「西福寺」という名前の寺は、近辺だけでも 印西市の旧宗像村・岩戸地区
(字 市場)や旧木下町・小林地区
(字 砂田)にあります。
方々にある「万福寺」同様、寺名だけでは、どこにある寺やら 皆目見当がつきません。
今後は、「谷田・西福寺」や「岩戸・西福寺」と よぶことにします。
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● 印 : 西福寺の位置 (クリックして拡大表示してください) |
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さて、谷田・西福寺ですが、以前 取り上げた
岩戸・西福寺 と同じように趣の深い寺院です。
昨秋、
白井市郷土資料館主催の「しろい文化財めぐり」 で訪れたのが最初でした。
本記事では、その折に撮った写真も使いました (写真説明の末尾に「
*」印を付けました)。
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西福寺の門前には池があり、弁財天の石祠が2つ 傍に建っています |
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西福寺 石門 寺の周囲は 塀や生け垣で仕切られていません * |
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小さなお堂があります 観音堂でしょう * |
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堂前には 大きな常夜燈が建っています |
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観音堂に下がっていた鰐口 |
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観音堂の右手奥には 4基の石仏がありました |
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聖観音像と 3基の如意輪観音像です |
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小堂左手奥にあった墓地の近くにも 石仏や石塔がありました |
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境内の中央部分は開けています |
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左手の建物は本堂 その前にはイチョウの巨木があります |
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本堂の左手に庫裏があります |
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本堂前の白梅がきれいでした |
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白 梅 |
大正2年(1913)発行『千葉県印旛郡誌』の「谷清村誌」のうち、「寺院仏堂誌」には 以下のように書かれています(後編 P.502)。
(2) 西福寺
谷田村 字
東住 (原著に「名内村 字東住」とあるのは誤り) にあり、天台宗延暦寺派にして 小本寺 泉倉寺末なり。
阿弥陀如来を本尊とす。
人皇50代 桓武天皇の勅を奉じ、国民撫育教化開立せられたる伝教大師・比叡山の末流にして、子育て観世音、乳房銀木
(イチョウ)の旧跡たり。
堂宇 間口 7間、奥行き 6間。
境内 669坪あり。
檀徒 306人を有し、管轄庁まで6里26町とす。
境内、仏堂一宇あり。 即ち、
一 観音堂 子安観世音を本尊とす。
由緒不詳。
建物、間口 2間、奥行き 2間3尺なり。
(『寺院明細帳村誌』より)
また、西福寺持の馬頭観音堂があると書かれています。
(3) 観音堂
谷田村 字
木曽地にあり、西福寺持にして 馬頭観世音を本尊とす。
由緒不詳。
堂宇 間口 2間、奥行き 3間。
境内 7坪あり。
檀徒 20人を有し、管轄庁まで7里なり。
(『仏堂明細帳』より)
観音堂の所在地は、西福寺のある字東住の南に位置する 字木曽路となっています。 いまはどうなっているのでしょう。
(白井市郷土資料館『白井の地名』(2005)を参照しました。)
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本堂右前に キンモクセイが咲いています (この写真は昨秋に撮影 ) * |
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本堂の向かって右側は 耐震補強されていました |
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イチョウの巨木 梅の花が映えます |
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昨秋撮ったイチョウの樹 * |
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イチョウの樹は、白井市指定文化財となっています |
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小堂が並んでいます * |
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覆屋の中には 大きな石碑があります * |
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上部には「成田山」とあり、下には 不動明王像の線刻 |
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何のお堂? 中を拝ませていただきました * |
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右手に三鈷杵または五鈷杵、左手に数珠 大師像です |
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扉がありません 覆いの小堂のようです * |
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伝教大師・最澄の像 頭から胸にかけての帽子が特徴 |
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印西大師 第26番札所の大師堂 * |
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第26番札所大師堂の大師像 |