これらの別当寺は、同じ平賀にある来福寺でした。
いまも仁王堂は来福寺の管理下にあるそうです。
正面は仁王堂 その左は大師堂、右は手水舎 |
大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』には、「六合村誌」のうちの「寺院仏堂誌」に以下のとおり書かれています(後編 P.396)。
(13) 仁王堂
平賀村 字神津にあり、来福寺末にして 大日如来を本尊とし 真言宗なり。
安政5年(1858)7月9日、来福寺焼失につき、由緒不詳。
境内 363坪
住職 中台宥清
檀徒 300人
(『仏堂明細帳』より)
仁王堂と それに向かう参道 |
仁王堂 仁王門の両翼が広げられ、お堂になっています |
仁王堂の右翼 覗き穴の蓋は 上に回して開けられます |
右翼のお堂内部 中には石仏がまつられています |
左翼のお堂内部 こちらにも石仏がまつられています |
これらの石仏が置かれているのは「仁王堂」ですが、暗いうえに覗き穴から離れた場所に置かれているので よく見えず、石仏が実際に どういうものなのか分かりませんでした。
最近、大学の先生が調査にみえて、仁王像ではないとおっしゃっていたとも聞きます。
手水舎 左手に見えるのは 台集会所 |
印西大師には、89カ所の札所に加えて、58カ所にのぼる番外の札所があります。
ここにも大師堂がありますが、そうした番外の札所のひとつです。
印西大師 番外の大師堂 |
弘法大師像 |
では、仁王門(仁王堂)をくぐって奥へと進んでみましょう。
仁王門の右手には木槌等が掛けられています |
奥に石塔や石段が見えてきました |
小高くなったところに小堂が建っています |
石段の左手前には 石塔が並んでいます |
小堂は 近辺の人から「奥の院」とよばれているそうです |
「大日如来」と書かれた額が懸かっています |
大日如来(金剛界)坐像 智拳印の印相を結んでいます |
小堂の近くには、石仏があります。
不動明王像 |
六臂の形状や頭の動物からすると、愛染明王でしょうか |
愛染明王は、左手第一手に
左手第三手の拳を握った掌中には
また、右手第三手は
石段の下には、石塔が建っています、
石燈籠奉納時の石塔か 明和4年(1767)1月15日 |
「別当 印光山来福寺」という文字が見えます |
石段の左には みごとな巨木がありました |
大日如来堂を右側から見たところ |
この小堂が建っている小高い場所は、かつての古墳だそうです。
「
以下をご参照ください。
➜ 埼群古墳館 印西市平賀神津3号墳
大日如来堂のそばに 祠が祀られていました |
仁王堂を後ろから見たところ |
「二十三夜塔」と「奉読誦光明真言百万遍供養塔」 |
台集会所 |
集会所の裏には 広いスペースがありました |
台集会所の前にあった トイレ |
絵画ギャラリーの案内が近くにありました |
「岡田徹絵画館」の入口付近 |
付 記
本記事作成に当たっては、来福寺や印西市平賀出張所の皆様にいろいろとお尋ねし、教えていただきました。
また、貴重な情報も提供していただきました。
ここに深く感謝申し上げます。
➜ 印旛を歩く(31) 来福寺 (印西市・平賀)
➜ 印旛を歩く(33) 不動堂集会所 (印西市・平賀)