・日 時 2014年9月27日(土) 9:00~14:00
・主 催 白井市郷土資料館
・協 力 しろいふるさとガイドの会 (当日のガイド役)
以前から白井の神社・仏閣には興味があったものの、なかなか訪れる機会がありませんでした。
今回は、「しろいふるさとガイドの会」のみなさんという 強力な案内人を得て、ふだん見ることのできない社寺をめぐることができました。
「しろい社寺めぐり」 コース案内図 (当日配付資料より) |
楽しく参加した この「しろい社寺めぐり」を 2回にわたって掲載します。
「しろい社寺めぐり」のスタート 一般参加は 約30名(限定) |
白井市文化センターの近くにある佛法寺 天台宗 (長命山 佛性院) |
本尊の木造・阿弥陀如来座像および2体の |
印西大師 第四十二番札所の大師堂 |
大師堂の扁額 |
扁額には以下のように書いてあります。
印西組大師霊場第四十二番
草も木も 佛尓なれや 佛木寺
なを た乃もしき きちく 尓んてん
昭和四十四年九月廿一日 当区 湯淺古松
一部違うところもありますが、本家の
草も木も 仏になれる 佛木寺
なお 頼もしき 鬼畜人天
佛法寺のすぐ隣にある |
この後、西に方向を変え
大日神社 由緒 村の合併に伴い 七次村村社 ➔ 根村村社 ➔ 白井村村社 |
七次村は江戸時代からの村の名前です。
この「七次」という名前は「七次台」という地名になって、いまも残されています。
はじめは田圃だった七次新田は、いまでは多くの人が住む冨士地区となりました。
江戸時代からの村 (白井市郷土資料館『白井のあゆみ』(2005)より) |
さらに、明治22年(1885)4月1日の町村制施行に伴い、白井橋本村、神々廻村、根村、名内村、富塚村、折立村、復村、木村、中村、中村新田、今井新田が合併して 印旛郡白井村が発足しました。
同時に、隣接する谷清村(谷田・清戸・十余一)とともに 「白井村谷清村組合村」を発足させています。
なお、このときに 軽井沢新田は、東葛飾郡鎌ケ谷村に編入されています。
大正2年(1913)4月1日には、谷清村が永治村に編入されたため「白井村谷清村組合村」を廃止し、白井村は単独村制となりました。
単独村制の白井村と 永治村に編入されていた地区 (上掲書より) |
昭和29年(1954)12月1日には 、永治村の一部(旧谷清村と平塚地区)を編入し、今の市域と同一の村域が確定しました。
大日神社の石像鳥居 慶応2年(1866)建立 |
大日神社 拝殿 |
大日神社に隣り合って天神・八幡神社が建っています。
天神・八幡神社 菅原道真と |
かつての社格は「村社」よりも低い「無格社」でしたが、『千葉縣印旛郡誌』(1913)の「白井村史」では 8行を割いて書かれています。
これは全部で31ある神社の説明の中で、もっとも長い記述です。
神社は 七次新田から七次村そして現在地に移転 |
二つの神社のすぐそばには長楽寺があります。
長樂寺 山門 天台宗 延暦寺派 (七寳山 灌頂院) |
堂々とした本堂 江戸時代に根字八幡にあった地蔵堂が前身とのこと |
本堂屋根の宗紋 皇室ゆかりの十六菊紋に 三諦星がのっています |
こちらは三諦星のみです どう違うのでしょうか |
立派な鐘楼と とても大きな梵鐘 |
印西大師 第八十二番札所の大師堂 |
扁額が懸かっていたのにもかかわらず、撮影する時間がありませんでした。
また、撮りにいきたいと思います。
さらに、道を行きました。
続きは次回に。
路傍の小さなイチョウの木に 多くの銀杏がついていました |
➜ 「しろい社寺めぐり」 (その2)