼やかな風が吹くなか 浦部の里山を歩いていると、さまざまな植物や昆虫が目に入ってきました。

イヌキクイモ (犬菊芋)


クズ(葛)


ナンテンハギ (南天萩)


ゴンズイ


フウセンカズラ (風船葛)


ム ベ アケビの仲間です


ヒガンバナ(彼岸花) と キアゲハ(黄揚羽)


ノシメトンボ (熨斗目蜻蛉)


マユタテアカネ (眉立茜)


オオアオイトトンボ (大青糸蜻蛉)


タマゴタケ (卵茸)


タマゴタケ (卵茸)の傘が開いたものでしょう



「印西ウエットランドガイド」については、以下のホームページをご参照ください。

 ➜ ウエットランドガイド 北総の里山を巡る

私は、以前に「谷津田」を検索していて、このホームページにたどり着き、散策会に参加するようになりました。

「印西ウエットランドガイド」は、発足して10年になります。
2013年の8月には、10周年を記念して、スタッフみんなで力を合わせ「北総の里山 散策ガイド」というパンフレットを作成しました。
作成の過程については、以下のページの最後の方をご覧ください。

 ➜ 作成の詳細  (印西ウエットランドガイド「谷津田だより」)


以下にパンフレットの画像(第2刷)を掲載します。

A面 ➜ 画像を拡大する (開いた画面をさらにクリックする)
 

B面 ➜ 画像を拡大する (開いた画面をさらにクリックする)

以下のリンク先から PDFファイルのダウンロードができます。

 ➜ 北総の里山 散策ガイド(第2刷)のダウンロード


印刷されたパンフレット(A3判を折ったもの)は、鎌ケ谷市内においては 以下の場所に置かれています。

・鎌ケ谷市 郷土資料館
・市立図書館 (本館)

・生涯学習センター(まなびぃプラザ)
・中央公民館
・東部学習センター
・南部公民館
・北部公民館
・東初富公民館

・北中沢コミュニティセンター
・くぬぎ山コミュニティセンター
・粟野コミュニティセンター

・市役所1階 市民活動推進課
・市役所1階 環境課 
・市役所4階 道路河川整備課


2013年9月23日月曜日

かまがや自然ギャラリー「鎌ケ谷の夏」 応募写真

鎌ケ谷市の環境課主催で、「鎌ケ谷の夏」をテーマとした写真展示が 2回行われます。

第1回 展示 (すでに終了)
 ・募集期間 2013年8月16日(金)まで
 ・展示期間 2013年8月26日(月)~ 8月29日(木)
 ・展示場所 市役所1階 市民ホール

第2回 展示 (これから実施)
 ・募集期間 2013年9月20日(金)まで
 ・展示期間 2013年10月2日(水)~ 10月18日(金) 〔原則平日のみ〕
 ・展示場所 市役所1階 市民ホール

1回目は 4日間だけと大変短い期間でしたが、2回目は 10月12日(土)の「鎌ケ谷市民まつり」開催日を含んで 2週間以上あります。

詳しくは、市の環境課のホームページをご覧ください。

 ➜ かまがや自然ギャラリー 展示写真募集


 

第1回 応募写真

( 1 点 )

地蔵ほほえむ
( 囃子清水七面堂 )
2013年8月14日 撮影

夏まっ盛り、蝉しぐれの七面堂。
お地蔵様の光背の先には アブラゼミの抜け殻がありました。
お地蔵様は 何だか微笑んでいるように見えました。



第2回 応募写真

( 3 点 )

水面に映るアジサイ
( 東中沢の谷津にある湧水地 )
2012年6月30日 撮影

東中沢の谷津を歩くと、外和戸(中沢の小字名のひとつ)の斜面林沿いのそこいらで しぼり水が湧いているのが見えます。
撮影地は、見える魚はカダヤシばかりなのですが、「めだかの郷」という表示板がある場所です。
ここの水も湧き水です。
ネットで調べたら、2007年の11月頃につくられたようです。
「めだかの郷」では 毎年6月に、さまざまな種類のアジサイが色とりどりの花を咲かせます。
この日は風がなく、水面が鏡のようにアジサイの花を あざやかに映し出していました。


