迅速測図(1880年代) 「狢池」(狸池とある)が大きく描かれています |
現在の「狢池」とその周辺 |
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JR成田線の
貝化石層の露頭が見える駐車場側、その前に小さな池があります。
木下万葉公園の手前に見える池 |
この池が、赤松宗旦の『利根川図志』に書かれている「
なお、「狢」については、以下をご参照ください。
「
➜ goo 辞書 (デジタル大辞泉) 「むじな」
この看板には「たけふくろ」とありますが、現在の所在地名は 木下です |
看板を見ると、池は 竹袋稲荷神社の所管になっているようです。
では、赤松宗旦の『利根川図志』(1858 出版)から当該箇所を引用してみましょう。
狢池並びに狢坂
木下河岸より竹袋へゆく道の左にあり。『佐倉風土記』(1734 写本)に、「印西の荘・竹袋に在り、
『東国戦記』(元禄年代の作品)に
今は浅くなりて、蓴菜なし。芦、
『利根川図志』が書かれた150年ほど前には、狢池は すでに浅くなってしまっており、蓴菜も見られなくなっていたようですね。
でも、多くのマコモが生い茂っていたとのこと。
「堤を越えて向こうの山に上る所を狢坂という」とありますが、どの辺りをいっているのでしょうか?
狢坂が現在でも分かるかどうか、歩いて確かめてみる価値がありそうです。
狢池の全景 (工事事務所2階から撮影) いまや小さな池です |
かつて 池は奥の方まで広がっていました |
角度を変えて撮ったもの |
『千葉縣印旛郡誌』(1913)においては、「木下町」の部の「第2章 水系誌 ・ 第1節 河池」に 短く以下のように書かれています(下巻・555ページ)。
竹袋区の山崎池、狢池、ともに水あまり多からざれども、農家に感慨の便を与う。
100年前には、狢池の水が 田圃の灌漑用水として使われていたことが分かります。
国道356号線沿いの水路の工事が、2015年度いっぱい予定されています |
この水路が暗渠になるそうです |
工事に当たっている方におききしたら、ボックス カルバート(box culvert)ととよばれる 四角い箱型の構造物をつないだものが 地中に埋設され、水路は暗渠化されるそうです。
池自体は変わらないようです。