同神社は、 白井市名内 ・ 字 小名内にあります。
所在地は、白井市名内〔字小名内〕1092番地の1です。
『しろい散策マップ(改訂版)』(白井市教育委員会 2010)の P.25には、「小名内稲荷神社」として載っています。
また、ほとんどの地図で 「稲荷神社」となっています。
この「鳥見」には、ルビが振られていません。
一般的には「とりみ」と読まれるものと判断し、あえてルビを付けなかったのでないでしょうか。
ちなみに、宗像神社の「宗像」には、「むなかた」とルビが振られています。
なお、この小名内 鳥見神社と、印西市(本埜地区)にある下井〔長門屋〕 鳥見神社、萩埜 鳥見・長柄神社の計3社は、いわゆる「鳥見十八社」には含まれません。
道路沿いに小名内鳥見神社(稲荷神社)はあります 周囲は畑です |
「小名内」と小字が書かれた掲示板がありました |
赤い鳥居 靖国鳥居に |
『しろいの散歩みち』の P.33には、
これが建て替えられて、いまの鳥居になったのでしょう。
参道の右側には 石祠や石塔が建ち並んでいます |
狭い境内ですが、多くの石造物が建っています。
『白井町石造物調査報告書 ― 第二集 ― 』(白井町教育委員会 1987)によると、その数は 大師像や手水石などを含めると33基に上ります。
一番手前の石塔群 |
二番目の石塔群 |
上の写真の右側から3基を個々に撮ってみました。
庚申塔 元文元年(1736) |
庚申塔 天保11年(1840) |
この文字塔は、変わった字体です。
一番下の文字は、土偏に「髙」のように見えます。
小高い所を示す漢字である「
なお、この漢字の
庚申塔 宝永7年(1710) |
庚申塔は、青面金剛像が彫ってある1700年代のものの方が、文字塔よりも見応えがありますね。
三番目の石塔群 |
四番目(最奥)の石塔群 |
最奥の石塔群に近寄ってみると、幣束が捧げられた疱瘡神の左側には・・・ |
「鳥見大明神」 宝暦7年(1757) |
ようやく見つけました。
これが「鳥見神社」です。
境内の様子 左は大師堂、 中央は集会場(?)、 右は稲荷神社 社殿 |
稲荷神社の社殿 |
小名内地区の集会場となっているのでしょうか |
『しろいの散歩みち』の P.33には、「拝殿は地区の集会場を兼ねている」と書かれています。
ここに限らず、拝殿は地域の集会場の機能を果たしてきたのでしょう。
いまでは、こうよばれていないようです。
左 東葛印旛大師第45番大師堂、 右 東葛印旛大師第37番大師堂+観音堂 |
東葛印旛大師第45番大師堂の弘法大師像 |
東葛印旛大師第37番大師堂の弘法大師像 |
聖観世音菩薩像 |