2017年2月3日金曜日

印旛を歩く(32) 仁王堂・大日如来堂 (印西市・平賀)

印西市平賀ひらか(字神津かみつ)2475番地には、仁王堂や大日如来堂があります。
これらの別当寺は、同じ平賀にある来福寺でした。
いまも仁王堂は来福寺の管理下にあるそうです。

これらのお堂の隣には、だい集会所が建っています。

正面は仁王堂 その左は大師堂、右は手水舎

大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』には、「六合村誌」のうちの「寺院仏堂誌」に以下のとおり書かれています(後編 P.396)。

(13) 仁王堂

平賀村 字神津にあり、来福寺末にして 大日如来を本尊とし 真言宗なり。
安政5年(1858)7月9日、来福寺焼失につき、由緒不詳。

堂宇 間口 5間、奥行き 3間
境内 363坪
住職 中台宥清
檀徒 300人
(『仏堂明細帳』より)

仁王堂と それに向かう参道


仁王堂 仁王門の両翼が広げられ、お堂になっています


仁王堂の右翼 覗き穴の蓋は 上に回して開けられます


右翼のお堂内部 中には石仏がまつられています


左翼のお堂内部 こちらにも石仏がまつられています

これらの石仏が置かれているのは「仁王堂」ですが、暗いうえに覗き穴から離れた場所に置かれているので よく見えず、石仏が実際に どういうものなのか分かりませんでした。
最近、大学の先生が調査にみえて、仁王像ではないとおっしゃっていたとも聞きます。


手水舎 左手に見えるのは 台集会所


印西大師には、89カ所の札所に加えて、58カ所にのぼる番外の札所があります。
ここにも大師堂がありますが、そうした番外の札所のひとつです。

印西大師 番外の大師堂


弘法大師像


では、仁王門(仁王堂)をくぐって奥へと進んでみましょう。

仁王門の右手には木槌等が掛けられています


奥に石塔や石段が見えてきました


小高くなったところに小堂が建っています


石段の左手前には 石塔が並んでいます


小堂は 近辺の人から「奥の院」とよばれているそうです


「大日如来」と書かれた額が懸かっています


大日如来(金剛界)坐像 智拳印の印相を結んでいます 


小堂の近くには、石仏があります。

不動明王像


六臂の形状や頭の動物からすると、愛染明王でしょうか

愛染明王は、左手第一手に 五鈷鈴ごこれい、右手第一手に 五鈷杵ごこしょを持っています。

左右の第二手には、弓と矢(箭)を持っています。
左手第三手の拳を握った掌中には 摩尼宝珠 ま に ほうしゅ(別名 如意宝珠にょい ほうしゅ(チンター マニ)、「意のままに様々な願いをかなえる宝」)を隠し持っています。
また、右手第三手は 未敷蓮華みふれんげ(いまだ開いていない蓮の花)を掲げています。

額をよく見ると、三つめの目が縦に付いています。

頭には 獅子の首である獅子冠を被っています。


石段の下には、石塔が建っています、

石燈籠奉納時の石塔か 明和4年(1767)1月15日


「別当 印光山来福寺」という文字が見えます


石段の左には みごとな巨木がありました


大日如来堂を右側から見たところ

この小堂が建っている小高い場所は、かつての古墳だそうです。
神津かみつ3号墳」と名づけられています。
以下をご参照ください。

➜  埼群古墳館 印西市平賀神津3号墳

➜  古墳探訪 神津3号墳
 

大日如来堂のそばに 祠が祀られていました


仁王堂を後ろから見たところ


「二十三夜塔」と「奉読誦光明真言百万遍供養塔」


台集会所


集会所の裏には 広いスペースがありました


台集会所の前にあった トイレ


絵画ギャラリーの案内が近くにありました


「岡田徹絵画館」の入口付近


付 記

本記事作成に当たっては、来福寺や印西市平賀出張所の皆様にいろいろとお尋ねし、教えていただきました。
また、貴重な情報も提供していただきました。
ここに深く感謝申し上げます。



➜  印旛を歩く(31) 来福寺 (印西市・平賀)

➜  印旛を歩く(33) 不動堂集会所 (印西市・平賀)