根頭神社へは 、南部公民館の裏庭から行くと便利です |
参 考 2年前の写真 南部公民館がよく見えます (2012.04.13 撮影) |
南部公民館の東南は 急な谷になっています |
根頭神社の両脇は谷であることがわかります |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信された地図を利用
迅速測図(1880)を見ると 根頭神社の北側(背後)も谷であったようです |
かつて、根頭神社は 舌状台地の北の端にあったことがわかります。
根頭神社の北側の谷に盛り土して建てられたのが 南部公民館です。
南部公民館の裏庭と根頭神社の境内がつながっているのは、こうした経緯によっています。
神社の入口・鳥居の方へと 長くまっすぐに続く参道 |
社殿へと続く参道 参道の左側には真新しい建造物が見えます |
参 考 2年半前の写真 置き場所が1段でした (2012.01.06 撮影) |
例大祭のときに立てる幟用の竿(木製)の置き場所です 胴葺きの屋根 |
「幟竿格納建屋」と言うんですね 昨年の12月に完成したばかりです |
実に落ち着いた拝殿 いつ見ても心なごみます |
簡素ながら 高く堂々としている本殿 元は千葉縣護國神社の仮本殿 |
『鎌ケ谷市史研究』第18号(2005)の Pp.76-92 に再録されている 皆川武志氏の「道野辺の想い出」(原本:1975)によると、この本殿は 千葉縣護國神社(千葉市、千葉公園の北にある)の社殿再建時に 旧社を譲り受けたものだそうです。
また、拝殿は その折に新築されたものだといいます。
境内にある「御由緒」書きにも、以下のようにあります。
御本殿は旧千葉県立師範学校のご真影奉安殿にして一時、千葉県護国神社の假本殿たりし由緒ある建造物なり。
皆川氏の記憶と符合します。
根頭神社は、かつては道野辺村の村社でした。
しかしながら、上記のことから、根頭神社は 村社という社格を越えて 特別な扱いをされてきた神社なのではないかと思われます。
千葉市にある護國神社あたりに聞いてみたいものです。