2017年1月28日土曜日

印旛を歩く(31) 来福寺 (印西市・平賀)

印光山いんこうざん来福寺は、千葉県印西市平賀ひらか2146番地にあります。

大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』には、「六合村誌」のうちの「寺院仏堂誌」に以下のとおり書かれています(後編 P.395)。

(10) 來福寺

平賀村 字榎台にあり、新義真言宗豊山派にして千手院末なり。
大日如来を本尊とす。
開山、年代 不詳。
中興の開山を日雅とす。
口碑に云う、元来の本地は高祖大師御在世遊化ゆけ(僧が諸所に出かけて人々を教化すること)のみぎり、花島山護摩修行せられしとき、御開基なされしものなりと旧略書にあれども、安政5年(1858)7月9日、堂宇及び重要書類すべて焼失したれば証拠すべきものなし。

堂宇 間口 10間、奥行き 7間
境内 1,242坪
住職 中台宥正
檀徒 702人

境内仏堂一宇あり。すなわち、
・大師堂 弘法大師を本尊とす。 安政5年7月9日 焼失につき、由緒不詳。 
      建物 間口 2間、奥行き 2間なり。
(『寺院明細帳』より)

山門前に 小堂が2棟建っています


手前は大師堂のようです


尊像の写真が うまく撮れませんでした

前に置かれた絵には 「千百年記念」と書かれています。
これを参考にして 大師堂と判断しました。

弘法大師・空海は、宝亀5年(774)に生まれ、 承和2年(835)に入寂しています。
昭和9年(1934)には、「弘法大師壱千百年記念展覧会」というものが開かれたようです。
このときの栞を以下で読むことができます。

➜  国立国会図書館デジタルコレクション  弘法大師壱千百年記念展覧会栞


観音堂


可愛らしい子安観音が安置されていました


山 門


山門をくぐると、右手には石塔が並んでいます


左は本堂、右は大師堂


二つの大師堂や石塔が建っています


二つ目の大師堂


弘法大師像


弘法大師のレリーフのある石塔


大きな三つ目の大師堂 印西大師第66番札所です


弘法大師像


本 堂


本堂の右にある小社 天満宮かもしれません


右に見えるのは 道真像のように思われます


来福寺の山門の右手前に位置する高台には、薬師堂が建っています。

『千葉県印旛郡誌』には、以下のように書かれています(後編 P.395)。

(11) 藥師堂

平賀村 字榎台にあり、来福寺末にして真言宗なり。
七仏薬師如来を本尊とす。
開山、年代 不詳。
安政5年(1858)7月9日 来福寺焼失につき、由緒不詳。

堂宇 間口 5間、奥行き 5間
境内 217坪
住職 福山宥清
檀徒 300人
(『仏堂明細帳』より)
 
住職が、来福寺とは違っています。
檀徒も、同様に来福寺とは違っていたのかもしれません。
 
山門前にある急な石段


石段の上にある薬師堂


石段の下にある説明板 千葉県指定有形文化財の木造薬師如来坐像

印西市『新・印西名所図会』(2016) によると、木造薬師如来坐像は、現在 印旛歴史民俗資料館に保管されており、毎年7月7日の大護摩供で開扉されるそうです。

薬師堂とその周囲 堂前の説明板の内容は、石段下の説明板と同一


高台のまわりはひらけており、遠くに印旛沼が望めます


石段の上から見下ろしたところ


来福寺の手前にある「角崎つのざき生活改善センター」

来福寺さんのお話では、角崎生活改善センターは、かつては「お堂」だったそうです。
いまでも月に一度、子安観音に蝋燭を灯しに集まっているとのことです。



追 記 2017.02.04

境内にある多くの小堂が、何のお堂であるのかが分かるように、安置されている尊像の写真を追加しました。



➜  印旛を歩く(30) 一本松揚水機場と湧水 (印西市・瀬戸)

➜  印旛を歩く(32) 仁王堂・大日如来堂 (印西市・平賀)


2017年1月11日水曜日

2017.01.11 身近な植物 (1月中旬)

(1)


近所で見た植物です。

ノゲシ(野芥子) キク科 ノゲシ属
もうロゼットではありません 花も咲いています


ビワ(枇杷) バラ科 ビワ属



ギシギシ(羊蹄) タデ科 スイバ属

(2)


よく立ち寄る場所で見たラナンキュラス(ハナキンポウゲ)です。
様々な色の花があり、驚きました。
ゴージャスな花です。

ラナンキュラス(Ranunculus) 1
キンポウゲ科 キンポウゲ属
別名 ハナキンポウゲ(花金鳳花)


ラナンキュラス 2


ラナンキュラス 3


ラナンキュラス 4

(追 記 2017.01.13)


(3)


散策会で、県立北総花の丘公園に行きました。
その折に見たキノコや植物です。

ツチグリ(土栗) キノコの一種です


フウ(楓) 1 フウ科 フウ属 別名 タイワンフウ(台湾楓)


