鎌ケ谷市の東初富の東隣には、白井市冨士が位置しています。
そして、この地区には鎌ケ谷市側から続く野馬土手が いまも何カ所か残存しています。
以前から この周辺について詳しく調べているKiさんに案内をお願いして、〈研究会〉の仲間で この地区の野馬土手探訪に出かけました。
記事に先立ち、この素晴らしいコースを案内してくださったKiさんにお礼申し上げます。
白井市冨士・野馬土手探訪コース 散策マップ |
国土地理院の電子国土Webシステムから配信された地図を利用しました
➊ 白井ロジュマンに残る野馬土手跡 (南側から見る)
➋ 高圧線の鉄塔直下に残存する野馬土手跡
➌ 旧木下街道を進む
➍ 船橋ケアセンターの西にある散歩道
➎ 白井第三小近くの冨士水路 (神崎川の谷頭である)
➏ 八幡神社の後背部に始まる冨士水路とその周辺
➐ 白井市冨士栄区の邨社である八幡神社
➑ 白井ロジュマンに残る野馬土手跡 (北側から見る)
➒ 鎌ケ谷市東初富テニスコートの近くに残る野馬土手
明治13~14年(1880~1881)作成の迅速測図 丸数字は現在の地図と対応 |
➀ 東武ストアの北隣にある すばる書店から出発 (➊) |
➁ すばる書店の左奥、白井ロジュマン敷地内に野馬土手跡が残存 (➊) |
➂ 風間街道を渡って南東に進むと、高圧電線の鉄塔が見えます (➋) |
➃ 鉄塔の敷地の手前には馬頭観音が (➋) |
➄ 鉄塔の真下には野馬土手が残存しています 鉄塔は建て替え中 (➋) |
➅ 旧木下街道を進みます (➌) |
➆ 船橋ケアセンター西にある散歩道 (➍) 近くに白井木戸跡があります |
➇ 白井第三小近くを流れる冨士水路 (➎) |
➈ ロウバイ(蝋梅) 「梅」とつきますが、バラ科ではなくロウバイ科 (➎) |
➉ この谷頭も かつては野馬の水呑み場だったと思われます (➏) |
⑪ スズメが木の上にとまって下を見ていました (➏) |
⑫ 川にかかった看板にはうっすらと文字が残っています(➏) 上段に「印旛沼まで14.4km」、下段に「神崎川源流部 白井市冨士水路」 |
⑬ コゲラが一心に何かをついばんでいました (➏) |
⑭ 空き地にはモグラ塚が そこかしこにできています (➏) |
⑮ 白井市冨士栄区の八幡神社内にある「白井開拓三十年記念碑」 (➐) |
⑯ 八幡神社はこの地区の邨社 冨士水路は社の裏が谷頭です (➐) |
⑰ 神社は 農地解放により この地に入植が行われた1948年の創建 (➐) |
⑱ 神社の境内は「開拓広場」として親しまれています (➐) |
⑲ 家と家の間に残存する野馬土手 (➑に行く手前) |
⑳ 白井町(市)教育委員会による白井ロジュマンの野馬土手 説明 (➑) |
㉑ 野馬土手は「冨士西子どもの遊び場」の隣に保存されています (➑) |
㉒ 白井ロジュマンの敷地内であったからこそ残存できたのでしょう (➑) |
㉓ 野馬土手横の細道 左はテニスコート(➒) |
㉔ コート反対側にあった野馬土手上の樹木は 伐られてしまいました(➒) |
白井市の『しろい散策マップ』のページ に 〈冨士地区〉の案内が載っていました。
とてもわかりやすいので以下に引用します。
『しろい散策マップ』 の 「牧場(まきば)コース」 〈冨士地区〉 |
電車で行く場合は、北総線の西白井駅で下車して、上の散策マップのコースを歩いてみるといいのではないかと思います。
追 記
この周辺の野馬土手について詳しく知りたい方は、Kiさんのブログ「釜ケ原探訪」をご覧になってください。
➜ 「鎌ケ谷:初富小学校北 ~ 白井:冨士 間」の野馬土手の現状
➜ 「白井:冨士93-23(高圧線鉄塔) ~ 白井:冨士198-40(八幡神社)間」の野馬土手の現状
また、野馬土手全体について俯瞰するには、以下のKiさんの労作が大変便利です。
➜ Google Map で見る野馬土手の位置
追 記 2014.02.11
白井郷土資料館の資料で、文化13年の「白井木戸新田麁絵図」を現在の地図上に落とし込んだものがありました。
元の地図を反時計回りに33°回転して真上が北になるように直し、いくつかの名称を書き加えたものを以下に載せます。
かつての「白井木戸新田」の範囲図 |
白井木戸新田は台地上にあり、痩せた土地でした。
その乾いた台地を貫くように 木下街道がとおっていることがよくわかります。
「白井木戸」という地名が現在も広範囲に使われていますが、これは「白井木戸新田」という意味合いで使われているもののようです。
白井木戸が、現在「白井木戸」と呼ばれている場所のさまざまなところに設けられていたのではないということです。
追 記 2014.09.07
「ちいき新聞 鎌ケ谷版」に、『しろい散策マップ』 の 「牧場(まきば)コース」を実際に歩いた〈智子さん〉のレポートが載っていました。
この記事を読んで、まだ訪れていない「中木戸 孝心道標」を実際に見てみたいと思いました。
「ちいき新聞 鎌ケ谷版」 2014年9月5日号 P.5 より |
そこで出かけていきました。
「孝心道標」は、 |
リフォーム会社の駐車場前に立っています 見落としそうな道標です |
「孝心道標」 明治23年(1893)造立 |
道標等の石造物にしては珍しい円柱型の形状をしているため、なかなか「孝心道標」だと気づきませんでした。
コンクリート製の太い杭に間違われてしまいそうです。
この道標については、『白井町石造物調査報告書 ―第二集―』(1987)の P.40 に詳しく載っています。
報告書が書かれたときと比べると、地中から上に出ている部分は 現在の方が多いようです。
報告書を読むと、上の写真の「講」の文字の部分は「以下埋没」となっています。
次の機会には、かつては八幡溜があったという場所の近くに 平成14年に建立された「白井木戸の弁財天」を訪れたいと思っています。
追 記 2014.09.09
「白井木戸の弁財天」に行ってきました。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。
➜ 2014.09.08 白井木戸の弁財天 (白井市・根)