左側にある小さい石塔も馬頭観音塔です |
美しい馬頭観音像 安永4年(1775)造立 |
上半分だけになってしまった馬頭観音塔 下の方に馬の頭が見えます |
上半分だけ残っている馬頭観音塔は 道標を兼ねています。
Wikipedia の「
この馬頭観音道標に関して ネットによって得られる情報には不正確なものが多く、参考になりません。
こうした記事を書いた人たちは、石塔の ひらがなや漢字が 正しく読めていないのだと思います。
唯一、以下の資料が参考になります。
造立年の部分の解読に関しては疑問を感じますが、道標の部分の読み取りについては正確であるように思います (「暫定番号 千44」のページ 参照のこと )。
この道標は、本来置かれていた向きとは違った向きに置かれているようです。
元々はどこに、どんな向きに置かれていたのでしょう?
追 記 2016.01.18
上半分だけになってしまった馬頭観音塔がいつ
この馬頭観音塔は下半分が失われているだけではなく、造立年月の部分も欠けてしまっています。
残っている部分は、「☐(永?) 七 寅年 / ☐(月) 吉日」と読めます。
年号の後ろには、60年周期の
年号と干支の組み合わせで、年号の誤りに気づく場合もあります。
ところが、この半分の馬頭観音塔の場合は、「寅年」と十二支だけが刻されており、十干がありません。
江戸時代で「七 寅年」に相当するのは、➀ 宝永7年(1710) 庚寅、 ➁ 享保7年(1722 ) 壬寅、 ➂ 明和7年(1770) 庚寅 の3つの年です。
「七」の上に少し残っている文字は「永」のように読めます。
したがって、この馬頭観音塔は 宝永7年(1710)の造立ではないかと考えられます。