2017年12月22日金曜日

千葉県北西部の鳥見神社 (5) <白井市・平塚鳥見とり み 神社>

白井市の鳥見神社を引き続き取り上げます。
今回は、白井市・平塚の「平塚鳥見神社」です。
所在地は、白井市平塚〔字北口〕962番地です。

この神社は、以前、本ブログで 以下のように2度取り上げています。

➜  白井市平塚を歩く(1) 平塚鳥見神社

➜  2017.11.25 「ぐるっと一周 平塚の里」 (その2)

これらの記事を元に、あらためて編集し直しました。
より詳しくは、以上の記事をご参照ください。

 
神社への入口 説明板が右手に立っています

この説明板については、その内容を書き出したものを 後の方でご覧いただきます。


参道左手には 大きな石碑が建ち並んでいます


これらの石碑のほとんどは 「大々御神楽奉奏記念」の碑です


鳥 居   明神鳥居 「鳥見神社」と神額にあります


参 道


拝 殿 一見、普通の建物のように見えます


左 本殿、 右 拝殿の一部


本殿全景


入口のところにあった説明板は、下の写真のとおりです。

「平塚鳥見神社」についての説明板

本殿について分かりやすく説明されていますので、内容をあらためて書き出してみます。


白井市指定有形文化財(建造物)

平塚鳥見神社 本 殿   (附) 棟札ひらつかとりみじんじゃほんでん   つけたり むなふだ


             所 在 地  平塚字北口962番地
             管 理 者  宗教法人鳥見神社
             指定年月日  平成28年3月23日

 平塚地区に所在する鳥見神社は、創建は不詳で、祭神に饒速日命にぎはやひのみことを祀ります。
 拝殿の奥に木造の玉垣を廻した本殿があります。この本殿は天保5年(1834年)9月に建立されたもので、大工は葛飾郡北方村(現市川市)与右衛門と平塚村半四郎、木挽は平塚村新兵衛です。

 ケヤキ材による木造の一間社流造の本殿で、屋根は銅板葺です。身舎(もや)四周に廻縁を廻し、高欄をつけます。背面柱筋には脇障子を立てます。木階は五級で登り高欄を付け、木階下には浜縁を設けます。正面柱間寸法は6尺で、市内の神社本殿の中でも大きなものです。

 本殿は随所に彫刻が施されています。柱頭部には唐獅子や獏(ばく)の木鼻を付け、正面扉脇の小脇板には昇龍・降龍が、木階下羽目板には飛龍が、庇の下の幕板にも龍が彫られています。また本殿側面には雉や鳳凰が彫刻されるほか、脇障子には鶯の彫刻を嵌め込みます。このような数多くの彫刻で飾られた壮麗な本殿は、江戸時代後末期の神社建築の装飾的な特徴をよく現すものです。

 平塚鳥見神社本殿は江戸時代に火事に遭い再建されたもので、天保2年(1831年)に作成された木挽任用帳や、建立時の天保5年の棟札が残されています。本神社本殿は白井市内の江戸時代後末期に建立された、彫刻で飾られた神社本殿の中でも規模の大きなものの一つであり、本社建立時の過程を追うことのできる白井の歴史上価値の高いものです。
 本殿と併せて、その歴史的価値を裏付ける資料である天保5年の棟札一枚を附指定としました。

 平成28年6月7日
                     白井市教育委員会


本殿正面 1


本殿正面 2 「鳥見神社」の神額が懸かっています


本殿左側


本殿の後ろにある 横穴式石室 この場所に古墳があったようです


大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』中の「永治村誌」にある「神社誌」には、境内社について以下のように書かれています(後編 P.544)。

(6) 村社 鳥見神社

平塚村 字北口にあり、饒速日命を祭る。
由緒不詳。
社殿 間口 2間半、奥行き 3間。
拝殿 間口 7間、奥行き 4間。
境内 425坪。
氏子 97戸を有す。

境内9社を祭る。即ち、

1 大杉神社  祭神、由緒 不詳。建物は石宮なり。
2 八坂神社  素戔嗚尊を祭る。由緒不詳。建物  間口 四尺 奥行 3尺。
3 子安神社  木花咲耶姫を祭る。由緒不詳。建物 間口 四尺 奥行 3尺。
4 歯苦山神社 祭神、由緒 不詳。建物は石宮。
5 山  神  大山祇命を祭る。由緒不詳。建物は石宮。
6 妙正大神  祭神、由緒 不詳。建物  竪 2尺 横 1尺5寸。
7 稲荷神社  稲倉魂命を祭る。由緒不詳。建物  竪 2尺 横 1尺5寸。
8 神武神社  神武帝を祭る。由緒不詳。建物  竪 8尺 横 6尺。
9 金毘羅神社 金山彦命を祭る。由緒不詳。建物  竪 3尺 横 2尺5寸。