フウ 2 果実は、モミジバフウ(アメリカフウ)を二回り小さくした感じ


「花と緑の文化館」の前に、様々な品種のハボタンが並んでいました。
多くの品種名は、なぜなのか、鳥の名前になっていました。

ハボタン(葉牡丹) 1 アブラナ科 アブラナ属 「つぐみ」


ハボタン 2 「白くじゃく」


ハボタン 3 「紅はと」


ハボタン 4 「白すずめ」



ハボタン 5 「桃かもめ」


「花と緑の文化館」の温室では、アスパラガスの仲間を見ました。

アスパラガス・メイリー (学名 Asparagus densiflorus cv. Myers)
キジカクシ科 クサスギカズラ属

上の写真に撮った姿・形を見て、アスパラガスが 「キジカクシ」(雉隠)科であり、「クサスギカズラ」(草杉蔓)属であることの理由が分かりました。
いや、むしろ、アスパラガスの仲間が、なぜ「雉隠」や「草杉蔓」と名づけられたのかが分かった という方が正確かもしれません。
食用にするアスパラガスの若い茎からは想像できない姿です。

「キジカクシ科」の別名は、「クサスキカズラ科」または「アスパラガス科」です。
なぜ、この科のラテン語名である 「Asparagaceae」 が「キジカクシ科」や「クサスギカズラ科」と訳されたのでしょうか?

同科の植物としては、「キジカクシ」や「クサスギカズラ」が古来日本に自生しています。
そこで、これらの名前が訳名に当てられたのてはないかと思われます。

これらの植物は、食用のアスハラガスと同属であり、同じ Asparagus という属名をもっています。

・アスパラガス  Asparagus officinalis
・キジカクシ   Asparagus schoberioides
・クサスギカズラ Asparagus cochinchinensis

ちなみにアスパラカスは、和名をオランダキシカクシ(和蘭陀雉隠)というそうです。

(追 記 2017.01.19)


(4)


いつも立ち寄るところで色違いのラナンキュラス見ました。
こちらもゴージャスです。
ラナンキュラスにつけた番号は、(2)に掲載したものに続いています。

ラナンキュラス 5 キンポウゲ科 キンポウゲ属


ラナンキュラス 6


ラナンキュラス 7


ラナンキュラス 8


ラナンキュラス 9

(追 記 2017.01.20)


2017年1月10日火曜日

2017.01.22 冬の自然観察会 「囃子水から鳥さんぽ」
(環境課主催)

バードウォッチングにねらいを定めた散策会が行われます。
詳しくは、以下をご覧ください。

「広報かまがや」 2017年1月1日号 掲載

以前に行われた観察会の様子は、以下をご参照ください。

➜  2014.02.23 中沢川 野鳥観察会 (環境課主催)


2017年1月6日金曜日

白井市平塚を歩く(6) 平塚延命寺 ➄ 石塔ほか

前回、弘法大師に関連する石塔を見ましたが、今回は それら以外の石塔を見ていきます。

延命寺に西門から入ると、すぐ左側には、「月山がっさん  羽黒山はぐろさん  湯殿山ゆどのさん」と刻された出羽三山講碑が建ち並んでいます。

西門を入って左側に、大きな出羽三山講碑が並んでいます

3回目でふれたように、延命寺では 「火伏せの札」が本堂から発見されています。
それには萬治3年(1660)の墨書銘があり、本堂建立の年代を知る手がかりになっています。

この木札は、剣の形をしており 「剣梵天」とよばれています。
「剣梵天」は、出羽三山信仰において用いられるものだそうです。
延命寺と出羽三山信仰の密接な関係がうかがわれます。


お寺の西側の道路沿いには、様々なかたちの庚申塔が建ち並んでいて壮観です。
この地区においても庚申信仰が深く根ざしていたことが分かります。

道路際に並ぶ庚申塔群

出羽三山信仰では 東北地方の山形県にある出羽三山へと出かけてもいきますが、庚申信仰では地区内で会食談義を行って夜明かしをするというのが専らです。

多様な形の庚申塔があります


青面金剛像の彫られた庚申塔
宝暦6年(1756)11月 造立


種字「ウーン」(青面金剛)の刻された庚申塔
享和元年(1801)11月 造立

種字だけが刻されている庚申塔は珍しいようです。

「青面金剛王」と文字が刻された庚申塔
文化12年(1815) 造立
この塔は 道標を兼ねています


以下は 庚申塔ではないものです。

馬頭観音塔 天明3年(1783)3月 造立
大師堂の前に建っていました


境内には、十九夜塔や金剛界大日如来など、様々な石塔が並んでいます


「師表 平井先生之碑」 大正3年(1914) 建立
とても大きな石碑です 

お寺におききしたら、「平井先生」とは 平塚分校のかつての先生であり、師を慕って教え子たちが この碑を建てたものだそうです。


手水鉢にも歌碑が添えられていました

石碑を見て、ひとは何かをおもいます。
記事内で述べてきたように、本寺には新しい石碑が建てられてきました。
これは今の世だからこそ、大きな意味のあることなのではないでしょうか。

延命寺について これまで5回にわたって見てきましたが、今回で完結です。


➜  白井市平塚を歩く(5) 平塚延命寺 ➃ 大師堂