岩戸の庚申道標の位置 |
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用
上の地図にある寺社は前に訪れています。
以下をクリックすると、当該記事が開きます。
➜ ➋ 造谷宗像神社
➜ ➌ 大廻宗像神社
➜ ➍ 龍淵寺
余談ですが、地理院地図のインターフェースが 今般変更になりました。
それとともに、前回のインターフェース変更時に失われてしまった機能が復活しました。 本当に嬉しいことです。
上の地図は、この復活した機能を利用して作成しました。
国土地理院の関係各位に 心から感謝申し上げます。
さて、本題に戻ります。
十字路の一角に コンビニのセーブオン(印西岩戸店)があり、その前には庚申塔と道標を兼ねた「庚申道標」が建っています。
岩戸セーブオンの前に建っている庚申道標 |
石塔の四面全部に行き先が彫られています。
面白いので解読してみました。
解読時に、ネットで調べたのですが、この石塔に関する記事は見つかりませんでした。
庚申道標の正面 (西) |
石塔正面の翻刻 |
翻刻の右側は 石塔に彫られた文字を読み取ったものであり、左側は それを今風に書き直したものです。
草深は、江戸時代には「惣深」と書かれ、江戸時代前には「草深」と書かれました。
現在も「草深」と表記されます。
草深から船尾を経て陸路 江戸へと向かったのでしょう。
この庚申塔は、大廻村と岩戸村の庚申講中が合同で造立したようです。
庚申道標の左面 (北) |
石塔左面の翻刻 |
四面のうちで もっとも読み取りやすかった面です。
造谷を経て、滝そして木下に至るということを示しています。
庚申道標の裏面 (東) |
石塔裏面の翻刻 |
いちばん解読が困難だった面です。
☐で示した部分は 読み取れなかった部分です。
「あふば」は「大廻」のことだと判断しました。
東に向かうと大廻を経て師戸に至ります。
「もろと☐☐」は「もろと渡し」かもしれません。
石塔をよく見ると、「もろと」の次の文字には「氵」(さんずい)が付いているように見えます。
または、「もろとかし」かもしれません。
印旛沼は川ではありませんが、川岸(かし)ということばが使われています。
いずれにせよ、印旛沼を師戸渡しで渡って、しばらく往けば佐倉です。
願主の左の方は読み取れませんが、正面の講中に「大廻村・岩戸村」と併記されていますので、たぶん同じでしょう。
造立は文政11年(1828)3月。
庚申道標の右面 (南) |
石塔右面の翻刻 |
印旛沼を岩戸渡しで渡り、千葉へと向かったのでしょう。
「いわと王たし」の次の文字は「
石塔を近くで見ると、「ち
以下は、庚申道標 全4面の翻刻をまとめたものです。
石塔全4面の翻刻 |
最後に、この道標のあった場所と向きについてふれておきます。
元々の所在地は多分この十字路のどこかだったと思います。
向きについては、180度反対だったはずです。
道標は、その場所を彫った面を行き先方向に合わせるからです。
180度回転させると、各面の示す方向は地図上の行き先とピッタリと合います (この記事冒頭の地図をご覧ください)。
道標の読み取りは 実に楽しいものです。
いにしえの江戸時代が今の時代に帰ってくるかのようです。
➜ 印旛を歩く(27) 師戸の「青面金剛道標」 (印西市・師戸)
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