2016年3月25日金曜日

印旛を歩く(28) 岩戸の庚申道標 (印西市・岩戸)

千葉県道64号を北から南へと進み、造谷つくりやを越えて岩戸に入ったところに四つ辻(十字路)があります。

近くにはバス停「大廻道おおばみち」があり、路線バス(大成交通)とコミュニティバスが通っています。

岩戸の庚申道標の位置
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用

上の地図にある寺社は前に訪れています。
以下をクリックすると、当該記事が開きます。

➜  ➊ 真珠院
➜  ➋ 造谷宗像神社
➜  ➌ 大廻宗像神社
➜  ➍ 龍淵寺

余談ですが、地理院地図のインターフェースが 今般変更になりました。
それとともに、前回のインターフェース変更時に失われてしまった機能が復活しました。  本当に嬉しいことです。
上の地図は、この復活した機能を利用して作成しました。
国土地理院の関係各位に 心から感謝申し上げます。

さて、本題に戻ります。
十字路の一角に コンビニのセーブオン(印西岩戸店)があり、その前には庚申塔と道標を兼ねた「庚申道標」が建っています。

岩戸セーブオンの前に建っている庚申道標

石塔の四面全部に行き先が彫られています。
面白いので解読してみました。
解読時に、ネットで調べたのですが、この石塔に関する記事は見つかりませんでした。

庚申道標の正面 (西)


石塔正面の翻刻

翻刻の右側は 石塔に彫られた文字を読み取ったものであり、左側は それを今風に書き直したものです。

草深は、江戸時代には「惣深」と書かれ、江戸時代前には「草深」と書かれました。
現在も「草深」と表記されます。

草深から船尾を経て陸路 江戸へと向かったのでしょう。

この庚申塔は、大廻村と岩戸村の庚申講中が合同で造立したようです。


庚申道標の左面 (北)


石塔左面の翻刻

四面のうちで もっとも読み取りやすかった面です。

造谷を経て、滝そして木下に至るということを示しています。


庚申道標の裏面 (東)


石塔裏面の翻刻

いちばん解読が困難だった面です。
☐で示した部分は 読み取れなかった部分です。

「あふば」は「大廻」のことだと判断しました。
東に向かうと大廻を経て師戸に至ります。

「もろと☐☐」は「もろと渡し」かもしれません。
石塔をよく見ると、「もろと」の次の文字には「氵」(さんずい)が付いているように見えます。
または、「もろとかし」かもしれません。
印旛沼は川ではありませんが、川岸(かし)ということばが使われています。
いずれにせよ、印旛沼を師戸渡しで渡って、しばらく往けば佐倉です。

願主の左の方は読み取れませんが、正面の講中に「大廻村・岩戸村」と併記されていますので、たぶん同じでしょう。

造立は文政11年(1828)3月。 戊子つちのえねの年です。


庚申道標の右面 (南)


石塔右面の翻刻

印旛沼を岩戸渡しで渡り、千葉へと向かったのでしょう。
「いわと王たし」の次の文字は「゛」ではないでしょうか。
石塔を近くで見ると、「ち゛みち」の「者゛」と同じように見えます。


以下は、庚申道標 全4面の翻刻をまとめたものです。

石塔全4面の翻刻


最後に、この道標のあった場所と向きについてふれておきます。
元々の所在地は多分この十字路のどこかだったと思います。
向きについては、180度反対だったはずです。
道標は、その場所を彫った面を行き先方向に合わせるからです。
180度回転させると、各面の示す方向は地図上の行き先とピッタリと合います (この記事冒頭の地図をご覧ください)。

道標の読み取りは 実に楽しいものです。
いにしえの江戸時代が今の時代に帰ってくるかのようです。


➜  印旛を歩く(27) 師戸の「青面金剛道標」 (印西市・師戸)

➜  印旛を歩く(29) 六合小学校 ・ 瀬戸幼稚園 (印西市・瀬戸)