2016年2月26日金曜日

西福寺さいふくじ (白井市・谷田やた

「西福寺」という名前の寺は、近辺だけでも 印西市の旧宗像村・岩戸地区(字 市場)や旧木下町・小林地区(字 砂田)にあります。

方々にある「万福寺」同様、寺名だけでは、どこにある寺やら 皆目見当がつきません。
今後は、「谷田・西福寺」や「岩戸・西福寺」と よぶことにします。

印 : 西福寺の位置 (クリックして拡大表示してください)
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さて、谷田・西福寺ですが、以前 取り上げた 岩戸・西福寺 と同じように趣の深い寺院です。
昨秋、 白井市郷土資料館主催の「しろい文化財めぐり」 で訪れたのが最初でした。
本記事では、その折に撮った写真も使いました (写真説明の末尾に「」印を付けました)。

西福寺の門前には池があり、弁財天の石祠が2つ 傍に建っています


西福寺 石門 寺の周囲は 塀や生け垣で仕切られていません 


小さなお堂があります 観音堂でしょう 


堂前には 大きな常夜燈が建っています


観音堂に下がっていた鰐口


観音堂の右手奥には 4基の石仏がありました


聖観音像と 3基の如意輪観音像です


小堂左手奥にあった墓地の近くにも 石仏や石塔がありました


境内の中央部分は開けています


左手の建物は本堂 その前にはイチョウの巨木があります


本堂の左手に庫裏があります


本堂前の白梅がきれいでした


白 梅


大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』の「谷清村誌」のうち、「寺院仏堂誌」には 以下のように書かれています(後編 P.502)。


(2) 西福寺

谷田村 字東住ひがしずみ (原著に「名内村 字東住」とあるのは誤り) にあり、天台宗延暦寺派にして 小本寺 泉倉寺末なり。
阿弥陀如来を本尊とす。

人皇50代 桓武天皇の勅を奉じ、国民撫育教化開立せられたる伝教大師・比叡山の末流にして、子育て観世音、乳房銀木(イチョウ)の旧跡たり。

堂宇 間口 7間、奥行き 6間。
境内 669坪あり。
檀徒 306人を有し、管轄庁まで6里26町とす。
境内、仏堂一宇あり。 即ち、

一 観音堂 子安観世音を本尊とす。
      由緒不詳。
      建物、間口 2間、奥行き 2間3尺なり。

(『寺院明細帳村誌』より)


また、西福寺持の馬頭観音堂があると書かれています。

(3) 観音堂

谷田村 字木曽地きそじにあり、西福寺持にして 馬頭観世音を本尊とす。
由緒不詳。

堂宇 間口 2間、奥行き 3間。
境内 7坪あり。
檀徒 20人を有し、管轄庁まで7里なり。

(『仏堂明細帳』より)

観音堂の所在地は、西福寺のある字東住の南に位置する 字木曽路となっています。 いまはどうなっているのでしょう。
(白井市郷土資料館『白井の地名』(2005)を参照しました。)


本堂右前に キンモクセイが咲いています (この写真は昨秋に撮影 )


本堂の向かって右側は 耐震補強されていました


イチョウの巨木 梅の花が映えます


昨秋撮ったイチョウの樹 


イチョウの樹は、白井市指定文化財となっています


小堂が並んでいます 


覆屋の中には 大きな石碑があります 


上部には「成田山」とあり、下には 不動明王像の線刻


何のお堂? 中を拝ませていただきました 


右手に三鈷杵さんこしょまたは五鈷杵ごこしょ、左手に数珠 大師像です


扉がありません 覆いの小堂のようです 


伝教大師・最澄の像 頭から胸にかけての帽子ほっすが特徴


印西大師 第26番札所の大師堂 


第26番札所大師堂の大師像