2015年3月20日金曜日

鎌ケ谷宿とその周辺を歩く (2) 陸軍鉄道連隊橋脚跡

木下街道とその周辺を歩く散策、2つ目の訪問先です。

陸軍鉄道第二連隊の大きな橋脚が4基残っています

アカシア児童遊園の道路側に、旧陸軍の鉄道連隊が演習に用いた4基の橋脚が残されています。
いちばん西の橋脚(上の写真の右端)のそばには、市教育委員会の説明板が置かれています。
概要は、以下の説明板の写真を参考にしてください。

「鉄道連隊橋脚」についての市教育委員会の説明書き

橋脚は、橋を架ける演習のために造られたものです。
二和川の細い流れが、「川」として見立てられたのでしょう。

橋脚のコンクリートは頑丈すぎて撤去できなかったようです。
コンクリートにも、ずいぶんと質に違いがあることが分かります。


陸軍鉄道第二連隊の練習線は、その多くが戦後になってから新京成線に引き継がれました。
しかし、敷設に当たっては、練習線橋脚部の横を通る路線への回り込みを避け、二和向台駅から初富駅の間を短絡して新たに軌道が敷かれました。
以下の地図をご参照ください。

陸軍鉄道第二連隊練習線(赤い線) と 新京成線 (緑色の線
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用


橋脚跡の近辺には 撤去された線路沿い(現在は車道沿い)に、鉄道を敷設した「陸軍」の名が穿たれた標柱が数多く残されています。
標柱は花崗岩でできており、上に出た部分は30cm程度ですが、土に埋まっている部分はその2倍程あります。
上の部分は きれいに加工してありますが、下の部分は 抜けにくいよう あえてデコボコした状態にしてあります。
重さは70~80kgぐらいあるでしょうか。
市郷土資料館の話では、大人3人が ようやく持てる重さだそうです。

今でも標柱らしく見えるものもありますが、中には標柱のあった場所に塀がつくられ、コンクリートに埋もれているものもあります。 

家の塀に埋め込まれている「陸軍」の標柱



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