大正2年(1913)発行の『千葉県印旛郡誌』には、「六合村誌」のうちの「寺院仏堂誌」に以下のとおり書かれています(後編 P.395)。
(10) 來福寺
平賀村 字榎台にあり、新義真言宗豊山派にして千手院末なり。
大日如来を本尊とす。
開山、年代 不詳。
中興の開山を日雅とす。
口碑に云う、元来の本地は高祖大師御在世
境内 1,242坪
住職 中台宥正
檀徒 702人
境内仏堂一宇あり。すなわち、
・大師堂 弘法大師を本尊とす。 安政5年7月9日 焼失につき、由緒不詳。
建物 間口 2間、奥行き 2間なり。
(『寺院明細帳』より)
山門前に 小堂が2棟建っています |
手前は大師堂のようです |
尊像の写真が うまく撮れませんでした |
前に置かれた絵には 「千百年記念」と書かれています。
これを参考にして 大師堂と判断しました。
弘法大師・空海は、宝亀5年(774)に生まれ、 承和2年(835)に入寂しています。
昭和9年(1934)には、「弘法大師壱千百年記念展覧会」というものが開かれたようです。
このときの栞を以下で読むことができます。
観音堂 |
可愛らしい子安観音が安置されていました |
山 門 |
山門をくぐると、右手には石塔が並んでいます |
左は本堂、右は大師堂 |
二つの大師堂や石塔が建っています |
二つ目の大師堂 |
弘法大師像 |
弘法大師のレリーフのある石塔 |
大きな三つ目の大師堂 印西大師第66番札所です |
弘法大師像 |
本 堂 |
本堂の右にある小社 天満宮かもしれません |
右に見えるのは 道真像のように思われます |
来福寺の山門の右手前に位置する高台には、薬師堂が建っています。
『千葉県印旛郡誌』には、以下のように書かれています(後編 P.395)。
(11) 藥師堂
平賀村 字榎台にあり、来福寺末にして真言宗なり。
七仏薬師如来を本尊とす。
開山、年代 不詳。
安政5年(1858)7月9日 来福寺焼失につき、由緒不詳。
境内 217坪
住職 福山宥清
檀徒 300人
(『仏堂明細帳』より)
住職が、来福寺とは違っています。
檀徒も、同様に来福寺とは違っていたのかもしれません。
山門前にある急な石段 |
石段の上にある薬師堂 |
石段の下にある説明板 千葉県指定有形文化財の木造薬師如来坐像 |
印西市『新・印西名所図会』(2016) によると、木造薬師如来坐像は、現在 印旛歴史民俗資料館に保管されており、毎年7月7日の大護摩供で開扉されるそうです。
薬師堂とその周囲 堂前の説明板の内容は、石段下の説明板と同一 |
高台のまわりはひらけており、遠くに印旛沼が望めます |
石段の上から見下ろしたところ |
来福寺の手前にある「 |
来福寺さんのお話では、角崎生活改善センターは、かつては「お堂」だったそうです。
いまでも月に一度、子安観音に蝋燭を灯しに集まっているとのことです。
追 記 2017.02.04
境内にある多くの小堂が、何のお堂であるのかが分かるように、安置されている尊像の写真を追加しました。
➜ 印旛を歩く(30) 一本松揚水機場と湧水 (印西市・瀬戸)
➜ 印旛を歩く(32) 仁王堂・大日如来堂 (印西市・平賀)