下の地図の中央付近(➋)がその場所です。
富岡周辺の地図 (色別標高図と合成) |
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用
明治時代初めの「迅速測図」の➋の部分には、「イ」という記号で示された一重土手の野馬土手(勢子土手)がしっかりと描き込んであります。
なお、この地図にも目安となる建物などの名称を書き込みましたが、地図が作成された明治13年当時に存在したのは 明治3年創建といわれる初富稲荷神社だけです。
「迅速測図 鎌箇谷駅近傍村落」(1880年) より |
この地図に見る野馬土手すべてが残存しているわけではありません。
➊から➍は 現在も野馬土手跡等に関連するものが残っている場所です。
青い文字をクリックすると以前に書いた記事にジャンプします。
➊ 貝柄山公園の「野馬の親子像」
➋ 富岡に残る勢子土手の名残 (この記事)
➌ 囃子清水七面堂前の勢子土手跡 (➋の勢子土手の延長部分です)
➍ 道野辺八幡神社内の林に残る野馬除土手跡
この道路の先には根郷川が流れていました (いまは暗渠です) |
前と同様、西の方角に向かって見たところ 土手状に盛り上がっています |
土嚢を積んである部分は雨水を排出させるためでしょうか |
「国有地」であることを示す看板 |
どうして こんなところに国有地があるのか、どうして 土手のように盛り上がっているのか、「迅速測図」を見るまでは わかりませんでした。
「迅速測図」は野馬土手跡を探すうえで必須ですね。
道路からはかなりの高さがあります |
東の方角に向かって見たところ この先には東武野田線が通っています |
盛り上がった土手の終端部では、勢子土手を想像させる断面が見られます |