2013年8月24日土曜日

鎌ケ谷の神社(1) 道野辺八幡神社(その1)

鎌ケ谷の神社について取り上げていきたいと思います。
最初に取り上げるのは、道野辺八幡神社です。
神社としての歴史はそんなには古くはありませんが、現在では鎌ケ谷を代表する神社となっています。

道野辺八幡神社 鳥居 東武野田線 鎌ケ谷駅から歩いて5分の距離です


道野辺八幡神社に至る参道は2本あります


きれいに掃き清められた境内


道野辺八幡神社 拝殿


拝殿の後ろに見える本殿


拝殿に向かって左にある参集殿


2011年の秋に開催された鎌ケ谷市郷土資料館の「第12回ミニ展示 地区の歴史と文化財④  ―道野辺―」において、「由緒は不詳ですが、江戸時代の半ばころまでは小金中野牧の内であったようです」と述べられています。


神社の境内には「御由緒」が掲げられています。

道野辺八幡神社 御由緒

少々わかりづらいので、以下に書き直したものを載せます。


 道野辺八幡神社について


 道野辺八幡神社は 、鎌ケ谷市内の代表的な神社として「道野辺八幡宮」と尊称され、市民や近隣の住民からあがめられています。
 信仰の対象としては、八幡大社の誉田別尊(ほんだわけのみこと)〔応神天皇〕ほかを祀(まつ)っています。

 創建の由来は、長い栄枯盛衰の歴史の中で資料が散逸したり、世情の遷(うつ)り変わりにより伝承や伝説が風化してしまったりしたため、明らか ではありません。
 伝承によれば、鎌倉時代に中沢城(東城と西城)の築造に関わって、この地が城の鬼門の方角にあるとし、厄除け・方位除けの神、弓矢兵馬の神、文武勝運守護の神として、城を守護するために創建されたものだといいます。
 また土地の伝説によれば、平将門が下総地方を征服し、市川大野の地に宮殿を建てて、中沢にも築城した際、置かれたものだといいます。

 ご利益は、信仰対象の特色から、厄除け開運、殖産・興業、学芸成就、子育て安全・成育、安全息災、勝運守護に、特に霊験あらたかなものがあります。

 一年間をとおしての行事は数多くあります。

  1月1日 歳旦祭
  1月2日 開運祭
  1月3日 元始祭
  1月25日 学神祭
  2月節分 節分祭
  5月5日 春祭
  10月15日 秋祭
  11月15日 七五三祭
  12月31日 除夜祭

  毎月1日と15日 月次祭

 どの行事も人出が多く、社前は終日参拝者で賑わいます。初宮詣で、車祓い、地祭(地鎮祭他)等は隨時行われています。

                   道野辺八幡神社 社務所
 
 
元の御由緒と書き改めたものを対照させたものを以下に載せます。
印刷して見る場合には、これが一番わかりやすいでしょう。
画像をクリックすると拡大されます。

道野辺八幡神社 御由緒 (原文・リライト対照版)
 

 
 境内を歩いてみると目を楽しませてくれるものが見つかります。

実物大の白馬像が置かれています


数多くの絵馬 年始には参拝者で賑わいます

 
「学問の神 天満宮」 の小社


境内にはさまざまな小社や祠が並んでいます


手水鉢の上には和歌の書かれた扁額が かかっています


割 込 2015.08.19

上の写真の手水舎は、もうありません。
2012年11月に 新しく建て替えられています。
扁額もすでにありませんが、手水鉢自体は前と同じです。
現在の手水舎については、以下の記事の中ほどを ご参照ください。

➜ 鎌ケ谷の神社(7) 道野辺八幡神社(その2) 「福市」

割込終了


扁額の部分を拡大


扁額の写真の3行目にある「丈部の」は、書き違いだと思われます。
この部分を修正して写すと、以下のとおりになります。

    萬葉集弐拾 上丁 丈部の鳥

    道野辺の 荊の末に はほ豆の
       からまる君を 離れか行かむ

原文 : 美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃
       可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟

読み : 道の辺(へ)の 茨(うまら)のうれに 延(は)ほ豆の
       からまる君を 別(はか)れかゆかむ

意味 : 道端の ノイバラの先端に 絡まるマメの蔓のように
       私にまとわりつく妻の手を
       振りほどいて 旅に出なければなりませんでした

防人(さきもり)として選ばれた、兵士の階級が「上丁(かみつよほろ)」である 丈部鳥(はせつかべのとり)という人が、妻との別れを惜しんで詠んだ歌です。

「道野辺」という地名と同じ言葉が使われている歌が 万葉集にあることを知っていた人が、手水鉢の扁額として掲げたものでしょう。


この歌について調べてみたところ、次のようなことがわかりました。

出典 : 万葉集 第二十巻 第4352首

題詞 : 天平勝寶七歳乙未(きのとひつじ)二月 相替遣筑紫諸國
      防人等謌

      「相替遣筑紫諸國防人等謌」の部分は、「相替りて筑紫に遣
      はさるる諸國の防人等(さきもりら)の歌」と読む

補足 : 二月九日 上総國 防人部領使 少目従七位下 茨田連沙弥麻
      呂 進謌數 十九首 但拙劣謌者不取載之

      「防人部領使(さきもりことりづかい)」は、防人の交替に
      あたり、東国の防人を筑紫まで引率する使いのこと

     「但拙劣謌者不取載之」は、「但し 拙劣(つたな)き謌は之
      を取り載せず」と読む
      進上せず、打ち捨てられた歌も数多くあったのだろう

      天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年 (755年) 2月
      9日に、 上総國(かずさのくに)の防人(さきもり)を引
      率する役人であった茨田連沙弥麻呂(まむたのむらじさみ
      まろ)が進上したとされる歌の一つがこれである

作者 : 右一首 天羽郡 上丁 丈部鳥(はせつかべのとり)

      「天羽郡(あまはぐん)」は、上総國にかつて存在した郡
      上総國西端の富津岬から浦賀水道に面した区域がその領域
      現在の富津市の大部分に相当する

      「上丁(かみつよほろ)」は、兵士の階級であり、課役を負
      った成年男子をいう

      「丈部(はせつかべ)」は、走り使いの部民(べのたみ)の
      こと



追 記 2013.08.30

iPhone 等のスマートフォンでも表示がくずれないよう、改行の位置を変えました。
ただし、ウェブバージョンだけに対応しています。


追 記 2015.01.01

道野辺八幡神社には、すばらしいホームページがあります。
多くの写真や説明が大変参考になります。
ぜひ、ご覧になってください。

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