2017年12月21日木曜日

千葉県北西部の鳥見神社 (4) <白井しろ い 市・小名内 こ な うち鳥見とり み 神社>

今回も白井市の鳥見神社である「小名内鳥見神社」を取り上げます。
同神社は、 白井市名内 ・ 字 小名内にあります。
所在地は、白井市名内〔字小名内〕1092番地の1です。

この神社は、「稲荷神社」とよばれることが多いようです。
『しろい散策マップ(改訂版)』(白井市教育委員会 2010)の P.25には、「小名内稲荷神社」として載っています。
また、ほとんどの地図で 「稲荷神社」となっています。

一方、『しろいの散歩みち』(白井町役場・広報課 1984)の P.33(小名内地区について書かれています)には、「鳥見神社」として掲載されています。
この「鳥見」には、ルビが振られていません。
一般的には「とりみ」と読まれるものと判断し、あえてルビを付けなかったのでないでしょうか。
ちなみに、宗像神社の「宗像」には、「むなかた」とルビが振られています。

なお、この小名内 鳥見神社と、印西市(本埜地区)にある下井〔長門屋〕 鳥見神社、萩埜 鳥見・長柄神社の計3社は、いわゆる「鳥見十八社」には含まれません。

道路沿いに小名内鳥見神社(稲荷神社)はあります 周囲は畑です


「小名内」と小字が書かれた掲示板がありました


赤い鳥居 靖国鳥居に額束がくづかが付けられています

『しろいの散歩みち』の P.33には、素木しらきの明神鳥居の写真が載っていました。
これが建て替えられて、いまの鳥居になったのでしょう。

参道の右側には 石祠や石塔が建ち並んでいます

狭い境内ですが、多くの石造物が建っています。
『白井町石造物調査報告書 ― 第二集 ― 』(白井町教育委員会 1987)によると、その数は 大師像や手水石などを含めると33基に上ります。

一番手前の石塔群


二番目の石塔群

上の写真の右側から3基を個々に撮ってみました。

庚申塔 元文元年(1736)


庚申塔 天保11年(1840)

この文字塔は、変わった字体です。
一番下の文字は、土偏に「髙」のように見えます。
小高い所を示す漢字である「はなわ」かと思ってしまいます。
なお、この漢字のおんを漢和辞典で調べたら、「カク」だそうです。


庚申塔 宝永7年(1710)

庚申塔は、青面金剛像が彫ってある1700年代のものの方が、文字塔よりも見応えがありますね。


三番目の石塔群


四番目(最奥)の石塔群


最奥の石塔群に近寄ってみると、幣束が捧げられた疱瘡神の左側には・・・


「鳥見大明神」 宝暦7年(1757)

ようやく見つけました。
これが「鳥見神社」です。


境内の様子 左は大師堂、 中央は集会場(?)、 右は稲荷神社 社殿


稲荷神社の社殿


小名内地区の集会場となっているのでしょうか

『しろいの散歩みち』の P.33には、「拝殿は地区の集会場を兼ねている」と書かれています。
ここに限らず、拝殿は地域の集会場の機能を果たしてきたのでしょう。

2009年の『ゼンリン住宅地図 千葉県白井市』で調べてみたら、「小名内公民館」と書かれていました。
いまでは、こうよばれていないようです。


左 東葛印旛大師第45番大師堂、 右 東葛印旛大師第37番大師堂+観音堂


東葛印旛大師第45番大師堂の弘法大師像


東葛印旛大師第37番大師堂の弘法大師像


聖観世音菩薩像