そのときに、住宅街の中で見た庚申塔です。
3基の庚申塔が並んでいました |
左右の庚申塔は「青面金剛王」と刻された文字塔。
中央は「猿田毘古(彦)神」と刻されていますが、やはり庚申塔です。
庚申信仰の本尊は、仏教では「
この庚申塔は 享和3年(1803)造立 |
庚申塔の左側には、
石祠は 簡素ながら |
「奉勧〔請?〕 牛頭天王」と刻されています |
「牛頭天王」(ごずてんのう)は神仏習合の神。
京都の「祇園社」の名は、本来の主祭三神の「中の座」である牛頭天王が 祇園精舎の守護神であることによっています。
この祇園社は、慶応4年(1868)-明治元年(1868)の神仏分離の布告により、祭神の呼び名が変わり、名称も「八坂神社」(「八坂造」(やさかのみやつこ)に由来)と変わりました。
同様のことは、「祇園社」から勧請した全国各地の「牛頭天王社」に及び、総本社と同じく「八坂神社」と名を改めました。
鎌ケ谷市・粟野の 八坂神社 も、元々は 牛頭天王社 でした。
この神社周辺の土地は、その小字を「天王前」といいます。
本来の名前が付いた地名が、今日へと引き継がれているわけです。