貝柄山公園と句碑の位置 |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものを利用しました
パークサイド鎌ケ谷の東側にある東中沢ふれあい緑道を貝柄山公園に向かって歩いていくと、南出入口の前へ出ます。
貝柄山公園の南出入口 その左の片隅には・・・・ |
左の片隅の近くにいって見ると、下の写真のような小さな句碑が建っています。
小さな句碑の正面 |
「をりをりに 余花(よか)の散りくる 峡田(はけた)かな」と読むのでしょうか。
「余花」は、夏の季語で、初夏に入ってなお咲き残っている桜の花のことだといいます(もっとも、作者ご本人は句集『牛飼』において、この句を「春」の部に入れています)。
今は貝柄山公園は桜の名所ですので、それを先取りしたような句です。
ただし、この句にある「余花」の桜はヤマザクラではないかと推察します。
昔は谷津の斜面林にヤマザクラが多く見られました。
「峡田」は谷津田のことです。
今の貝柄山公園から中沢の谷津にかけては、かつて谷津田がずっと続いていました。
この句の作者が住んでいた北初富を流れる大津川源流部も同様でした。
句碑の裏側 平成5年(1993年)10月設置とある |
以前から、これがどういう人の句碑であるのかずっと気になっていました。
台座部分に刻まれた作者の簡単なプロフィール |
句碑の台座部分には、句の作者は清田松琴(本名は 誠とのこと)、ホトトギスの同人と彫られています。
また、明治44年(1911年)4月生まれとあります。
ご存命なら百歳をとうに超えています。
この句碑が建てられた平成5年(1993年)の10月の頃には ご健勝だったのだと思います。
さきほどふれましたが、松琴には『牛飼』という句集があり、その題字と序文は、父のあとを引き継いでホトトギスの主宰者であった高濱年尾によるものです。
松琴は年尾の弟子でありました。
句碑の台座に「ホトトギス同人」とあるのはそれを端的に物語っています。
年尾については、「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」のサイトに、以下の解説があります。
高浜年尾 たかはま-としお
明治33年12月16日生まれ。高浜虚子(きょし)の長男。中学時代から父の手ほどきをうけ、一時会社につとめたのち俳句に専念。昭和13年から「俳諧(はいかい)」を主宰。26年父より「ホトトギス」をひきついだ。昭和54年10月26日死去。78歳。東京出身。小樽高商(現小樽商大)卒。著作に「俳諧手引」、句集に「年尾句集」。
【格言など】暮れる前からのかゞやき寒の月(「句日記三」)
自費出版された句集『牛飼』の表紙 |
句集『牛飼』が自費出版されたのは昭和54年5月のことですから、そのしばらく後に年尾は他界しています。
松琴は自著の「あとがき」において、このときすでに病床にあった年尾への感謝の気持ちを述べ、その快癒を心から願っています。
句集『牛飼』は年尾に捧げられており、二人の深いつながりを思わずにはいられません。
句集の書名にあるように、松琴は酪農業を経営しており、牛を飼っていました。
句集の口絵写真を見ると、松琴が牛とともに写っています。よい写真です。
牛に関する生活感溢れる句が句集には数多く見られます。
句集『牛飼』の口絵写真 |
以下に、年尾がこの句集に寄せた「序文」を載せます。
松琴の俳句の存在意義を見事に言い尽くしています。
序 文 登 戸 病 院 高 濱 年 尾
表題の通りその牛飼である。朝夕牛と共に寝、その毎日は牛と共にある。その日常を背景として作者は毎日を送ってゐる。牛飼の仕事の中に自分を没してその中に俳句を生み出してゐる自分を憚りなく打出してゐる尊い存在である。
牛を離れて俳句は生れない。牛にたかる蝿一匹も見逃されない。それでもそこに俳句はいくつも生れる。尊い生活俳句である。同時に身辺の俳句を盛り上げてゐる。
作者が牛と共に寝起きし共に句を語り立派な作品を諸君に訴へるのが天命であるとして一日一日が広く楽しく轉回して行くところに私はこの作品に尊敬を払ふ。諸君も同じく敬畏を払はざるを得ないだらふ。
俳句の世界は松琴氏にとりて狭い様であるが甚だ広い。私はそこに作者の美しさと楽しさを見出す訳である。
歌人故伊藤左千夫翁は牛飼である。牛飼の中に歌の境地をうたひ出してゐる。
松琴氏俳人ながら牛飼である。
然もホトトギス千号の記念として同人の一人に加はる事になってゐる。
本序文は昭和五十四年四月十四日に賜ったものであります。
師の厚意に報いるように、松琴による「あとがき」は 年尾のことを思い遣る言葉に満ちています。
あ と が き
私は明治生れの百姓として生き抜いて来ました。戦前は農耕業を、戦後は酪農業に転向し今日まで随分苦労もしました。
この句集は私の五十年に亙る百姓生活の記録のようなものであります。
私は只管一筋にホトトギスに拠りまして、高濱年尾先生に一牛飼の身の失礼も顧ず御懇切なる御指導を賜りました。
きみ子奥様にも随分と御高配を賜りました。
全く身に余る仕合せでございましてこの御恩は生涯忘れ得ない感激で御座居ます。
また本句集刊行に当りましては御病臥中の御不自由な御体で御懇篤なる序文及び題字を賜りまして誠に有難く何と御礼を申し上げてよいやら・・・・・御礼の言葉も御座居ません。謹んで御礼を申上げる次第で御座居ます。
高濱年尾先生の一日も早く御快癒なされますことを御祈り申上げます。
昭和五十四年五月 清 田 松 琴
清田松琴氏 近影 (句集『牛飼』奥付より) |
➜ 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その2) 句集『牛飼』から