「西国三十三所供養塔」は 十余三のバス停「道祖神」の近くにあります |
すぐ下の写真を見ていただきたいのですが、この道標の前面に彫られている「とつかう」という文字を初めて見たとき、いったいどこなのか、すぐには わかりませんでした。
そうして、調べていくうちに、だんだん楽しくなってきたのです。
道標は、それを見る者を過去(いにしえ)へと誘なうタイムマシンです。
なお、写真は 道標の隣にコンビニができた2013年9月よりも前に撮影したものです。
前 面(西向き)
・花山院
花山(かざん)院とは、西国三十三所巡礼の中興の祖といわれる第65代天皇の花山天皇(生没年 968~1008)を指す。
・西國三十三所供養
上方方面の観音巡礼地が「西國(さいごく)三十三所」といわれた。その巡礼の満願を記念し建立されたことを示す。
・とつかう
現 成田市取香(とっこう)。前林から見ると取香は成田山の手前に位置する。
・なりた
成田山を指す。
・前林村
現 成田市前林とその周辺。道標の現在の所在地名は、道路を挟み前林と接する香取郡多古(たこ)町十余三(とよみ)である。
後 面(東向き)
・旹
じ(時)、とき。石碑建立の年月の意。
・天保三
天保(てんぽう)3年(1832年)。
・龍集
りゅうしゅう。年号の下に干支を伴って記す語。「年」と同意。龍は木星、集は星のやどり。「木星は一年で周回してもとのやどりに戻る」と書いてある辞典があるが、意味不明である。歳次・竜次に同じ。「りょうしゅう」とも読む。
・壬辰
みずのえたつ、じんしん。干支の組み合わせの29番目。1832年は壬辰の年に当たる。2012年も壬辰の年だった。
・霜月
旧暦11月。
・詰旦
きったん。「詰旦」は早朝の意だが、よい日、吉日の意の「吉旦」と同意と思われる。
・みくら
現 香取郡多古町の本三倉、谷三倉、本三倉谷、三倉入会に当たる。前林の東。
・山くら
現 香取市山倉。三倉の東にある。山倉大神がある。
・まつさき
現 香取郡多古町の東松崎。山倉の南。松崎神社がある。
・たこ
現 香取郡多古町多古。前林の南南東。
・中むら
現 香取郡多古町の北中(なか)、南中(なか)、中村新田の地区。多古町多古の東。
・八日市場
現 匝瑳市八日市場(ようかいちば)。「中むら」の東南。
右 面(南向き)
・此方
このかた。彫ってある地名の手前の方角に実際の場所がある。
・ひした
現 山武郡芝山町菱田(ひしだ)。前林の南西
・かも
現 山武郡芝山町加茂(かも)。菱田の南東。
・い〃さ〃
現 香取郡多古町飯笹(いいざさ)。前林の南。菱田の東。
・志ばやま
現 山武郡芝山町芝山(しばやま)とその周辺。飯笹のさらに南。
左 面(北向き)
・□方
□の字の部分が不明だが、「此方」だろう。
・すこしゆき
「少し行ったところを」の意。旧道の地図(『多古町史』下巻付図参照)に拠れば、現在の城山入口三差路の分岐点を指していると思われる。
・右
分岐点まで行って「右に折れると」の意。
・さ□ら
□の字の部分は「者」のくずし字。したがって、「さ者(は)ら」となる。現 香取市佐原(さわら)。下の写真を参照のこと。
・かとり
現 香取市香取。
・左
分岐点まで行って「左に折れると」の意
・いのふ
現 成田市大栄地区の伊能(いのう)。前林の北。「いのふ」という文字を充てている例は、他の道標にも見られる。
・かうさき
現 香取郡神崎(こうざき)町。伊能のさらに北。
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参 考 (Wikipedia より)
江戸時代には庶民に観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三箇所や秩父三十四箇所と併せて日本百観音と言われるようになった。これにより東国の巡礼者が増え、この上方の観音巡礼が「西国三十三所」と言われるようになり、熊野詣から巡礼を始める人が多かったので第一番が紀伊国那智山の如意輪堂(現・青岸渡寺)に、東国への帰路に着きやすいということで第三十三番が美濃国の華厳寺という現在の巡礼順になったと考えられている。
江戸時代初期から「巡礼講」が各地で組まれ団体の巡礼が盛んに行われた。地域などから依頼を受けて三十三所を三十三回巡礼することで満願となる「三十三度行者」と呼ばれる職業的な巡礼者もいた。これら巡礼講や三十三度行者の満願を供養した石碑である「満願供養塔」は日本各地に残っている。
追 記
この道標が建っている場所の現状については、以下の記事が参考になります。
➜ 変わりゆく風景 (1) DIXIE の給水塔 ・ 畑がコンビニに