ミソハギの花とベニシジミ
( 囃子水公園 )
2013年8月14日 撮影

街中に残る希有な湧水地、囃子水。
季節ごとに違った姿を見せてくれます。
夏にはさまざまな植物が繁茂して、とても賑やかです。
ミソハギ(禊萩)の美しい紫色の花を見ていると、ベニシジミがやってきました。


アオツヅラフジの実
( 市道2130号線沿い、粟野の森 近くの路傍 )
2013年9月14日 撮影

市制記念公園入口の東に隣接する市道2130号線。
粟野の森(2014年の3月末に開園予定)を右手に見ながら、850mほど散策すると、粟野保育園近くの交差点へと至ります。
路傍にはさまざまな植物が生育しており、それらの花や実が季節ごとに目を楽しませてくれます。


2013年9月22日日曜日

ギンメッキゴミグモとの再会

わが家の庭の片隅には、ギンメッキゴミグモが巣を張ります。
昨年の秋に初めて気づきました。
このクモは、銀色の金属光沢をしており、秋の陽ざしを美しく反射します。

緻密な美しい巣を張ります (2012.10.24 撮影)


輝ける 銀鍍蜘蛛 陽は高し (2012.10.24 撮影)


成体は5mmぐらいの大きさ (2012.10.02 初めて気がついた頃に撮影)


しばらく見ることがなかったので、引っ越していってしまったのだと思っていました。
ところが、今朝、久しぶりに再会しました。
昨年見た個体の子供なのかもしれません。
美しく銀色に輝くお腹の部分はまだ小さいです。

幼体は2mmぐらいの大きさ (2013.09.22 撮影)

成体も小さいですが、幼体は なお小さいため、撮影が容易ではありません。
前に買ったおいたクローズアップ撮影用のフィルターが役立ちました。
また、ピント合わせは手動で行いました。

間違ってクモの巣を払ったりしないように気をつけながら、この個体の成長を見守っていきたいと思います。

 

2013年9月19日木曜日

多古町十余三の道祖神十字路にある道標

私が道標に興味をもつきっかけとなった「西国三十三所供養塔」をご紹介します。

「西国三十三所供養塔」は 十余三のバス停「道祖神」の近くにあります

すぐ下の写真を見ていただきたいのですが、この道標の前面に彫られている「とつかう」という文字を初めて見たとき、いったいどこなのか、すぐには わかりませんでした。
そうして、調べていくうちに、だんだん楽しくなってきたのです。

道標は、それを見る者を過去(いにしえ)へと誘なうタイムマシンです。

なお、写真は 道標の隣にコンビニができた2013年9月よりも前に撮影したものです。




前 面(西向き)



・花山院
 花山(かざん)院とは、西国三十三所巡礼の中興の祖といわれる第65代天皇の花山天皇(生没年 968~1008)を指す。

・西國三十三所供養
 上方方面の観音巡礼地が「西國(さいごく)三十三所」といわれた。その巡礼の満願を記念し建立されたことを示す。

・とつかう
 現 成田市取香(とっこう)。前林から見ると取香は成田山の手前に位置する。

・なりた
 成田山を指す。

・前林村
 現 成田市前林とその周辺。道標の現在の所在地名は、道路を挟み前林と接する香取郡多古(たこ)町十余三(とよみ)である。


後 面(東向き)



・旹
 じ(時)、とき。石碑建立の年月の意。

・天保三
 天保(てんぽう)3年(1832年)。

・龍集
 りゅうしゅう。年号の下に干支を伴って記す語。「年」と同意。龍は木星、集は星のやどり。「木星は一年で周回してもとのやどりに戻る」と書いてある辞典があるが、意味不明である。歳次・竜次に同じ。「りょうしゅう」とも読む。

