2014年9月5日金曜日

2014.09.02 小林地区での里山調査 (印西市)

印西ウエットランドガイドの里山調査で印西市の小林地区を歩きました。

小林地区の北には 利根川と将監川(しょうげんがわ)が平行して東西に走っており、二つの川の南には、田んぼが広々とひろがっています。

小林地区の水田は、区分けされた田の面積が 谷津田のものよりも広い


折からの雨で、重く実った稲穂が倒れていました


ひび割れた水田の地面の上には 雨水が溜まっていました


ハネナガイナゴ 稲が大好きな昆虫


実りの秋とて、さまざまな植物が実をつけていました。

イチイ(別名 アララギ)の実


ミツバアケビの実


チャノキ(茶の木)の実


印西市に多く置かれている鳥見神社のひとつ、小林の鳥見(とみ)神社を訪れました。

この神社は、「村社」ではなく より社格の高い「郷社」であったようです。
『大辞林』によると、郷社とは 「旧社格の一。県社の下、村社の上に位置づけられ、地方官の管理下にあって奉幣を受けた」 とあります。
「奉幣」(ほうべい)については説明を省略します。

小林鳥見神社の拝殿


小林鳥見神社 本殿裏の彫刻


祓戸大神(はらえどのおおかみ)の碑


江戸期の手水鉢には 苗字がついた寄進者名が


手水鉢には、セイヨウミツバチが水を飲みに たくさん来ていました


幟を立てる石台には 「木下町小林区」とあります

小林地区は、江戸期から明治時代の中頃までは小林村でした。
明治22年の町村制施行により木下(きおろし)町の一部として組み入れられました。


現在 整備が進んでいる「道作(どうさく)古墳群」を訪れました。

道作古墳群の説明板


古墳近くの路傍には 土器のかけらが見られます


道作古墳群の景観  1


道作古墳群の景観 2


道作古墳群の景観  3


古墳からそう遠くない場所には 観音堂(馬場の堂)があり、その周りには六地蔵や子安観音などの石碑が置かれ、印西大師の大師堂があります。

観音堂 小さなお堂です


2基倒れてしまっていますが 六地蔵です


子安観音  右側を含ませ 左側に手を当てています


印西大師 第三十七番札所の大師堂


キツネノマゴが 小さなピンク色の花をたくさん咲かせていました


観音堂の近くには、木曽義仲の愛妾 巴御前の墓といわれている巴塚がひっそりと眠っていました。

巴塚の碑が木の根元にありました


周囲には土を盛っただけの塚が6基


帰り道の途中には、八坂神社がありました。


八坂神社の小さな社 隣は消防団の建物


追 記 2014.09.09

将監川は その西端が1912年に閉塞されており、現在は東端のみが細い水路で長門川につながっています。
そのため、河川としてではなく 湖沼として扱われることが多いようです。
(この部分は、私の自然や歴史の先生 A氏のご指摘で書き足しました。)


割 込 2014.09.18

将監川東端の細い水路を撮りにいきました。

将監川上流に向けて水路を撮影 将監川と比べると 小川のようです


将監川下流に向けて撮影 長門川に流れ込む辺りに 小さく船が見えます


長門川からの風景 船が見える辺りが 将監川からつながる水路の出口

この割込 おわり


ついでながら、将監川の西、平岡燕口ひらおかつばくろぐちには 「将監川閉塞告成碑へいそくこくせいひ」という立派な碑が建っており、目をひきます。

「将監川閉塞告成碑」 1917年 建立 (2013.03.22 撮影)

この碑は、木下にある「水辺の文学インフォメーション館」の館長さんのお話だと、以前に車がぶつかって壊れたため再建されたものだそうです。
『印西町石造物 第八集  木下地区調査報告書』(1991)の P.115 に載っている図を見ると 元々は将棋のコマのような形をしていたようです。