平塚に入るとすぐに、道路に面して墓所がありました。
そこでこんなものを目にしました。
小さな腰掛けのようなものを見てください。
いったい何なのでしょう。鎌ケ谷では見たことがありません。
名前も用途もわかりません。
一緒に行った方々もご存じありませんでした。
近づいてよく見てみました。
お供えをするためのものでしょうか。
お墓の前だけではなく、多数、墓所のいろいろなところに置かれています。樹木のそばや馬頭観音の前にも供えられています。
これを見た日から1カ月半も経った頃のこと。
白井市の古文書講座に参加していたとき、休憩時間に前席の人たちが、<ガラガラが ・・・> と話をされていました。
おききすると、それは今井の桜を見にいったときに、墓前で見たもののことでした。
やっと名前がわかりました。「ガラガラ」と呼ぶのです。
その後に参加したある散策会では、白井に住むご婦人から以下のような話をお聞きしました。
私たちは、「お膳」と呼んでいました。
お盆のときに墓前に置いてお供え物を載せました。
ナスやキュウリなどを供えました。
「お膳」は 真竹で作りました。
柔らかい若竹を使うと足の部分を作るとき 簡単に折れ曲がります。
天蓋の部分には四角く真菰を巻き付けていきました。
この真菰は2~3日天日干ししてから使いました。
作り方は親から教わりました。
いまではもう昔のようには作らなくなくなりました。
真菰が少なくなってしまったのも一因でしょう。
でも、白井では手作りの「お膳」がまだ供えられているようです。
ネットで検索したら、いくつかのことがわかりました。
東京にもこのガラガラが残っているようです。
「ガラガラ」+「膳」で、「ガラガラ膳」と呼んでいるところもあるようです。
以下は、参考になるネット情報です。
足立区/お盆のガラガラ膳(ぜん)
http://www.city.adachi.tokyo.jp/hakubutsukan/chiikibunka/hakubutsukan/manabu-garagarazen.html
葛飾区のお盆の風習「ガラガラ」
http://www.chinjuh.mydns.jp/cgi-bin/blog_wdp/diary.cgi?no=1426
以下のブログの記事は、すべて同じ執筆者によるものです。
なんとこの方の修士論文のテーマが、このガラガラだそうです。
ブログ「短冊書いた」から 「ガラガラ」の正体
http://d.hatena.ne.jp/tanzakukaita/about
ブログ「短冊書いた」から 千葉県白井市平塚
http://d.hatena.ne.jp/tanzakukaita/20050815
ブログ「短冊書いた」内を「ガラガラ」で検索
http://d.hatena.ne.jp/tanzakukaita/searchdiary?word=%A5%AC%A5%E9%A5%AC%A5%E9&type=detail
いろいろなことがわかりました。
修士論文を書いた人にはお会いしてお話を聞いてみたいと思いました。
追 記 2013.06.28
松戸市常盤平にあるホームセンターで「ガラガラ」が売られているのを見ました。
他のお盆用品にまじって、「お盆用まこも膳」という名前で並んでいました。
脚の部分は、折り曲げられていませんでした。
そぐそばでお盆用品を選んでいた年配の方に、「脚の部分は折り曲げられるのですか?」とおききしたところ、即座に「折り曲げられます」とお返事が返ってきました。
ということは、この方は「ガラガラ」のことをよくご存じであるということです。
松戸市では「ガラガラ」が使われているのでしょうか。
また、新しい興味が涌いてきました。
追 記 2013.07.02
今日は白井にあるホームセンターで「ガラガラ」が売られているのを見ました。
こちらは、より直接的な表現で「お墓用真菰膳」という名前でした。
名前が違うと、使われ方にも違いがあるかもしれません。
松戸のホームセンターで見たものより若干大きいようでした。
値段も30円高かったです。
ガラガラの裏面はどうなっているのか知りたくなって、裏返してみました。
十字にした竹に真菰を巻き付けながらお膳の部分を作っていくのですね。
この真菰は、宗教的な意味合いをもったもののようで、ガラガラ膳以外にも用いられているようです。
真菰をすだれ状にしたものも売られていました。
同じ用途に使うのかもしれません。
どうして真菰が使われるのでしょう。
調べてみる価値がありそうです。
