2015年5月1日金曜日

2015.04.30 狢池むじないけ (印西市・木下)

最初に 2枚の地図を見比べてください。

迅速測図(1880年代) 「狢池」(狸池とある)が大きく描かれています


現在の「狢池」とその周辺
国土地理院 電子国土Webシステム配信の地図を利用


JR成田線の木下きおろし駅から程近いところにある木下万葉公園。
貝化石層の露頭が見える駐車場側、その前に小さな池があります。

木下万葉公園の手前に見える池

この池が、赤松宗旦の『利根川図志』に書かれている「狢池むじないけ」の現在の姿です。

なお、「狢」については、以下をご参照ください。
たぬき」との混同についても書かれています。

 ➜  goo 辞書 (デジタル大辞泉) 「むじな」


この看板には「たけふくろ」とありますが、現在の所在地名は 木下です

看板を見ると、池は 竹袋稲荷神社の所管になっているようです。

では、赤松宗旦の『利根川図志』(1858 出版)から当該箇所を引用してみましょう。


狢池並びに狢坂

木下河岸より竹袋へゆく道の左にあり。『佐倉風土記(1734 写本)に、「印西の荘・竹袋に在り、ほう(一辺の長さ) 百三、四十(1歩=1間)。中に蓴菜じゅんさいあり。池の頭に狢坂むじなざかあり」とぞ。
『東国戦記』(元禄年代の作品)うところの狸坂及び狸池、これなり。
今は浅くなりて、蓴菜なし。芦、まこもなど生い茂り、池の形のみなり。堤を越えて向こうの山に上る所を狢坂という。これより竹袋たけふくろ本村なり。


『利根川図志』が書かれた150年ほど前には、狢池は すでに浅くなってしまっており、蓴菜も見られなくなっていたようですね。
でも、多くのマコモが生い茂っていたとのこと。

「堤を越えて向こうの山に上る所を狢坂という」とありますが、どの辺りをいっているのでしょうか?
狢坂が現在でも分かるかどうか、歩いて確かめてみる価値がありそうです。


狢池の全景 (工事事務所2階から撮影) いまや小さな池です


かつて 池は奥の方まで広がっていました


角度を変えて撮ったもの

『千葉縣印旛郡誌』(1913)においては、「木下町」の部の「第2章 水系誌 ・ 第1節 河池」に 短く以下のように書かれています(下巻・555ページ)。

竹袋区の山崎池、狢池、ともに水あまり多からざれども、農家に感慨の便を与う。

100年前には、狢池の水が 田圃の灌漑用水として使われていたことが分かります。


国道356号線沿いの水路の工事が、2015年度いっぱい予定されています


この水路が暗渠になるそうです

工事に当たっている方におききしたら、ボックス カルバート(box culvert)ととよばれる 四角い箱型の構造物をつないだものが 地中に埋設され、水路は暗渠化されるそうです。
池自体は変わらないようです。