(以上、『神社明細帳』より)


拝殿の右にある「八坂神社」


社叢林には 末社である祠が散在します


社叢林も神域であることが分かります


「新四國三十三番」とある標柱

白井町教育委員会発行の『白井町石造物調査報告書 第三集』(1988)に拠ると、上の標柱は「平塚 村大師」の第33番札所を示しています。

「平塚 村大師」は平塚地区を特徴づけるものです。


2017年12月21日木曜日

千葉県北西部の鳥見神社 (4) <白井しろ い 市・小名内 こ な うち鳥見とり み 神社>

今回も白井市の鳥見神社である「小名内鳥見神社」を取り上げます。
同神社は、 白井市名内 ・ 字 小名内にあります。
所在地は、白井市名内〔字小名内〕1092番地の1です。

この神社は、「稲荷神社」とよばれることが多いようです。
『しろい散策マップ(改訂版)』(白井市教育委員会 2010)の P.25には、「小名内稲荷神社」として載っています。
また、ほとんどの地図で 「稲荷神社」となっています。

一方、『しろいの散歩みち』(白井町役場・広報課 1984)の P.33(小名内地区について書かれています)には、「鳥見神社」として掲載されています。
この「鳥見」には、ルビが振られていません。
一般的には「とりみ」と読まれるものと判断し、あえてルビを付けなかったのでないでしょうか。
ちなみに、宗像神社の「宗像」には、「むなかた」とルビが振られています。

なお、この小名内 鳥見神社と、印西市(本埜地区)にある下井〔長門屋〕 鳥見神社、萩埜 鳥見・長柄神社の計3社は、いわゆる「鳥見十八社」には含まれません。

道路沿いに小名内鳥見神社(稲荷神社)はあります 周囲は畑です


「小名内」と小字が書かれた掲示板がありました


赤い鳥居 靖国鳥居に額束がくづかが付けられています

『しろいの散歩みち』の P.33には、素木しらきの明神鳥居の写真が載っていました。
これが建て替えられて、いまの鳥居になったのでしょう。

参道の右側には 石祠や石塔が建ち並んでいます

狭い境内ですが、多くの石造物が建っています。
『白井町石造物調査報告書 ― 第二集 ― 』(白井町教育委員会 1987)によると、その数は 大師像や手水石などを含めると33基に上ります。

一番手前の石塔群


二番目の石塔群

上の写真の右側から3基を個々に撮ってみました。

庚申塔 元文元年(1736)


庚申塔 天保11年(1840)

この文字塔は、変わった字体です。
一番下の文字は、土偏に「髙」のように見えます。
小高い所を示す漢字である「塙はなわ」かと思ってしまいます。
なお、この漢字の音おんを漢和辞典で調べたら、「カク」だそうです。


庚申塔 宝永7年(1710)

庚申塔は、青面金剛像が彫ってある1700年代のものの方が、文字塔よりも見応えがありますね。


三番目の石塔群


四番目(最奥)の石塔群


最奥の石塔群に近寄ってみると、幣束が捧げられた疱瘡神の左側には・・・


「鳥見大明神」 宝暦7年(1757)

ようやく見つけました。
これが「鳥見神社」です。


境内の様子 左は大師堂、 中央は集会場(?)、 右は稲荷神社 社殿


稲荷神社の社殿


小名内地区の集会場となっているのでしょうか

『しろいの散歩みち』の P.33には、「拝殿は地区の集会場を兼ねている」と書かれています。
ここに限らず、拝殿は地域の集会場の機能を果たしてきたのでしょう。

2009年の『ゼンリン住宅地図 千葉県白井市』で調べてみたら、「小名内公民館」と書かれていました。
いまでは、こうよばれていないようです。


左 東葛印旛大師第45番大師堂、 右 東葛印旛大師第37番大師堂+観音堂


東葛印旛大師第45番大師堂の弘法大師像


東葛印旛大師第37番大師堂の弘法大師像


聖観世音菩薩像


2017年12月18日月曜日

2018.02.04 「ミニとっこめ寄席」のご案内

毎年恒例の「新春初笑い  鎌ケ谷キンゲン亭」。
はやくも10回目を迎えます。
今回は、真打の金原亭馬玉ばぎょく師匠と二ッ目の金原亭馬久ばきゅうさんの高座です。
馬玉師匠は 2年ぶり、 馬久さんは 昨年に引き続いての出演です。

ぜひお出かけください。 楽しいですよ!

