2015年12月25日金曜日

北総の宗像神社(7) <白井市・清戸> (その2)

清戸の宗像神社は、改修工事のため しばらく立ち入れませんでした。
久しぶりに出かけてみると、先月 改修工事が終わったばかりでした。

改修後の宗像神社について 以前の記事に追記すると、かなり煩瑣になるため、「その2」として新たに記事を書くことにしました。

改修工事が終わったばかりの 清戸宗像神社


鳥居は、以前と比べて小振りになりました


参道の敷石が実にきれいです


清戸宗像神社 本殿前


本殿 清戸宗像神社には 拝殿がありません 


今般の改修工事に伴って建立された記念碑

記念碑には大事なことが簡潔に刻されていますので、以下に書き写すことにします。

宗像神社本殿 改修記念

当地宗像神社は田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命の三女神を祀る。
人皇56代清和天皇の御代貞観18年(976)、下総國印旛郡印西内郷 惣鎮守奉崇 第一最初鎮座宗像神社は当社なり。
慶長8年(1604) 再建。
天保2年(1831)に三建。
昭和48年(1973) 屋根の葺き替え。

爾来、代々に亘り清戸・谷田両区 産土神社として崇め奉られ、氏子崇敬者の生活の安全と繁栄を見守って来られました。

今般、県道千葉ニュータウン北環状線道路整備事業に伴い、境内地の一部が事業用地として収用、施設の移転を余儀なくされました。
これを機に老朽化した本殿の解体修復を決し、同時に境内の諸施設の整備、参道の拡幅・敷石の敷設替え事業も行われ、起工より神霊の加護の下、恙なく目出度く立派に竣工しました。
此れを後世に伝え、向後の氏子崇敬者皆様の繁栄と輝かしい未来への大いなる祈りを込めて記念の石碑を建立します。

平成27年(2015) 11月 吉日


本殿 正面


本殿の右側


見事な浮き彫りがあります


台座の部分も見事です


本殿の左側


本殿の左側には 木々が鬱蒼と茂っており、厳かな雰囲気があります。

本殿の左に広がる社叢林


境内には石塔や小祠が見られます。

鳥居右側にある青面金剛像(1724) 両側面に童子像


青面金剛像の右にあるのは小さな道標(1917)です

道標には、右側に 「→ 豊富とよとみ村小室〕」、「← 十余一とよいちヲ経〔ル〕」とあり、正面には 「→ 白井村々廻しば」、「← 船穂村西ざい」とあります。

元々は、どこに、どんな向きに建っていたものなのでしょう?


右は 天明7年(1787)と刻されている仏像


石碑・石塔の多くは、コンクリートの台座に据えられました


参道の両脇にはスダジイが目立ちます。
以下の葉の画像は、実物をスキャナーでスキャンしたものです。
左から2番目はスダジイ、一番右端はシラカシのようです。

境内にあった樹木の葉(おもて面) すべて違う個体の葉です


境内にあった樹木の葉(うら面) おもて面画像と同じ葉


境内にあったスダジイの巨木


今般の改修工事の奉納碑 価値のある奉納です


本殿と鳥居の間には 白い敷石が長く続いています


以前の鳥居の台座が、新しい鳥居の左側に置かれていました

かつての鳥居については、大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「谷清村誌」に以下のように書かれています(後編 P.498)。

「明治18年(1885)12月、谷田・清戸両村の寄附により260圓を出して石鳥居を建立せり。」

写真の台座は、このときの鳥居のものなのでしょうか。

鳥居の台座には、寄附金額と寄進者名が刻まれています



以前の清戸宗像神社については、以下をご参照ください。

➜  北総の宗像神社(7) <白井市・清戸> (その1)



2015年12月21日月曜日

鎌ケ谷の神社(9) 鎌ケ谷八幡神社(その2)

今回は、境内に見られる主なものを取り上げていきたいと思います。

参道から鳥居に向かって見たところ


参道には同じ形をした石塔がずらりと並んでいます 「百庚申」です


「百庚申」の説明書き

「百庚申」は その名のとおり、ちょうど100基あります。
「庚申塔」と文字が彫られた文字塔が90基、青面金剛しょうめんこんごう像が彫られた刻像塔が10基あります。
青面金剛像は、文字塔の間に10基目ごとに配置されています。

文字塔と刻像塔 もろい房州石に彫られており、崩れてしまった石像も

房州石は、房総半島中南部から切り出された凝灰質砂岩ないし粗粒凝灰岩の総称です。
比較的軟弱で風化しやすいものですが、耐火性があるそうです。

百庚申の中で 唯一 顔が崩れていない青面金剛像


参 考 印西市岩戸の路傍で見た青面金剛像


台座に彫られた三猿 きれいに彫られています


割 込 2015.12.30

庚申塔は、江戸時代に盛んに造立されました。
今でも市内の粟野地区では庚申講が続いており、講により庚申塔の造塔が継承されています。
文化12年(1815)以降 200年間にわたり、1845年と1850年を除いて、5年ごとに現在まで規則正しく建てられてきています。

