「大原幽学遺跡 駐車場」に車を停めて、5分ほど歩くと 史跡の入口である階段の下に到着しました。
昔の雰囲気を残す道を進みます |
途中、道の両側には蓮田が広がっています |
階段下の入口にある 大原幽学遺跡史跡公園の案内図 |
ここから長い階段をのぼっていきます |
大原幽学 旧宅 (国指定史跡) 建物の内外は一見の価値があります |
曇っている日でしたが、大原幽学の旧宅は雨戸が開けてあり、室内の様子も見ることができました。
大楼閣「改心楼」の跡地に 昭和12年(1937)に建造された大原聖殿 |
大原幽学の指導により建てられた 旧林家住宅 (千葉県指定有形文化財) |
この旧林家住宅は、旧・十日市場村(現・旭市)から 移築・復元されたものです。
この林家は、篤農家であるとともに、酒造業も営んでいたといいます。
疲弊しきった長部村等 4村で 大原幽学が「先祖株組合」を発足させるに当たって、幽学の高弟であった林伊兵衛はパトロンとなり、500両を出資したそうです。
「先祖株組合」は、日本における農業協同組合の先駆といわれています。
大原幽学記念館 旧干潟町(ひかたまち)(現・旭市)が設立 内外ともに立派 |
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2015年の2月下旬、東部市民セミナーの最終回として、「大原幽学記念館」を訪れました。
この研修バスツアーは、あいにくの雨天となってしまいました。
大原幽学 ゆかりの地も、ゆっくりと見られず残念だったです。
ここでは、「長部村」に近い 同じ旭市の 飯岡
飯岡は、博徒の親分であり 網元でもあった
飯岡助五郎が、
長部村は、賭博等のために 25軒のうち24軒までが土地を手放し、悲惨な状態にあったといわれています。
飯岡刑部岬展望館 |
展望台から見た飯岡漁港 旭市は 3・11のときに大きな被害を被りました |
追 記 2018.02.25
郷土資料館を訪れたときに、「大原幽学遺跡」という 全8ページのパンフレットを頂いてきました (2014年3月発行)。
大原幽学の足跡が とても分かりやすく述べられています。
編集は、大原幽学記念館内に設けられていた「大原幽学先生没後150年祭並びに大原幽学遺跡復旧事業竣工記念実行委員会」(すごく長い名称!)。
パンフレット 「大原幽学遺跡」 (2014) |