詳しくは、以下のチラシをご覧ください。

「ミニとっこめ寄席」のチラシ (近くの公民館でもらってきました)


追 記 2018.01.01

「広報かまがや」 2018.01.01号 5面掲載


2017年12月17日日曜日

変わりゆく風景 (5) 鎌ケ谷八幡神社 ・ 初富駅


1 鎌ケ谷八幡神社


市内を歩いたときに見た景色や植物です。
変わらないと思われた風景も、あっという間に その姿を変えてしまうことに あらためて気づかされました。
比較のため、以前に撮った写真も加えて掲載します。

はじめに鎌ケ谷八幡神社。
先だって、境内の樹木のほとんどが伐採され、景観が一変してしまいました。
樹木の有り無しで、こんなにも景色が変わってしまうものとは・・・

社叢林に覆われていた頃の鎌ケ谷八幡神社 (参道) (2011.10.02 撮影)


ほとんどの樹木が伐採されてしまいました (2017.12.12 撮影)

以下は、境内の様子を撮った写真です。

鎌ケ谷八幡神社の境内の現況 (2017.12.12 撮影)


ヒヨドリジョウゴ(鵯上戸)   ナス科 ナス属  境内の片隅で見つけました


2 新京成電鉄 初富駅


最後に、津田沼方面が高架化された新京成電鉄の初富駅。
ここは、駅に隣接する土地(市有地?)のケヤキの木が残されました。

プラットホーム 左上は 高架化された津田沼方面、右下は 松戸方面


津田沼方面プラットホームから見えるケヤキの梢


伐られずにすんだ ケヤキ(欅)の木
ニレ科 ケヤキ属

初富駅とともに、新鎌ケ谷駅と北初富駅も、津田沼方面が高架化されました。
これらの駅の様子については、以下をご覧ください。

➜  2017年・秋 初富駅 京成津田沼方面ホームが高架化

➜  2017年・秋 新鎌ヶ谷駅 京成津田沼方面ホームが高架化

➜  2017.10.25 北初富駅 京成津田沼方面ホームが高架化


2017年12月15日金曜日

千葉県北西部の鳥見神社 (3) <白井しろ い 市・名内 な うち鳥見とり み 神社>

白井市には、鳥見神社が7社あります。
このシリーズでは、前回、前々回と そのうちの2社を取り上げました。
引き続き今回も、白井市にある名内鳥見神社を取り上げます。

白井市の工業団地の中央部を南北に走る道路を 北へと向かうと、急に道が狭まるところがあります。
その左手に名内鳥見神社があります。
所在地は、白井市名内〔字宮脇〕408番地です。

名内鳥見神社は 道路沿いにあります

この「鳥見」神社も、「とりみ」と読むようです。
『しろい散策マップ(改訂版)』(白井市教育委員会 2010)の P.26を見ると、そのようにルビが振ってありす。

鳥居と その左手の石塔群


7基の庚申塔 と 出羽三山碑(右端)


庚申塔 元禄7年(1694)


庚申塔 享保4年(1719)


鳥居の手前左側にある 出羽三山碑 2基 と 「敷石寄附連名」碑


靖国鳥居(石造) と 両部鳥居(木造)

鳥居には 「鳥見神社」と書かれた神額が懸かっていないためか、地図によっては 「産砂うぶすな神社」または「月山がっさん神社」となっています。

石造の鳥居は、明治44年(1911)に建てられたものです。


境内に入ると右手に大きな石碑が並んでいます。

「日露戦役記念碑」 右には「明治三十七八年」

日露戦争は、明治37年(1904)2月に始まり、同38年(1905)9月に終わっています。
「明治三十七八年」と付することにより、日露間で戦闘が行われていた期間を明示し、悲惨な戦争の記憶をとどめようとしたのではないでしょうか。


「伊勢参宮太々記念碑」 2基


参 道


参道の左手にある「駒形明神」の祠(1871) と「大六天」の祠(1852)


参道右手にあった小祠


小祠の中 (不明)


大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「白井村誌」には、村社 鳥見神社の一社として以下のように書かれています(後編 Pp.480)。

(19) 村社 鳥見神社

名内村 字宮脇にあり、面足尊おもだるのみことを祭る。

由緒不詳。

社殿 間口 2間3尺、奥行き 2間3尺。
境内 208坪あり、氏子 52戸を有す。

境内3社あり、すなわち
1. 大杉神社  祭神・由緒不詳。 建物 間口 3尺、奥行き 3尺。
2. 大租神社  祭神・由緒不詳。 建物 間口 2尺、奥行き 2尺。
3. 猿田彦神社 申田彦命を祭る。 由緒不詳。
        建物 間口 2尺5寸、奥行き 3尺なり。

(『神社明細帳』より)


拝 殿


拝殿正面


拝殿の後ろにある本殿


本殿全景


神紋は 左三つ巴


横から撮った本殿


境内の石造物については、『白井町石造物調査報告書 ― 第二集 ― 』(白井町教育委員会 1987)を参照しました。