師戸宗像神社 と その周辺 |
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この周辺は、江戸期には、
明治期に入ってからは、師戸村は 佐倉縣次いで印旛縣に属した後、明治6年から千葉縣の所管となりました。
・1955年(昭和30年)、宗像村は 六合村と合併し 印旛村が成立。
・2010年(平成22年)、印旛村は 本埜村とともに 印西市に編入。
では、師戸の宗像神社を訪ねてみましょう。
師戸宗像神社は 道路沿いにあります |
道路の反対側は 谷へと急に落ち込んでいます |
先の大震災のときに 鳥居の |
一の鳥居の奥にある 二の鳥居は 両部鳥居 |
大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「宗像村誌」には、村社 宗像神社の一つとして以下のように書かれています(後編 P.411)。
(2) 村社 宗像神社
社殿(本殿)、間口 6尺 奥行き 6尺。
拝殿、間口 4間半 奥行き 2間。
境内、326坪あり。 氏子、108戸あり。
神官は香取正廣にして、管轄庁まで5里5町20間あり。
境内3社を祭る。 即ち、
1 稲荷神社
2 香取神社
3 三神社
神社拝殿 |
拝殿には「宗像神社」と書かれた扁額があります |
拝殿内には、絵や写真が掲げられています |
先の大震災の2カ月後に書かれた「 |
木や紙に書かれたものは、石に刻まれたものと違い、どんなに大事なものであっても 長い期間 残ることがありません。
そこで、上の言葉も書き写しておきたいと思います。
階段 の傷跡
5月11日 現在
死者 14,949人
不明者 9,880人
負傷者 5,279人
平成23年3月11日 午後2時46分、東北地方 太平洋沖、マグニチュード9.0という巨大地震が発生。
地震・津波による死者は1万4千余、行方不明者 1万余、被災者は12万人と伝えられた。
各機関は総力を挙げて事に当たり、日本国中が その救援に東奔西走する。
この状況は、今後長期に及ぶものと予想される。
額落下による石段の損傷は そのまま残し、鳥居は額をつけず修理することとなり、5月3日修理完了。 9万4千5百円を費やした。
拝殿に張られていた 神社本庁のポスター 1 |
拝殿に張られていた 神社本庁のポスター 2 |
拝殿の後ろには 本殿の塀が見えます |
本殿の塀のすぐ傍には、キノコが生えていました。
何だか不思議な感じがしました。
本殿の塀の近くに生えていたキノコ 1 |
本殿の塀の近くに生えていたキノコ 2 |
キノコの同定は難しくて、図鑑やネットで調べても さっぱり分かりません。
本殿 屋根の下の部分には彫刻が施されています |
本殿左後方にある 稲荷神社・香取神社・三神社が一体になった小祠 |
拝殿と本殿の横は きれいに苔むしていました |
苔むした石と その上に被さる葉の組み合わせが絶妙 |
鳥居を拝殿側から見た景色です |
「日清・北清・日露 戰役從軍紀念」の碑 (1907) |
碑には「從軍紀念」とあることから、生きて師戸に戻ってきた人が、この碑を建てたのではないかと推測されます。
左下に「陸軍歩兵少尉 小山林之助」という名が刻まれています。