2014年10月8日水曜日

「しろい社寺めぐり」 (その2)

前回からの続きです・・・

車通りから離れると、田園風景が広がっていました。

刈り入れの終わった水田の横をゆきます


ポツンと馬頭観音が建っていました 頭には馬を戴いています


途中、七次第二公園で小休止


さらに北へと向かい、折立おりたて地区に入りました。

折立熊野神社に到着


現・折立熊野神社本殿は、宝暦3年(1753)の建立 白井市で最古の本殿


折立熊野神社 本殿 覆屋おおいやで保護されています


本殿の周りには 実に見事な彫刻が施されています


国道16号線を渡って 来迎らいこう寺に到着。

山 門 左 「天台宗 延暦寺派」、右 「無量山 最勝院  来迎寺」とあります


この日は 白井市指定文化財 特別公開の日


白井市指定文化財の説明書き


白井市指定文化財(天然記念物)のイチョウの木


メダカが 甕で飼われていました


本 堂 階段をのぼった高い場所に建っていました


本堂の内陣 その右側に白井市指定文化財の仏像が展示されていました


地獄絵図の展示 その左の方へと ずっといくと、閻魔様が座っています


閻魔王坐像 と 奪衣婆だつえば坐像


左から 不動明王  阿弥陀如来  毘沙門天 の3立像

これらの仏像は、もともと市川市八幡やわたの葛飾八幡宮境内にあった法漸ほうぜん寺(すでに廃寺)の所蔵だったといいます。
明治政府は慶応4年(1868)に神仏分離の太政官布告を発しました。
そのため、これらの仏像は廃仏毀釈により廃棄されそうになりました。
そこで、法漸寺住職の弟子であった 来迎寺第14代住職 内田恂達じゅんたつ師が引き取って 来迎寺に安置したとのことです。
これは、ちょっとしたドラマです。


印西大師 番外の大師堂 薄れてしまった扁額

中木戸集会所の隣にある来迎寺別院には、印西大師 第十三番札所の大師堂があるようです。


来迎寺の手前には菖蒲園があります 6月中旬は見頃でしょう


地区の鷲神社へと歩を進めました。

路傍のお地蔵さん 大事にされていますね


鷲神社の由緒書きと 本殿および鳥居の説明


鷲神社の石造鳥居


鷲神社 本殿 ここも覆屋で保護されています


この本殿も見事な彫刻で壁面が飾られています


この彫刻を施した作者名が刻まれています その名、中村久左エ門


鷲神社を後にして、「やおぱぁく」へと向かいます


「やおぱぁく」で一休み 梨や野菜などが売られていました


最後に寄ったのは とても大きな供養塔群が建ち並ぶ場所。
なんと、いつも車で通っている木下街道の際です。
驚いてしまいました。
ゴール地点の白井市文化センターは、すぐ近くです。

「南無阿弥陀仏」と刻まれた徳本名号塔や 馬頭観音などが建っています


記事を終えるにあたって、こうした素晴らしい機会を設けてくださった白井市郷土資料館の皆様、お忙しい中お話しくださった佛法寺と来迎寺のご住職、解説に当たられた白井市教育部文化課の皆様、そして 周到な準備を重ね 丁寧なガイドをしてくださった「しろいふるさとガイドの会」の皆様に 心からお礼申し上げます。



➜  「しろい社寺めぐり」 (その1)