参 考 粟野の八坂神社にある庚申塔(最新のもの)


参 考 平成27年(2015)10月 造立とあります

石を専門とする お仲間のT氏にお聞きしたところ、この庚申塔の石質は花崗岩(白御影石)だそうです。
また、いくら年数が経っても灰色になっていくことはなく、汚れていくだけであるとのことです。

割 込 おわり


女人講により寄進された子安観音像


吉橋大師講 第43番札所の大師堂 廃寺となった花蔵院から移されました


拝殿の右手奥には、「庚申道標」があります。

「庚申道標」の説明書き


大仏十字路近くにあった頃の庚申道標 大きなエノキの下にありました
(鎌ケ谷市郷土資料館 『平成21年度企画展 鎌ケ谷・昭和の日々』 より)


現在は 鎌ケ谷八幡神社の境内に移されています


境内社の古峯神社と三峯神社


拝殿左側に並ぶ様々な石塔


富士講の面白い石碑 「不」の字の一部が 手の形になっています


これも富士講の石碑 富士講の一派「丸不二講」の印でしょうか

上の石碑に刻されているように、富士山は様式的に三つの峰として描かれます。
これは、仏の三尊様式にのっとり、三峰の山頂をそれぞれ薬師如来、阿弥陀如来、大日如来仏に見立てていることに拠ります。


市指定 保存樹木のアカガシ


2015年12月18日金曜日

北総の宗像神社(13) <印西市・吉田>

造谷の宗像神社から始めた「北総の宗像神社」めぐりも、今回がその最終回となりました。
吉田の宗像神社は、訪れてみると シリーズの掉尾を飾るにふさわしい、趣のある神社でした。

所在地は 印西市吉田(字宮の越)1602番地です。
神社への入口は道路に面しています。

吉田宗像神社の入口 この場所には鳥居がありません


入口にある「村社宗像神社」と彫られた標石(社号標)


鳥居まで長い道が続きます ここも参道なのでしょうか


道の右手には祠を納めた小社が並んでいます


鳥居が見えてきます


宗像神社鳥居 左巴紋が鳥居につながった塀に描かれています


右側が宗像神社拝殿 左の赤い屋根は浅間神社


宗像神社拝殿


浅間神社と その左手の社務所


浅間神社 富士講の一派である山包講やまつつみこうにより建てられたものでしょうか


浅間神社社務所前にある「浅間大神」の石碑


大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「宗像村誌」には、村社 宗像神社の一つとして以下のように書かれています(後編 P.412)。

(6) 村社 宗像神社

吉田村 字宮の越にあり、市杵島姫命、猿田彦命、金山彦命、加具土命、木花開耶姫命、湍津姫命、高皇産霊神、素戔嗚尊、菅原神を祭る。
創建不詳なり。

明治43年9月28日、許可を得て、➀ 吉田字天神前にありし道祖神社、➁ 同所字向山にありし琴平神社、➂ 同所字馬々台にありし愛宕神社、➃ 同所字馬々台にありし浅間神社、➄ 同所字込の内にありし大六天神社、➅ 同所字込の内にありし八坂神社、➆ 同所字仲の内にありし天神社を本社に合祀す。

社殿(本殿)、間口 6尺 奥行き 6尺。
拝殿、間口 5間 奥行き 2間。
境内、961坪あり。 氏子、82戸を有す。


これを読むと、祭神の多さと合祀された神社の多さに気づきます。
吉田宗像神社の境内における小社(境内社)の多さは、こうしたことに関連しているのではないかと思います。


正面から見た宗像神社拝殿


拝殿の後ろにある本殿


背後の社叢林の中から社殿を見たところ


違う角度から社殿を見たところ


本殿の裏にある絵馬や小堂等


祠の多くは小社で覆われています


本殿の後ろには小社や祠が並び、厳かな感じです


台座には 山印の下に「包」、「ふ二」(冨士)とあります


石の階段になったところもあります


上ってみると、「水神社」等の石塔が並んでいました


この祠は小社に覆われています


長い年月に土が流され、木が根上がりしています


大木の根元にも祠がありました


短歌の彫られている石碑 冨士講(山包講)関連か?

歌碑には 以下のように彫られています。

       三十三度
         ふし尓 の保りぬ
   包          そへられし
        ひとの古ゝ路を
             杖となし徒ゝ

      ( 三十三度 富士に登りぬ
        添えられし 人の心を 杖となしつつ )

「三十三度」は「みそみたび」と読むのでしょうか?
調べても、よく分かりません。

以下は、ちょっとだけ裏付けになりそう。

➜  サイエンス 三十三


境内の大木越しに見た拝殿


小社内に納められていない祠には 注連縄が掛けられています


吉田地区構造改善センター


構造改善センターを正面から見たところ 手前が駐車場になっています


入口の左側にあった 印西市消防団第4分団の器具置場