2015年11月14日土曜日

北総の宗像神社(10) <印西市・吉高>

印西市吉高地区の宗像神社は、印旛沼(北印旛沼)の近くにあり、道路に面しています。
所在地は 印西市吉高700番地1です。

神社から かなり離れた路傍にある「村社 宗像神社」と刻された標石


神社に続く道路沿い、南天の実が赤く色づいていました


路傍にあった大きな句碑

最初は歌碑だと思いました。
短歌に思えたものは、仲良く並んだ俳句二句でした。
以下のように彫られていました。


    大正7年1月11日 金婚式 挙けて

  花島 春丹阿楚にあそひて 友

   (花島はなじまの 春に遊びて 共白髪ともしらが   夫

  五十いそとし うへもめてるむ 梅柳

   (五十年の 上もでらん 梅柳  妻)


吉高宗像神社の入口 右手の道路の彼方には 印旛沼が望見されます


神社入口 左の道は畑へと続いています


神社参道の手前


宗像神社の 狛犬と鳥居 右手は手水舎


参道沿いに4対の燈籠が建っていました


拝殿に近づきました


宗像神社 拝殿

大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』の「六合村誌」には、村社 宗像神社の一つとして以下のように書かれています(後編 P.385~386)。

(2) 村社 宗像神社

吉高村 字宮前にあり、祭神は 田心姫命たごりびめのみこと湍津姫命たぎつひめのみこと市杵島姫命いちきしまひめのみこと保食命うけもちのみこと(神)、罔象女命みつはのめのかみを祭る。

天暦てんりゃく2年(948)6月14日、筑前国宗像郡田島より当村に勧請し、宗像大明神を唱え来たれり。
後、天和2年(1682)11月、改造・再興。
弘化2年(1845)、社号に改替。宗像神社と唱う。

祭日、往古より6月15日。
保食神、罔象女命は、明治40年(1907)11月6日、許可を得て合祀す。

社殿(本殿)は、明治35年9月28日全倒。
拝殿は、間口 5間3尺。
鳥居、木造1基。
境内、911坪あり。 氏子、127戸を有す。

境内4社を祭る。 即ち、
 1 天満天神社  菅原道真公を祭る。由緒不詳。建物 間口6尺、奥行き6尺。
 2 金刀比羅大神  大物主命を祭る。由緒不詳。建物 間口4尺、奥行き5尺。
 3 秋葉大神  火産霊神を祭る。由緒不詳。建物 間口4尺、奥行き2尺。
 4 三峯大神  伊弉冉命、伊弉諾命を祭る。由緒不詳。建物 間口2尺5寸、奥行き3尺。

 (以上、『神社明細帳』による)


御祭神等について述べられた説明書き


正面には「宗像神社」と書かれた額が懸かっています


拝殿の中が見えました 大きな太鼓があります


宗像神社 本殿 屋根の下には鶴の彫刻などがありました


社殿横の瑞垣 その前に テーブルとベンチがあるのは珍しいです


本殿背後の 天満宮(扁額には「菅公廟」とあり) ・ 稲荷神社 ・ 水神社


境内には驚くような巨木がありました


拝殿前には どこかに続く階段がありました


階段を上がったところには 水神社 と 魚霊供養之碑


その隣には 金刀比羅神社(額には「象頭山」とあり)


拝殿前から鳥居方向を見たところ