2017年6月26日月曜日

2017.06.26 身近な植物 (6月下旬) ヒメコウゾ ・ アジサイ

(1)


近所で見た植物等です。

ヒメコウゾ(姫楮) 1 クワ科 コウゾ属


ヒメコウゾ 2 今年、赤い実を初めて見たのは6月7日


「あじさいの里」では、色とりどりのアジサイが咲きそろいました。















花びらのように見える 4枚の萼


こちらのアジサイの萼は5枚です  2017.07.05追記


アジサイの花 花弁 5枚、 雄しべ 10本、 雌しべ 1本 (花柱は3裂)


キョウチクトウの花が、向原公園と中沢向原貯留池の間で咲いていました。
白花のものは一重で、赤花のものは八重でした。

キョウチクトウ(夾竹桃) 1 キョウチクトウ科 キョウチクトウ属


キョウチクトウ 2


貯留池に面した斜面林の上の方の木に、サギの仲間がとまっていました。

アオサギ(青鷺、蒼鷺)
ペリカン目 サギ科 アオサギ属(Ardea
学名 Ardea cinerea


(2)


ノウゼンカズラが咲きそろいました。
一日花が次々と開いていきます。

ノウゼンカズラ(凌霄花) 1
ノウゼンカズラ科 ノウゼンカズラ属


ノウゼンカズラ 2
学名 Campsis gradiflora

(追 記 2017.06.28)


2017年6月25日日曜日

2017.06.24 一本松遺跡 現地説明会

再度実施された「一本松遺跡 現地説明会」。
当日は、晴れて暑い日となりました。

会場に行く途中には 案内が表示されていました


現地説明会の会場入口


会場入口近くには 自転車がズラリと並んでいました


一本松遺跡の方に向かいます


100人ほどの見学者が集まりました


住居跡を実際に見ながら説明を聞きました


縄文時代後期前葉(4,000年前頃)の住居跡を中心に見学しました。

一本松遺跡の概要については、以下をご参照ください。

➜  2017.04.29 一本松遺跡見学 (鎌ケ谷市・中沢 字一本松)


柄鏡形住居跡 A


手前は 柄鏡形住居跡 A 見学者が見ているのは 柄鏡形住居跡 B


柄鏡形住居跡 B で説明を聞いているところ


柄鏡形住居跡 B その1


柄鏡形住居跡 B その2 手前が住居の出入口部


柄鏡形住居跡 B その3
将来 再発掘できるようにと、この場所には 梨の木を植えないそうです


柄鏡形住居跡 B その4 炉の跡


柄鏡形住居跡 B その5 柱の跡 左は建物外部の柱、右は建物内部の柱


柄鏡形住居跡 C 後の時代の住居跡と重なっています


遺跡部分全体が掘り下げられています


一般的な縄文時代の住居跡


古墳時代前期(3世紀)の遺跡部分 立入禁止になっていました


2017年6月18日日曜日

沼南散策(4) 持法院 ➁ 観音堂 (柏市・藤ケ谷)

前回、持法院の本堂とその周囲を取り上げました。
今回は 観音堂とその周囲を見ていきます。
観音堂は、山門の手前、右手の小高くなった場所に建っています。

山門手前の右手には、小堂や石碑が見えます


石柱があり、その奥には急な石段が見えます
左の石柱には「登慶山 如意輪寺」とあります
右の石柱には「下総観音御霊場」 とあります

下総三十三ヶ所観音霊場は、旧下総国にある観音像三十三ヶ所、及び番外の国分山国分寺を巡礼する霊場であり、その27番目の札所になっているとのことです。


石段の手前右には、石塔や大師堂が建っています


「鯖大師」の大師堂

珍しい「鯖大師」の大師堂がありました。
「鯖大師」については、平凡社の『世界大百科事典』に以下のとおり記されています。

古い街道筋の要所である坂や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って〈鯖大師〉と呼び、弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請うたのに、商人または馬子が荷物のサバを与えなかったために罰せられたという伝説を伝えている場合がある。
徳島県海部郡海南町鯖瀬の八坂八浜の伝承は代表的であるが、これは坂や峠の神に食物の初穂を供える風習と、これを仏教で生飯(さば)と称したことが転訛してこの伝説となったらしい。

「鯖大師」の弘法大師立像
右手には 五鈷杵のかわりに 鯖を持っています


鯖大師御詠歌の扁額が懸かっていました

この鯖大師の御詠歌は、四国霊場八十八カ所の番外の札所である「八坂山 八坂寺」(鯖大師本坊)のもの。
同札所は、「四国別格二十霊場」の第4番札所にもなっています。

御詠歌は、以下のとおり。

   かげだにも 我名を知れよ 一つ松 古今来世を すくひ導く


二紋型のナミテントウ(並天道虫)がいました


石段の左手にも 大師堂や地蔵像が建っていました


東葛印旛大師 第8番札所の大師堂


四国八十八カ所の第8番札所である 普明山 熊谷寺の御詠歌

御詠歌は、徳島県阿波市にある 普明山ふみょうざん 熊谷寺くまだにじ のもの。

御詠歌は、以下のとおり。
  薪とり 水くまたにの 寺に来て 難行するも 後の世のため

「水くま谷の」は、「水を汲む谷」の意と「熊谷寺」の名を掛けています。

東葛印旛大師結願記念の石柱


では、石段を登っていきましょう。

石段の中ほど、左右に石仏が建っています


左側の石仏の左手奥にも 石仏が建っています

『沼南風土記』(沼南町役場 1981)の P.127には、観音堂の周囲と本堂の位置関係が、以下のように実に分かりやすく書かれており、感心させられます。

山門に向う参道の右側には急な石段かあり、これを登った上部は.広く平坦な境内が開け、右に六地蔵、左に再建された大師堂、そして正面奥手には古い観音堂が静かに建っています。
お堂をとりまく三方にお墓があり、それをさらにとりかこむように杉や雑木の大木が繁っています。つまり、この観音堂の一角は、低地にある本堂とは別に、静寂で独立した境内を形成しているかのようです。

階段を登り切ると、観音堂が見えてきます
かつては、この観音堂に如意輪観音像が安置されていたようです


東葛印旛大師札所の大師堂
この大師堂は二室に分かれています
左:第26番札所 右:第46番札所


東葛印旛大師結願記念の石柱


観音堂の左手に、本堂へと続く石段があります


石段の途中から見た本堂