追 記 2013.07.17
訂正・追加 2013.09.13
散策会の折に、白井市に住むGさんから また貴重なお話を伺うことができました。
「お膳」(ガラガラのこと)は、8月13日の昼頃までには お墓に設けま
した。
8月13日の夜には、霊を家に呼び寄せるために、お墓で迎え火を焚き
ました。
オガラを玄関先で燃す家もありました。
ウチではやりませんでしたが。
14日の朝には、「お膳」の上に野菜等を供えました。
ナスとキュウリをサイの目に切って生米とともに水に浸し、「お膳」の
上に一つかみずついっぱいになるまで載せていきました。
「お膳」は、お盆が終わってもそのままにしていました。
翌年の8月1日にお墓の掃除をしたときに片づけました。
だから、一年ほどは墓前に残っているわけです。
白井市・神々廻の墓所にガラガラが残っていたのは、片づけるのを忘れたわけではなく、この地域の風習なのだということがわかりました。
追 記 2013.08.19
昨日、八千代市立郷土博物館を訪れた際に、季節展示のコーナーで「七夕と盆行事」について展示していました。
この季節展示の全体については、以下の記事に載せてあります。
➜ 2013.08.18 八千代市立郷土博物館
この展示を見ていて、八千代市域においても、ガラガラがお盆のときに使われていることがわかりました。
ガラガラが供えられている様子 |
上の写真のガラガラは、ホームセンターで売られているものとは形が違っていて、ずっと素朴な感じがします。
展示されていたガラガラ 脚の部分が切ってありました |
展示されていたガラガラの実物は、ホームセンターで売られているものと同じ形をしていました。
仏壇の前に供える盆棚(精霊棚)についても、ていねいに説明されていました。
ガラガラと関係のある盆棚についての説明 |
この説明で重要なのは、「この盆棚の下には無縁仏用の供え物をします」という部分です。
この記事の最初の部分で、ガラガラが「お墓の前だけではなく、多数、墓所のいろいろなところに置かれています」と書きました。
このことと呼応しているように思います。
追 記 2013.08.25
昨日、印西市の別所地蔵寺の獅子舞見学を主にしたウォーキングに参加しました。
獅子舞の行列は地蔵寺から出発し、少し離れた地蔵堂(別所熊野神社)まで移動し、そこで舞われます。
地蔵堂の境内を見て回っていると、念佛供養塔の横にガラガラが置かれているのに気づきました。
花は供養塔の前に供えられています |
ガラガラが なぜ供養塔の前ではなく、横に置かれているのかは不明です。
これまでに見たガラガラは竹でできた脚が曲げられて地面に刺さっていましたが、ここでは平らに置かれています。
この地区に住む人が作られたものだと思います |
武西地区にお住まいの方から、印西におけるガラガラの用い方やお盆についてお聞きすることができました。
私たちは、これを「お膳」と呼んでいます。
昔は、神崎川の川岸にマコモを取りに行って、それを2日ほど干して
「お膳」や「馬」を作りました。
マコモは枯れ草のいい匂いがしました。
マコモで作った「馬」は川に流しました。
亡くなった人がその「馬」に乗って帰ってくるのだと教わりました。
八千代市立郷土博物館に展示されていた真菰馬 |
お盆の1週間前には、お墓の掃除をしました。
13日の夜にはオガラを燃やして、迎え火を焚きました。
オガラは燃やしてもそう臭わず、よく燃えました。
「お膳」には、キュウリの馬とナスの牛、それに洗った生米を載せて、
お墓に持っていく準備をしました。
14日と15日には朝も明けやらぬ真っ暗なうちからお墓に「お膳」を持
っていきました。
怖いやら、眠いやらで、子どもにとっては嬉しいことではありませんで
した。
お盆が過ぎても「お膳」はそのままにしました。
翌年のお盆の前に片づけました。
白井と似ているのは、ガラガラをお盆の後も 1年間そのままにする点です。
また、マコモで「馬」を作って川に流すのは、八千代とそっくりです。
地蔵堂横の道路に面した掲示板には、別所地蔵寺の獅子舞の案内が貼ってあり、その1行目には「別所施餓鬼のご案内」とありました。
この施餓鬼はお盆が終わった後に行われる法会であるようです。
Wikipedia には、施餓鬼について以下のように書かれています。
訓読すれば「餓鬼に施す」と読めることからも分かるように、六道輪廻
の世界にある凡夫の中でも、死後に特に餓鬼道に堕ちた衆生のために
食べ物を布施し、その霊を供養する儀礼を指す。
