「白鳥の郷」と その周辺の地図は以下のとおりです。
余談ですが、「地理院地図」(電子国土Web)が いつの間にかリニューアルされていました。
前のインターフェイスになれていたので、はじめは戸惑いました。
「白鳥の郷」 と その周辺 |
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用
「白鳥の郷」の近くには、千葉県指定 有形民俗文化財の「
「押付の水塚」の説明板 左の掲示板の連絡先は 印西市役所 本埜支所 |
「歌人 吉植庄亮生誕の地」の碑 |
これらは どちらも個人宅内にありますので、見学や写真の撮影等に当たっては 事前に諒承を得る必要があります。
許可を得て「押付の水塚」自体や「吉植庄亮の生家」自体の写真を撮らせていただきましたが、掲載はしません。
では、「白鳥の郷」へと向かいましょう。
千葉県道12号線を進むと 三差路に「白鳥の郷」への案内板があります |
広めの農道には、見学者の車が列をなして駐車 |
すぐに 白鳥の群が見えてきました |
白鳥等からのウイルスが鶏舎に移されたりしないよう 毎朝、石灰で消毒 |
観察拠点の建物 |
現在の白鳥の飛来数は 1200羽 と表示されていました |
様々な掲示物がありました |
「白鳥の郷」の由来書き |
白鳥の餌を入れるバケツ |
空を舞う鳥を眺める見学者 |
白鳥の群と車列 |
多くの白鳥が集っていました |
左に見える灰色の羽の個体は 幼鳥です |
群から離れて 体格のよい個体が周囲を見張っていました |
白鳥の飛翔 |
手前は鴨、奥は白鳥 |
後日、天気のよい日に見にいきました 青空と雲がきれい |
割 込 2015.03.07
本埜の「白鳥の郷」に飛来する白鳥はコハクチョウだそうです。
本日、「印西市里山調査」の会合があった際に、わが野鳥観察の先生 M氏から教わりました。
この割込 おわり
追 記
冒頭の地図の左下にある「吉次沼」という名前の沼が気になりました。
『印旛村史 通史Ⅱ』には、以下のような記述があります。
本埜村に吉次オッポリと呼ぶ沼がある。ここはもと吉次たちの墓が建っていた場所であったが、江戸時代に印旛沼の洪水で堤が切れ、沼となった所と伝えられる。
この「吉次オッポリ」と呼ぶ沼が 「吉次沼」でしょう。
『平家物語』にも登場するという 金売吉次に関するお話は、以下をご参照ください。
後に吉次沼となった場所に墓が造られましたが、洪水で流されてしまったため、村人達は 新しい墓を 本埜の中根にある戸崎観音堂に造ったと伝えられています。
観音堂には 金売吉次の守り本尊である十一面観音が安置され、堂裏には 吉次の墓石(中世の板碑)があります。
戸崎の観音堂については、以下の記事をご覧ください。
これらのことの多くは、赤松宗旦による『利根川図志』(安政2年)に書かれています。
赤松宗旦『利根川図志』(1855) 原本より ( 埼玉玉県立図書館 デジタルライブラリー ) |
『利根川図志』は、柳田国男が校訂したものが岩波文庫で出ていて、全巻が1冊に収まっています。
版権が切れているため、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。
上記の原本に対応する部分を、以下に転記します。
追 記 2015.02.06
吉次沼を見たくなり、寄ってみました。
沼を管理している人にきいたら、いまはヘラブナの釣り堀だそうです。
堤防の上は千葉県道12号線になっています |
ヘラブナ釣りのために長く板が渡してあります |