前回、
持法院の本堂とその周囲を取り上げました。
今回は 観音堂とその周囲を見ていきます。
観音堂は、山門の手前、右手の小高くなった場所に建っています。
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山門手前の右手には、小堂や石碑が見えます |
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石柱があり、その奥には急な石段が見えます
左の石柱には「登慶山 如意輪寺」とあります
右の石柱には「下総観音御霊場」 とあります |
下総三十三ヶ所観音霊場は、旧下総国にある観音像三十三ヶ所、及び番外の国分山国分寺を巡礼する霊場であり、その27番目の札所になっているとのことです。
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石段の手前右には、石塔や大師堂が建っています |
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「鯖大師」の大師堂 |
珍しい「鯖大師」の大師堂がありました。
「鯖大師」については、平凡社の『世界大百科事典』に以下のとおり記されています。
古い街道筋の要所である坂や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って〈鯖大師〉と呼び、弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請うたのに、商人または馬子が荷物のサバを与えなかったために罰せられたという伝説を伝えている場合がある。
徳島県海部郡海南町鯖瀬の八坂八浜の伝承は代表的であるが、これは坂や峠の神に食物の初穂を供える風習と、これを仏教で生飯(さば)と称したことが転訛してこの伝説となったらしい。
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「鯖大師」の弘法大師立像
右手には 五鈷杵のかわりに 鯖を持っています |
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鯖大師御詠歌の扁額が懸かっていました |
この鯖大師の御詠歌は、四国霊場八十八カ所の番外の札所である
「八坂山 八坂寺」(鯖大師本坊)のもの。
同札所は、
「四国別格二十霊場」の第4番札所にもなっています。
御詠歌は、以下のとおり。
かげだにも 我名を知れよ 一つ松 古今来世を すくひ導く
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二紋型のナミテントウ(並天道虫)がいました |
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石段の左手にも 大師堂や地蔵像が建っていました |
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東葛印旛大師 第8番札所の大師堂 |
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四国八十八カ所の第8番札所である 普明山 熊谷寺の御詠歌 |
御詠歌は、徳島県阿波市にある
普明山 熊谷寺 のもの。
御詠歌は、以下のとおり。
薪とり 水くま
谷の 寺に来て 難行するも 後の世のため
「水くま谷の」は、「水を汲む谷」の意と「熊谷寺」の名を掛けています。
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東葛印旛大師結願記念の石柱 |
では、石段を登っていきましょう。
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石段の中ほど、左右に石仏が建っています |
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左側の石仏の左手奥にも 石仏が建っています |
『沼南風土記』(沼南町役場 1981)の P.127には、観音堂の周囲と本堂の位置関係が、以下のように実に分かりやすく書かれており、感心させられます。
山門に向う参道の右側には急な石段かあり、これを登った上部は.広く平坦な境内が開け、右に六地蔵、左に再建された大師堂、そして正面奥手には古い観音堂が静かに建っています。
お堂をとりまく三方にお墓があり、それをさらにとりかこむように杉や雑木の大木が繁っています。つまり、この観音堂の一角は、低地にある本堂とは別に、静寂で独立した境内を形成しているかのようです。
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階段を登り切ると、観音堂が見えてきます
かつては、この観音堂に如意輪観音像が安置されていたようです |
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東葛印旛大師札所の大師堂
この大師堂は二室に分かれています
左:第26番札所 右:第46番札所 |
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東葛印旛大師結願記念の石柱 |
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観音堂の左手に、本堂へと続く石段があります |
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石段の途中から見た本堂 |