ガラガラが、馬頭観音や樹木の前、念佛供養塔の「横」に置かれているのは、上記のこととも深く関連しているように思います。
追 記 2013.12.03
昨日、印西市の北総花の丘公園に出かけた際、戸神川防災調節池にマコモが茂っているのがよく見えました。
橋の上から撮ったマコモ |
けっこう長く成長します |
水に浸っているのがよくわかります |
マコモは飛来したオオハクチョウの餌になっています。
今年飛来してきたオオハクチョウ |
オオハクチョウの幼鳥 |
追 記 2014.07.11
ガラガラについての深い考察が書かれた資料を見つけました。
横地留奈子氏の「家族内無縁仏を鎮める装置としての精霊棚一千葉県白井市平塚榎台における「ガラガラ」の対象について」という修士論文のサマリー(要旨)です。
ぜひ、行間を読んでいただきたいと思います。
リンク先は以下です。
➜ 国立情報学研究所 学術情報ナビゲータ (CiNii サイニィ) 該当ページ
ページの中程から始まっていて読みづらいので、横地氏のものだけ取り出してまとめました。
この文字をクリックすると拡大されます |
この文字をクリックすると拡大されます |
追 記 2014.09.04
成田市にある「坂田ヶ池総合公園」の駐車場から すぐ近くにある「天王山観行院」(成田市大竹759番地)を訪れてみました。
近辺には江戸時代初期の墓石などがあり、由緒のありそうな場所に思われました。
大師堂と思われる小堂がありました。中をのぞいてみると、大師像の前には、ガラガラの上の部分とそっくりなものが置かれていました。
ガラガラの上に載せられるものと同じではありませんか。
これがどういう目的のものなのか、どうしてこの場所に置かれているのか、なんとか知りたいものだと思いながら この場所を辞しました。
なお、「観行院」については、『千葉縣印旛郡誌』(1913)に以下のように書かれています (下巻 「八生(はぶ)村史」の第11章中、Pp.834-835 )。
大竹村の字竹之内にあり、薬王寺と称する。天台宗に属し、中本寺である龍角寺の門徒である。本尊は薬師如来である。
開山は、天文(てんぶん)25年(? 天文は24年(1555)まで) 4月、法名權律師 祐海和尚による。この祐海和尚の父親が 二世 道香禪定門 観行房という人であり、院号はこの観行房という名前から付けたという。
六世 三部都法大阿闍梨 法印覚栄は、観行院の草庵に来て 寺院の築造に志し、ついに間口6間、奥行き5間の道場を創立した。時に宝暦5年(1755)2月28日のことである。寛政2年(1790)に再建立。
堂宇は、間口6間、奥行き4間半。境内は127坪である。住職は小見妙聲であり、檀徒は18人。管轄庁までは9里32町ある。
八坂神社の神霊と称する鏡が存在する。また、天台宗では 一字金輪仏頂(いちじきんりんぶっちょう)如来がもっとも貴い秘仏として称えられてきているが、観行院に数百年間 蔵せられてきたといわれるその仏像については 大変疑わしく、本山に照会し研究を委ねているところであるという。
追 記 2014.09.06
『印旛村史 通史Ⅱ』(1990)を読んでいたら、「盆の行事」の項で 「ガラガラ」についてふれていました。
ガラガラ 8月12日 ナス・キュウリなどの野菜を四角に細かく切ったものに米をまぜたものをアラヨネと呼び、これをのせるために、マコモと細
く裂いた竹を使ってお膳のようなガラガラというものを作る。ガラガラは墓のドマンジュウの数だけ用意するため、多い家では20個以上も作る、また、墓参でガラガラと一緒にボンバナ(盆花)を生けるハナタテ(花立て)を使う。このハナタテも竹筒でガラガラと同じ数だけ作る。(Pp.809-810)
ドマンジュウ(土饅頭): 土葬の墓印である
ガラガラの上に載せるものにも名前があるとは考えもしませんでした。
どんな意味なのでしょう。
他の地域でも「アラヨネ」と呼ばれているのでしょうか。
調べてみる価値がありそうです。
追 記 2014.09.10
「アラヨネ」について検索していたら、以下の記事が目にとまりました。
➜ 千葉県立中央博物館 房総のむら 年中行事「盆」
➜ 食べ物 新日本奇行 ナス・キュウリ(その3)
➜ 砂久保日和 お盆です
浅学にて、これらの記事にコメントできません。
「アラヨネ」の語源ですが、「洗い米」という言葉が短縮化したもののように思われます。
➜ kotobank 洗い米 【アライヨネ】
