圓蔵寺周辺の地図 |
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1 圓 蔵 寺
大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「六合村誌」には、「第十章 寺院仏堂誌」に 以下のように書かれています(後編 P.395)。
(9) 圓 蔵 寺
山田村 字久領内にあり、曹洞宗にして 清澄山と号し、本村〔ここでは六合村のこと〕・吉高区 迎福寺末なり。
釈迦牟尼仏を本尊とす。
天文元年(1532)2月開山。 芸室・種才和尚 創立。
堂宇、間口 7間 奥行き 6間半。
庫裏、間口 8間 奥行き 5間。
惣門〔正門〕、間口 2間 奥行き 2間。
境内、452坪あり。 檀徒330人を有す。
山 門 右の石柱に「曹洞宗 圓蔵寺」と彫られています |
圓蔵寺(円蔵寺)は曹洞宗です。
ネットでは、宗派を誤って記しているものがあります。 注意が必要です。
山門には |
この扁額にある山号については、誤った読み方が ネットで広範囲に流布してしまっているようで、困ったものです。
『千葉県印旛郡誌』にあるように「清澄山」が正しく、扁額の字体は 白川静の『常用字解』(平凡社)によると「篆文」に近いことが分かります。
これらの誤りは、福島県河沼郡柳津町にある同名の寺院と混同されたことから生じているようです。
寺院名が同じであっても、山号まで同じであるわけがありません。
印旛大師 第七十三番札所の大師堂 |
本家・出釈迦寺の御詠歌が書かれた扁額が 堂内に置かれていました |
扁額は、大師堂に懸かっていたものが落ちてしまったため、堂内に移されたのでしょう。
釈迦牟尼仏を本尊とする圓蔵寺らしい御詠歌です。
本家、四国八十八カ所 第七十三番札所である
迷いぬる 六道衆生 すくわんと
圓蔵寺には、印西市で2番目に古い十九夜塔(1666)があるようです。
以下をご参照ください。
➜ 蕨 由美 印西市内の民間信仰の石造物&北総の子安さま
圓蔵寺には、観音堂という立派な建物が少し離れたところに建っており、その近くには新しい墓地(印旛聖地霊園)ができています。
圓蔵寺の観音堂 (開運院) |
「開運院」という扁額が懸かっています |
道をさらに北に向かうと、
2 宮後地区構造改善センター
こぢんまりとした建物です |
玄関に表札が懸かっています |
宮後地区構造改善センターの近くには
3 圓 天 寺
大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「六合村誌」には、「第十章 寺院仏堂誌」に 以下のように書かれています(後編 P.395)。
(8) 圓 天 寺
山田村 字門前台にあり、浄土宗鎮西派にして 龍雲山と号し、西京・知恩院末なり。
元亀3年(1572)5月開山。九五(上人)・存把和尚 創立なり。 存把は甲州武田氏の一族にして、信重の曾孫なりという。
堂宇、間口 7間 奥行き 7間。
境内、1023坪あり。 檀徒233人を有す。
『千葉県印旛郡誌』には、宗派が浄土宗であると書かれていますが、境内には3つの大師堂や 関連する石碑や大師像が見られるので、真言宗だった時期があるのではないかと思われました。
山 門 右側に「龍雲山 圓天寺」とあります |
青い文字で書かれた「龍雲山」という扁額 |
山門から見た境内 |
本 堂 |
「寒風院」と書かれた扁額が懸かっています |
本堂の右手にある大師堂と鐘楼 |
印西大師 第四十九番札所の大師堂(左) 右側のお堂は不明です 2基の石碑には、どちらにも「南無大師遍照金剛」と彫られています |
戦時供出されたのか、鐘楼には 鐘が下がっていません |
本堂の左手前には 様々な石碑等が建っています |
何の建物なのでしょうか |
大師像でしょうか |
「普門品拾萬巻供養塔」など、3つの普門品供養塔 |
「遍照」という扁額が懸かった お堂 右手には石碑 |
石碑には「南無大師遍照金剛 万人講中」とあります |
➜ 印旛を歩く(8) 八坂神社・庚申堂 (印西市・山田)
➜ 印旛を歩く(10) 双子公園 (印西市・山田)