江戸の昔、渡辺崋山もこの神社に立ち寄っていることが『四州真景紀行』の挿絵により分かります。
渡辺崋山『四州真景紀行』(1825)挿絵 鎌ケ谷八幡神社とその周辺 |
鎌ケ谷八幡神社 一の鳥居 |
狛 犬(右) |
狛 犬(左) |
石の鳥居が、現在の金属の鳥居に建て替えられたようです |
鎌ケ谷八幡神社 由緒書き |
上の写真の由緒書きを写したものを以下に載せます。
御 由 緒
当地区は野付村(牧場の管理と牛馬の世話等に役務する村)として、小金5牧の内、
当社の御祭神は、八幡大神と申上げ
〔 八幡信仰についての概説 〕
頼朝が鎌倉に幕府を開き、鶴ヶ丘八幡宮を中心に祭政一致を理想として諸国に守護、地頭を置くに及んで中央より遠い地に補任された者ほど、源氏に因縁浅からぬ八幡大神を任地官衛の傍に勧請して一社を営んだ。
鎌倉幕府は延喜の制、下総小金5牧を踏襲し、新政のもと牧場野付の村に御家人、馬役人を配置執務せしめたが、これらの人々も朝夕兵馬の健全と武運長久を八幡大神に祈った。
〔 当神社について 〕
当社は古来兵馬守護の武神として信仰されたが、地元の人々の生活と結びついて勝運繁栄、子育て、安産の神として現在でも多くの人々の崇敬を受けている。
大祭は、10月15日盛大に執行する。
鎌ケ谷八幡神社
年中行事 |
よい機会なので、「八幡信仰」について以下にまとめておきます。
・発祥は宇佐八幡宮(大分県宇佐市)。 現在の正式名は宇佐神宮。
・奈良時代、奈良東大寺に鎮守神として勧請(手向山八幡宮)。
・鎌倉時代から、諸国の御家人や武士たちを介して庶民にも浸透。 全国に八幡宮・八幡神社が創建される。
(以上は、主に 新谷尚紀(監修)『神社に秘められた日本史の謎』(洋泉社) 2015 に拠りました。)
一の鳥居から見た参道 |
二の鳥居 奥には小さく三の鳥居が |
左側に「百庚申」が見えてきます |
拝殿前から鳥居の方に向かって振り返って見たところ |
鎌ケ谷八幡神社 拝殿 |
渡辺崋山のスケッチを部分拡大したもの 今の神社の姿にそっくりです |
絵の右には、「釜谷原放牧。 原、縦四十里、横二里或いは一里と云う。 即ち、小金に続くとぞ」と言葉が添えられています。
この記事の冒頭で見たように、神社の左側には馬の絵が描かれています。
正面から見た拝殿 |
➜ 鎌ケ谷の神社(9) 鎌ケ谷八幡神社(その2)