2015年2月12日木曜日

印旛を歩く(11) 願定院がんじょういん (印西市・瀬戸)

願定院は、印旛郵便局のすぐ近くにあります。
所在地は 印西市瀬戸270番地です。

ちばグリーンバス 「印旛郵便局」バス停


願定院の建物配置
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用


山門と、その後ろに見える本堂


山門右の石柱に 「天台宗 無量寿山 願定院 本願寺」 とあります


「願定院の縁起」 とても詳しく書かれていて、参考になります

「願定院の縁起」には 大変重要な情報と、考えさせられることが書かれていますので、以下に書き写します。

    * 願定院の縁起


 願定院(正式には 無量寿山 願定院 本願寺)は天台宗に属し、印西市泉倉寺の末寺です。 この宗派は、伝教大師(最澄)を開祖とする比叡山延暦寺を本山としています。

イ、 本尊は阿弥陀如来坐像(木造、年代不詳)で、開山 貞観大和尚から数えて15世になると、明治31年8月21日、当時の住職 山口永信師が記録している。

ロ、 現本堂および山門は 享保14年(1729)3月、住職 宏禅の代に再建されたと伝えられ、以前の客殿も明和5年(1768)3月、宏覚、豪寛両住職により建立されたものであったが、老朽したため取り壊され、昭和52年に現在の庫裏が新しく建てられた。
  ※ 宏 : 原文では「ウ冠に尤」 (上の写真をご覧ください)
 
梵鐘は 太平洋戦争で供出させられ、鐘堂だけがのこっている。

ハ、 明治維新の際、神明山宝蔵寺(郷)と東蹄山光明寺(新立)が廃寺となり、願定院に合併された。

 観音堂左側にお堂がありますが、光明寺から移された毘沙門天(木造立像、年代不詳)が安置されております。
 また 里伝によれば、神明山に葬った白馬がまぼろしとなって現れ、房田を越え井戸向(現在地)に消えることがたびたびあったので、村人が観音堂を建て、馬頭観世音を安置して馬の霊を鎮めたとされ、本尊 馬頭観世音菩薩像は桐の一木造りの立像で 高さ1m、行基の作と伝えられています。

檀 家 総 代

 同じ天台宗の西定寺(印西市山田)の所管になっているようです


山門の右手に ふたつの大師堂があります。

印西大師 第二十四番札所の大師堂


大師堂 講の「番外の大師堂」でもないようです


願定院の境内 けっこう広々としています (観音堂の右後ろから撮影)


本 堂 その左側は庫裏


「願定院の縁起」に書いてあるように、観音堂は合併された神明山宝蔵寺と大変縁が深いようです。

馬頭観音堂 堂前には回向柱



観音堂には 馬頭観世音が安置されているといいます 左手には毘沙門堂


観音堂の左手前には、合併された東蹄山光明寺の毘沙門堂があります。

毘沙門堂 「東蹄山」と 光明寺の山号が書かれた扁額が懸かっています


また、観音堂の右奥には、堂前に「南無石神大明神」と彫られた石柱が建っているお堂があります。

お堂の前の石柱には 「南無石神大明神」とあります

「石神大明神」は、家内安全・子孫繁栄の御利益があり、子授け祈願の対象になっています。
よく見ると、石柱の形が象徴的ですし、太い横木の奥にある庇には 何かが載っているようです。


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