2014年9月9日火曜日

鎌ケ谷の神社(3) 根頭神社(その2) 旗竿格納建屋

鎌ケ谷の南部公民館で用事を済ませた帰りに、隣にある根頭神社に寄りました。

  根頭神社へは 、南部公民館の裏庭から行くと便利です


参 考 2年前の写真 南部公民館がよく見えます  (2012.04.13 撮影)


南部公民館の東南は 急な谷になっています


根頭神社の両脇は谷であることがわかります
国土地理院の電子国土Webシステムから配信された地図を利用


迅速測図(1880)を見ると 根頭神社の北側(背後)も谷であったようです

かつて、根頭神社は 舌状台地の北の端にあったことがわかります。
根頭神社の北側の谷に盛り土して建てられたのが 南部公民館です。
南部公民館の裏庭と根頭神社の境内がつながっているのは、こうした経緯によっています。


神社の入口・鳥居の方へと 長くまっすぐに続く参道


社殿へと続く参道 参道の左側には真新しい建造物が見えます


参 考 2年半前の写真 置き場所が1段でした  (2012.01.06 撮影)


例大祭のときに立てる幟用の竿(木製)の置き場所です 胴葺きの屋根


「幟竿格納建屋」と言うんですね 昨年の12月に完成したばかりです


実に落ち着いた拝殿 いつ見ても心なごみます


簡素ながら 高く堂々としている本殿 元は千葉縣護國神社の仮本殿

『鎌ケ谷市史研究』第18号(2005)の Pp.76-92 に再録されている 皆川武志氏の「道野辺の想い出」(原本:1975)によると、この本殿は 千葉縣護國神社(千葉市、千葉公園の北にある)の社殿再建時に 旧社を譲り受けたものだそうです。
また、拝殿は その折に新築されたものだといいます。

境内にある「御由緒」書きにも、以下のようにあります。

御本殿は旧千葉県立師範学校のご真影奉安殿にして一時、千葉県護国神社の假本殿たりし由緒ある建造物なり。

皆川氏の記憶と符合します。

根頭神社は、かつては道野辺村の村社でした。
しかしながら、上記のことから、根頭神社は 村社という社格を越えて 特別な扱いをされてきた神社なのではないかと思われます。
千葉市にある護國神社あたりに聞いてみたいものです。