・壬辰
 みずのえたつ、じんしん。干支の組み合わせの29番目。1832年は壬辰の年に当たる。2012年も壬辰の年だった。

・霜月
 旧暦11月。

・詰旦
 きったん。「詰旦」は早朝の意だが、よい日、吉日の意の「吉旦」と同意と思われる。

・みくら
 現 香取郡多古町の本三倉、谷三倉、本三倉谷、三倉入会に当たる。前林の東。

・山くら
 現 香取市山倉。三倉の東にある。山倉大神がある。

・まつさき
 現 香取郡多古町の東松崎。山倉の南。松崎神社がある。

・たこ
 現 香取郡多古町多古。前林の南南東。

・中むら
 現 香取郡多古町の北中(なか)、南中(なか)、中村新田の地区。多古町多古の東。

・八日市場
 現 匝瑳市八日市場(ようかいちば)。「中むら」の東南。


右 面(南向き)



・此方
 このかた。彫ってある地名の手前の方角に実際の場所がある。

・ひした
 現 山武郡芝山町菱田(ひしだ)。前林の南西

・かも
 現 山武郡芝山町加茂(かも)。菱田の南東。

・い〃さ〃
 現 香取郡多古町飯笹(いいざさ)。前林の南。菱田の東。

・志ばやま
 現 山武郡芝山町芝山(しばやま)とその周辺。飯笹のさらに南。
   

 

左 面(北向き)



・□方
 □の字の部分が不明だが、「此方」だろう。

・すこしゆき
 「少し行ったところを」の意。旧道の地図(『多古町史』下巻付図参照)に拠れば、現在の城山入口三差路の分岐点を指していると思われる。

・右
 分岐点まで行って「右に折れると」の意。

・さ□ら
 □の字の部分は「者」のくずし字。したがって、「さ者(は)ら」となる。現 香取市佐原(さわら)。下の写真を参照のこと。


・かとり
 現 香取市香取。

・左
 分岐点まで行って「左に折れると」の意

・いのふ
 現 成田市大栄地区の伊能(いのう)。前林の北。「いのふ」という文字を充てている例は、他の道標にも見られる。

・かうさき
 現 香取郡神崎(こうざき)町。伊能のさらに北。



縦書きにしたものを以下に載せます。
印刷して見るには、こちらの方が便利です。

P.1 クリックすると拡大されます


P.2 クリックすると拡大されます


P.3 クリックすると拡大されます



参 考 (Wikipedia より)
 江戸時代には庶民に観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三箇所や秩父三十四箇所と併せて日本百観音と言われるようになった。これにより東国の巡礼者が増え、この上方の観音巡礼が「西国三十三所」と言われるようになり、熊野詣から巡礼を始める人が多かったので第一番が紀伊国那智山の如意輪堂(現・青岸渡寺)に、東国への帰路に着きやすいということで第三十三番が美濃国の華厳寺という現在の巡礼順になったと考えられている。
 江戸時代初期から「巡礼講」が各地で組まれ団体の巡礼が盛んに行われた。地域などから依頼を受けて三十三所を三十三回巡礼することで満願となる「三十三度行者」と呼ばれる職業的な巡礼者もいた。これら巡礼講や三十三度行者の満願を供養した石碑である「満願供養塔」は日本各地に残っている。



追  記

この道標が建っている場所の現状については、以下の記事が参考になります。
 ➜  変わりゆく風景 (1) DIXIE の給水塔 ・ 畑がコンビニに


2013年9月18日水曜日

かまがや散策マップ(5) 国史跡コース
(野馬土手の跡を訪ねる 1)

今回の「かまがや散策マップ」は、国の指定史跡「下総小金中野枚跡」等、野馬土手の跡を訪ねるコースです。

鎌ケ谷には、野馬土手の跡が断片的ながら多数残っており、それらを訪れることにより、江戸時代の牧の姿を想像することができます。

今回は、その野馬土手コースの第一弾です。
市域の北の方面に残る野馬土手の跡をたどるコースとなっています。

https://drive.google.com/file/d/0B0eo8wCrTacCdWhhZFp1RTB5dDA/view?usp=sharing
画像をクリックすると、拡大できます