追 記 2015.02.18
昨秋、印西市の物木地区を歩いたときに、マコモを身近に見ました。
湧水を集めて流れる 物木落沿いに 多くのマコモが生えていました |
マコモが密生している湧水溜まりもありました |
追 記 2015.05.16
鎌ケ谷市の郷土資料館に 中沢展(後期展示)を見にいった折に、1階の常設展示スペースのパネルが一新され、展示物がずっと見やすくなっていました。
いつもは見逃してしまうものにもパネルが付けられていて、親しみを感じました。
その中に、何と真菰馬が展示されていました(展示されているものは、マコモの代わりに稲藁が使われています)。
鎌ケ谷にも、真菰馬を作る風習があったのです。
説明を見ると、川に流すことはしなかったようですが、お盆の直前に作られたとのことです。
七夕の馬 (真菰馬) |
追 記 2015.10.06
鎌ケ谷市軽井沢にある中央自動車大学校の近く路傍で ガラガラを見ました。
私が鎌ケ谷市内でガラガラを見たのは これが初めてですが、知人の Kiさんによれば 粟野の共同墓地や市制記念公園の近くの畑でも見ることができるそうです。
追 記 2015.11.06
印西市大廻にある宗像神社脇の路傍で多くのガラガラを見ました。
仏像や講中の建てた塔ひとつずつに、竹製の花生けとともに供えられていました。
菩薩像や青面金剛像の手前に ガラガラがありました |
二十三夜講など様々な講中が建てた塔の前にも ガラガラがありました |
追 記 2016.02.17
『鎌ケ谷市史 資料編Ⅴ (民俗)』(1993)の P.337に、ガラガラについて書かれていましたので、引用します。
ガラガラづくり
通常は墓前に、家によっては道辻などに、マコモで編んだ小さな棚を設置する。 この棚のことを多くはガラガラ、単にお棚、あるいは仏様の腰掛けなどと呼んでいる。 竹を脚にし、マコモを巻いて作った。 昨今では売っているのを買うようになった。
数としては、一つだけ、墓石の数分(かつては一つにまとめていなかった)、あるいは、後述の盆行事とも関係するが、仏様(御先祖様)の数分などと、さまざまである。
日にちとしては、8月11日という場合が多い。 それ以外では、栗野の7日、軽井沢の12日などがある。ただし、初富の光円寺(真宗大谷派)檀家ではやらない。
〈鎌ケ谷市域 全域〉
また、CiNii(国立情報学研究所 学術情報ナビゲータ〔サイニィ〕)で、以下の大変重要な抄録を見つけましたので、引用します。
なお、読みやすくするため、勝手ながら段落を付けました。
引用元は下記のサイトです。
➜ CiNii 利根川下流域における盆の精霊棚の一例
人文地理学会大会 研究発表要旨 2011(0), 16-16, 2011
The Human Geographical Society of Japan
利根川下流域における盆の精霊棚の一例
横地 留奈子 YOKOCHI Lunako
抄 録
関東地方南部、利根川下流域である東京都、埼玉県、茨城県、千葉県をまたぐ範囲には、特異な形の盆の風習がある。 一般に、盆は、祖霊祭であるとされている。 かつては旧暦の7月中旬に行われることが多かった。 新暦が導入された明治6(1873)年以後の日程は、さらに多様化している。 7月や月遅れである8月の13日から15日、または13日から14日、そして8月の初旬に行われている地域もある。
祖霊を家に迎えることが主と捉えられているが、同時に無縁仏が家にやってくるともいわれる。 祖霊とは、イエの先祖の霊である。 一方の無縁仏には二種類あり、一つはかつてイエの構成員だったが先祖とならなかった霊、もう一つはイエとは無関係と考えられる霊(行き倒れなど)である。
盆の期間には迎えと送りが行われる。 迎えとはイエの墓地や辻、川や海などからイエまで祖霊を迎えることである。 祖霊に対しては一定期間イエで供物を捧げ、その後再び祖霊を送る。 その祀り方も、地方毎の特色がある。 盆棚と呼ばれる祖霊を迎える台を庭や屋内に設けたり、祖霊と共に家に来た無縁仏に対して屋内や屋外で供物を出したりする。 関東地方南部の利根川下流域では、8月、もしくは7月の13日から15日に行われる。 都市部では7月、農村部では8月に行われるとされる。
