2016年10月1日土曜日

泉集会所前の石塔群 (印西市・泉)

泉の八幡神社から西へ300mほど行くと、路傍に 多くの石塔が建ち並んでいるのが見えます。

道路側から石塔群を見たところ


背面から石塔群を見たところ


石塔群の内側には 小堂があります


印西大師 番外の大師堂です


弘法大師像(砂岩) 慶応4年(1868)


大師堂の奥には建物があります 「泉集会所」だそうです


「泉集会所」の裏に生えていたツルボ
花にとまっているのは ヤマトシジミでしょうか


石塔を右端から見ていきます。
同じ石塔の写真が二度載っている場合があります。
その場合は、石塔の二度目の説明をやや薄い色の文字にしました

➀ 二十九夜塔〔如意輪観音像〕(安山岩)  造立者不明  元禄3年(1690)
➁ 花見堂地蔵像(砂岩)         造立者不明  天明年間 (1781~)
➂ 庚申塔(頁岩)            講中   昭和32年(1957)3月


➃ 子安観音像(砂岩) 女人講中
大正12年(1923)3月


➄ 庚申塔(頁岩) 講中 昭和16年(1941)2月
➅ 庚申塔(頁岩) 講中 明治42年(1909)5月
➆ 庚申塔(頁岩) 講中 明治12年(1879)11月


➇ 庚申塔(砂岩)     講中     明治16年(1883)11月
➈ 庚申塔(砂岩)     講中     昭和3年(1928)3月
➉ 二十三夜供養塔(砂岩) 和泉新田講中 文化元年(1804)11月


➈ 庚申塔(砂岩) 講中 昭和3年(1928)3月


➉ 二十三夜供養塔(砂岩) 和泉新田講中  文化元年(1804)11月
十五夜供養塔(砂岩)  泉新田男女講中 寛政5年(1793)10月
二十三夜供養塔(砂岩) 講中      明和9年(1772)
庚申塔(砂岩)     造立者不明   文化6年(1809)11月


庚申塔(砂岩)   造立者不明    文化6年(1809)11月
青面金剛王(砂岩) 千葉井☐兵☐ 外 天保6年(1835)10月
庚申塔(砂岩)   傳之☐ 外    文政10年(1827)11月




庚申塔(砂岩)         傳之☐ 外     文政10年(1827)11月
青面金剛尊〔文字〕(砂岩) 和泉新田講中 宝暦3年(1758)11月
青面金剛像(砂岩)       和泉新田講中 天明4年(1784)10月
青面金剛尊〔文字〕・三猿像(砂岩)
和泉新田講中 宝暦3年(1758)11月 


青面金剛像(砂岩)
和泉新田講中   天明4年(1784)10月


青面金剛王(砂岩) 菊地市良兵ェ 外 天保12年(1841)10月
庚申塔        菊地寅松 外     嘉永3年(1850)10月
庚申塔        講中      万延元年(1860)11月


庚申塔(砂岩)  講中          明治4年(1971)10月
庚申塔(粘板岩) 講中          嘉永6年(1853)10月
読誦塔(砂岩)     和水新田村 秀誉 外  元禄7年(1694)


道路脇の石塔群は2列になっています。

庚申塔群の裏側にも 如意輪観音像や子安観音像があります


十九夜塔〔如意輪観音像〕(安山岩) ヲリン 外
   宝暦4年(1754)10月
子安観音像(砂岩)          前田志づ 外
   明治41年(1908)3月



子安観音像(砂岩) 女人講中 明治17年(1884)
子安観音像(砂岩) 女人講  造立年不明



子安観音像(砂岩) 講中   昭和33年(1958)12月
子安観音像(砂岩) 女人講中 安政6年(1859)3月
子安観音(砂岩)  講中   昭和49年(1974)1月


石塔の造立年等に関しては、印西町教育委員会発行の『印西町石造物 第三集 草深地区調査報告書』(1983)を参考にしました。
なお、現在の並び順は、同書の記載順とは大きく異なっています。