この塔は 道標を兼ねていますので、「青面金剛道標」とよぶことにします。
「庚申道標」とよぶこともできますが、鎌ケ谷八幡神社のものと紛らわしいので、この名前でよびたいと思います。
この石塔を初めて見たときには、道標を兼ねていることに気づきませんでした。
三叉路に建っています |
石塔の正面 台座には「師戸村講中」とあります |
上部に 日月と瑞雲。
中央に「青面金剛」、その左右に「寛政十一未歳」(1799)・「二月吉日」。
下部に 三猿像。
師戸村の庚申講中により建立されたものです。
石塔の左右を見ると、道標を兼ねていることが分かります。
石塔の左側 塔と台座に道標表示 |
左側は、 塔に 「左 きおろし道」、台座に 「西 江戸道」 とあります。
近くで腰を下ろしていた土地の古老の方に挨拶をしたら、道標の説明をしてくださいました。
道標のすぐ左手の細道が 木下に続いているそうです |
この道を少し進んでみました。
細道に入り、振り返って見たところ |
石塔の左側 塔と台座に道標表示 |
右側は、 塔に 「右 なりた道」、台座に 「南 さくら道」 とあります。
この道標どおりに右に進むと、吉高地区に至り、かつての
どんな道すじをたどっていったのでしょう。
甚兵衛渡しを越えれば、もう成田の地です。
印旛沼の対岸の成田市・北須賀には、「水神の渡し(甚兵衛渡し)河岸跡」の標柱が立っています。
甚兵衛渡し河岸跡の標柱 干拓前 この辺りは沼でした |
標柱の裏には 説明が書かれていました |
「水神の渡し」の名前の由来となった水神社が 近くにあります 渡船河岸は 水神社の鳥居前にもあったそうです |
水神社の周囲は「甚兵衛公園」となっています 案内図がありました |
通称「甚兵衛公園」は、県立印旛手賀自然公園の一部のようです |
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