2015年2月28日土曜日

大原幽学 ゆかりの地 訪問 (旭市)

江戸時代後期の農民指導者 大原幽学 ゆかりの地、旭市・長部ながべを初めて訪問したのは、2013年の12月下旬のことでした。

「大原幽学遺跡 駐車場」に車を停めて、5分ほど歩くと 史跡の入口である階段の下に到着しました。

昔の雰囲気を残す道を進みます


途中、道の両側には蓮田が広がっています


階段下の入口にある 大原幽学遺跡史跡公園の案内図


ここから長い階段をのぼっていきます


大原幽学 旧宅 (国指定史跡) 建物の内外は一見の価値があります

曇っている日でしたが、大原幽学の旧宅は雨戸が開けてあり、室内の様子も見ることができました。

大楼閣「改心楼」の跡地に 昭和12年(1937)に建造された大原聖殿


大原幽学の指導により建てられた 旧林家住宅 (千葉県指定有形文化財)

この旧林家住宅は、旧・十日市場村(現・旭市)から 移築・復元されたものです。
この林家は、篤農家であるとともに、酒造業も営んでいたといいます。

疲弊しきった長部村等 4村で 大原幽学が「先祖株組合」を発足させるに当たって、幽学の高弟であった林伊兵衛はパトロンとなり、500両を出資したそうです。
「先祖株組合」は、日本における農業協同組合の先駆といわれています。

大原幽学記念館  旧干潟町(ひかたまち)(現・旭市)が設立  内外ともに立派
 

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2015年の2月下旬、東部市民セミナーの最終回として、「大原幽学記念館」を訪れました。

この研修バスツアーは、あいにくの雨天となってしまいました。
大原幽学 ゆかりの地も、ゆっくりと見られず残念だったです。

ここでは、「長部村」に近い 同じ旭市の 飯岡刑部岬ぎょうぶみさき展望館 をご紹介します(今回のツアーで 最初に行った場所です)。
飯岡は、博徒の親分であり 網元でもあった 飯岡助五郎いいおかのすけごろう の本拠地でした。
飯岡助五郎が、笹川繁蔵ささがわのしげぞう と 激しい勢力争いをしたことは、浪曲でおなじみ天保水滸伝てんぽうすいこでんで知られているとおりです。

長部村は、賭博等のために 25軒のうち24軒までが土地を手放し、悲惨な状態にあったといわれています。


飯岡刑部岬展望館


展望台から見た飯岡漁港 旭市は 3・11のときに大きな被害を被りました


追 記 2018.02.25

郷土資料館を訪れたときに、「大原幽学遺跡」という 全8ページのパンフレットを頂いてきました (2014年3月発行)。
大原幽学の足跡が とても分かりやすく述べられています。

発行は、旭市役所教育委員会生涯学習課。
編集は、大原幽学記念館内に設けられていた「大原幽学先生没後150年祭並びに大原幽学遺跡復旧事業竣工記念実行委員会」(すごく長い名称

パンフレット 「大原幽学遺跡」 (2014)