訪ねる場所は、以下のとおりです。
クリックすると本ブログで以前に紹介した記事にジャンプします。

 ①鎌ケ谷総合病院の大込土手
   ⇩
 ②国指定史跡「下総小金中野枚跡」(捕込)
   
 ③貝柄山公園の「野馬の親子像」
   ⇩
 ④初富小学校 グラウンド横 国指定史跡「下総小金中野枚跡」
  (野馬土手)
   
 ⑤市民体育館横の野馬除土手

このコースどおりに たどっていくと、紹介した5つの野馬土手の跡以外にも、すばらしい野馬土手跡にめぐりあうことができます。
以下の記事でご紹介しましたので、ご覧いただけますと幸いです。

 ➜ 初富小学校の北にある勢子土手


➜  かまがや散策マップ(4) 佐津間史跡コース

➜  かまがや散策マップ(6) 野馬土手の跡を訪ねる 2


2013年9月15日日曜日

変わりゆく風景 (1) DIXIE の給水塔 ・ 畑がコンビニに

ほんの最近まではあったものがなくなっていて、そこには新しいものが建っていたりし、身のまわりの景色はつねに変化しています。

最近、変わってしまった景色を三つ取り上げてみます。

まず最初に、JR成田線 木下駅近くにあった日本デキシーの給水塔。
日本デキシーは、紙コップをはじめとした食品紙容器メーカーです。
給水塔は、紙コップの形をしていました。
2013年の6月の初めに木下を訪ねたときにはあったのに、同年8月の下旬にはなくなっていました。

遠くからも見えた DIXIE の給水塔 (2011.11.25  木下万葉公園から撮影)


今年の6月にはありました (2013.06.01 木下万葉公園から撮影)


今はない給水塔のアップ (上の写真と同日、近くから撮影)


どこを見ても給水塔の影はなし (2013.08.24 木下万葉公園から撮影)

給水塔がなくなって、なんだか、ひどく寂しい気持ちがしました。

なお、木下にあった千葉工場は、すでに2009年10月に閉鎖され、栃木県真岡市に移転しています。

 ➜ 日本デキシー 真岡工場

真岡工場には、紙カップの形をした給水塔はないのでしょうね。



二つめは、鎌ケ谷の入道溜三差路の南にある三差路にあった畑。
なだらかな斜面に美しく広がっていました。
写真を もっといっぱい撮っておけばよかったと悔やまれます。
 
右奥のなだらかな斜面にあった畑 (2011.10.12 撮影)


今年の8月の下旬にはコンビニができていました (2013.08.29 撮影)


コンビニの後ろには空き地が残っています 草むらの向こうまで畑でした



三つめは、多古町十余三の風景。
二年前に、私が道標に興味をもつきっかけとなったのが、下の石塔です。
石塔は、畑の端に ちょっとかしいで 寂しく建っていました。

西国三十三所供養塔 (2012.08.16 撮影)

正面には、右下に「とつかう」(取香)、左下に「なりた」(成田)と彫られています。
彫られた文字の手前の方角には、取香や成田があります。
この道標は、正しい向きに置かれているわけです。
道標の建っている四ツ辻は旧道です(『多古町史』参照)。
江戸時代の昔から、大きく位置を変えられてはいないのでしょう。
両脇にも近辺の地名が彫られています。
これもまた当然ながら正しい方角を指し示しています。
詳しくは、いずれ ご紹介します。

ここにも 9月の初めにはコンビニが(2013.09.12 撮影)

畑があったところには コンビニができました。
かしいでいた石塔もまっすぐに建て直されました。
きっと、「何だろう?」と注目する人も増えるでしょう。
「説明板があればもっと楽しめるのに」と思います。

この交差点の左手前には 道祖神があります


小さな道祖神 近くには「道祖神」という名前のバス停があります