盆は、おおよそ以下のように営まれる。 13日の夕暮れに「お迎え」を行う。 集落の墓地に、灯りのない提灯を持って住民が訪れてくる。 家の墓へと向かい、水をかけ、線香を手向け、お供えの食物を供える。 墓石の前で提灯に火を灯すと、また家へと帰って行く。 東京都北西部では、墓地が遠い場合は家の前の道路で祖霊を迎えることもあるという。 素焼きの皿の中でオガラを焚いて音を鳴らせる地域もある。 家ではあらかじめ仏壇の前に盆棚を用意し、位牌を並べて置く。 墓地からイエに着いた祖霊は、そこに留まるという。 盆棚には朝昼晩と3度の食事を出す。
そうして祖霊が留まる中、千葉県北西部や茨城県南東部では、14日の昼には祖霊が「タカノノセガキ」へ出かけると説明する地域もあった。
15日は「送り」である。 送る祖霊にお弁当を持たせたる地域もある。 祖霊の乗り物としてナスの牛やキュウリの馬を作ったりする。 そうして夕方、盆棚から提灯を灯して祖霊を迎えた場所まで行き、提灯の火を消すと完了である。
以上のように、祖霊を墓などから迎え、送る一連の動きが、墓とイエとで行われている。 ところが、祖霊をイエに迎え、誰もいないはずの墓地へ、14日早朝に行く地域もある。 千葉県北西部と茨城県南東部である。 民俗学でも「14日の墓参」と呼ばれ、全国に分布してよく知られた風習であるが、その時に使用する台が、今回のテーマである。
材料は、30cm長の竹棒2本と一晩干したマコモである。 竹棒2本を十文字にし、マコモで四角く編んでいく。 15cm四方まで編むと、残った15cmほどの竹棒を折り、脚がわりとして地面に立てる。 14日の墓参の際には、マコモで編んだ屋根上の部分に「アラヨネ」「ミズノコ」と呼ばれる、イモの茎やキュウリ、ナスなどを刻み生米を混ぜたものを乗せる。
墓参の対象は、行為者に聞いても不明であった。 一方、全く同じ台を使いながら、その対象を祖霊とし、13日の迎えで使用する地域もある。
材料は、30cm長の竹棒2本と一晩干したマコモである。 竹棒2本を十文字にし、マコモで四角く編んでいく。 15cm四方まで編むと、残った15cmほどの竹棒を折り、脚がわりとして地面に立てる。 14日の墓参の際には、マコモで編んだ屋根上の部分に「アラヨネ」「ミズノコ」と呼ばれる、イモの茎やキュウリ、ナスなどを刻み生米を混ぜたものを乗せる。
墓参の対象は、行為者に聞いても不明であった。 一方、全く同じ台を使いながら、その対象を祖霊とし、13日の迎えで使用する地域もある。
作成に手間のかかる同一の台を広い地域で行われているにもかかわらず、その使用方法や意味付けが異なるのはなぜか。 分布の広がりから考察することが本研究の目的である。
追 記 2016.02.25
印西市・滝にある瀧水寺に立ち寄ったときに、青年館の裏手にある梅の木の近くに多くの花立てがあり、無縁仏を弔っているものではないかと思いました。
お盆の時期にガラガラが置かれるのでしょうか。
追 記 2016.11.12
ガラガラを初めて見た墓所の写真を久しぶりに見ていたら、そのすぐそばの三叉路に3基並んで建っていた石造物に、「平塚村」などと彫られていることに気づきました。
左(➀)には、「平塚 中臺・竹下講中」」 中央(➁)には、「平塚村 中臺竹下坪」 右(➂)には、「平塚邑(むら)」とある 」 |
これまで「神々廻」だとばかり思っていた場所は「平塚」であったようです。
遅ればせながら、ここに訂正させていただきます。
左から ➀大日如来(1811)、➁庚申塔〔不明〕(1898)、➂神碑(1838) |
これらの石造物については、白井町教育委員会発行の『白井町石造物調査報告書 −−− 第三集 −−−』(1988) Pp.75~76を参考にしました。
➀の大日如来坐像の像容は、智拳印の印相を結んでおり、金剛界の大日如来です(材質は安山岩)。
この場所の近くにある「榎台 入口 大日塚」(紛らわしい名前です)にも大日如来坐像(1672)がありますが、こちらは定印(禅定印)の印相を結んでおり、胎蔵界の大日如来です。
追 記 2017.11.16
印西市萩原にある慶昌寺の墓地でガラガラを見ました。
江戸時代の墓石(無縁仏)の前に置かれていました。
ガラガラ 墓石の前に 45° 傾けて置かれています |
追 記 2018.05.24
柏市にある増尾城址総合公園に行きました。
その折に、ビオトープ入口にある増尾湧水の近くでガラガラを見ました。
庚申塔と その隣にある馬頭観音塔 |
馬頭観音の前には 大きなガラガラが置かれていました 庚申塔に供えられている茶碗と、大きさを見比べてください |
ガラガラは、馬頭観音の前に置かれていることが多いように思います。
世話になった家畜への供養なのでしょう。